ficus.life/趣味
目次
分解できる道具と、できない道具について

分解できる道具と、できない道具について

中身が見えない一体成型のプロダクトと、ネジを外せば構造がわかる道具。どちらに長く付き合っているかを振り返ってみる。

TOMOAKI··趣味

全自動のコーヒーメーカーは30秒でそれなりの一杯を淹れてくれる。壊れた家電は、修理を試みる間もなく翌日には新品が届く。便利ではあるのだが、その便利さと引き換えに、道具の中身がどうなっているかを知る機会がほとんどなくなった。

ネジ一本見当たらない一体成型のボディは、確かに美しい。ただそれは同時に、「不調があれば買い替えてください」という前提を静かに強いている。壊れたときにどうすればいいか、自分では手の出しようがない道具に囲まれることが、少しずつ増えている。

分解できることの意味

革靴にクリームを入れる、万年筆の首軸を洗浄する。こうした手入れは、単なるメンテナンス作業というより、その道具の構造を確認する時間でもある。自分の手で元に戻せる、調整できるという感覚は、地味だが安定した手応えになる。

経年変化についても、同じことが言える。万年筆のペン先は使い続けるうちに書き手の筆記角度に合わせて削れていくし、革製品は手の脂を吸って色を変えていく。これは劣化というより、使い方の記録が物理的に残っているということだと思う。デジタルの世界では起きにくい種類の変化だ。

デジタルの道具にも同じ話がある

ブログサービスをそのまま使うのではなく、VPSを借りてGhost CMSを自分でセットアップするという選択にも、似たところがある。OSを選び、セキュリティを整え、データベースを調整する作業は、機械の分解や靴の手入れと本質的には近い。サービス側の都合で突然消えることのない、自分で管理できる仕組みを持つという意味では、デジタルの道具にも「一生モノ」に近い性質を持たせられる。

道具に振り回されないために

高価な道具を「一生モノ」として買うことに、ためらいを感じることはある。ただ、10年で何度も買い替える安物と、長く付き合える一本を比べたとき、価格差だけでは測れない安定感の違いはあると思う。

部屋が狭くて、理想の作業環境が作れないと感じるなら、広さは関係ないと思う。一脚の椅子や、机の一角だけでも、自分の手で調整できる場所になっていれば十分だ。道具を通じて自分の輪郭が形作られる、というのは大げさな言い方かもしれないが、週末に靴を磨いたり、古い自転車のネジを締めたりする時間の積み重ねが、何かを支えているのは確かだと感じている。