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お金をかけない趣味は、本当に「探索型」なのか

お金をかけない趣味は、本当に「探索型」なのか

無料の趣味を「消費型」と「探索型」に分けて語る記事をよく見かける。その区分は本当に、お金をかけないことの本質を言い当てているのだろうか。

TOMOAKI··趣味

「趣味にお金はかからない」という言い方を、時々見かける。無料でできる趣味を並べた記事の多くは、それを「消費型」と「探索型」という対比で説明する。買って満たされるのが消費型、自分で調べて動くのが探索型。図式としては分かりやすいし、自分でもそう書きたくなる気持ちは分かる。

ただ、実際に無料でやっていることを思い出してみると、この対比はそれほどきれいに割り切れない。図書館で本を借りるのは探索型のように見えるが、話題の新刊を次々に借りているだけなら、書店で買うのとやっていることはあまり変わらない。逆に、近所を意味もなく歩き回るだけの散歩は、何かを「探索」しているというより、ただぼんやりしているだけのことも多い。

お金がかからないことの実感はどこにあるか

お金をかけない趣味の良さは、たぶん「探索」という立派な言葉の中にはない。もっと単純に、失敗のコストが低いという点にあるのだと思う。始めてみて向いていなくても、諦めても、損をした感覚がほとんど残らない。だから気軽に手を出せるし、気軽にやめられる。

公共図書館の本を手当たり次第に借りる、ポッドキャストを聞きながら歩く、博物館の無料開放日に行ってみる、手元にある材料で何か作ってみる。並べてみると地味なことばかりで、「知的探求」や「内面を形にする」といった大げさな見出しをつける必要はどこにもない。ただ、お金を払っていない分、途中でやめても惜しくないという気軽さが、続けやすさにつながっている気はする。

型に分けたくなる理由

それでも「消費型」「探索型」のような区分に頼りたくなるのは、無料であることそのものに、どこか後ろめたさが伴うからかもしれない。お金をかけていない趣味は、真剣でないもの、暇つぶしのように見られがちだ。そこに「探索」という言葉をつけると、急に意味のある行為に格上げされたような気になる。

だが、暇つぶしと呼ばれても構わないものは、案外多い。散歩も、図書館通いも、何かの役に立つからやっているわけではない。お金がかかっていないという事実だけで、すでに十分身軽なのだから、それをわざわざ立派な名前で飾る必要はないのだろう。