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塩を量ってから、味付けを考えるようになった
塩は0.8パーセント、火は140度。数字で計るようになってから、感覚だけで作っていた頃には気づかなかったことがあった。メイラード反応を知っても料理が好きな理由は変わらないが、迷いは減った。
「塩少々」「火が通るまで」。レシピ本の指示はたいていこのくらい曖昧で、長いあいだそれを普通のことだと思っていた。うまくいく日といかない日の差は、経験とか勘とか、そういう言葉で片付けていた。
あるとき、ステーキの焼き方を調べていて、メイラード反応という化学反応の名前に行き当たった。肉の表面のアミノ酸と糖が熱で反応し、香ばしい茶色い物質と、数百種類ともいわれる香り成分を生む反応らしい。「香ばしさ」という感覚的な言葉の裏に、こんなに具体的な仕組みがあることを、それまで知らなかった。
100度の壁
この反応が始まるのはおよそ140度からで、水を含んだままの状態ではそこまで温度が上がらない。水がある限り、気化熱に熱が使われて表面は100度を超えないからだ。だから肉や魚の表面の水分を拭き取ってから焼く、という工程には、単なる作法以上の意味があるらしい。知ってから、拭き取る手間を面倒に感じなくなった。
0.8パーセントという数字
塩加減についても、同じような数字を見つけた。人が「ちょうどいい」と感じる塩分濃度は、食材の重量に対しておおよそ0.8パーセント前後だという報告をいくつか見かけた。1キロの食材なら8グラム。目分量で振っていたときと、量ってから振るようになったときとで、仕上がりのばらつきは体感として減った気がする。「気がする」というのは正直な言い方で、厳密に食べ比べを重ねたわけではない。
肉の中心温度についても、目安の数字がある。60度台でタンパク質が固まり始め、66度を超えたあたりから水分が絞り出され、70度を超えるとぱさついた食感になりやすい、というようなことがよく紹介されている。しっとりした焼き上がりを狙える幅は、思っていたよりずっと狭い。これも指で押した感触だけで判断するのは、自分には難しかった。
数字にしたところで、料理が好きな理由は変わらない
ここまで書くと、料理を数字で管理する話に見えるかもしれない。実際、しばらくは計量スケールと温度計を使うこと自体に面白さを感じていた時期があった。ただ、それで「愛情より論理」というような話にしてしまうのは、たぶん言い過ぎだと思う。塩分濃度を量ることと、誰かのために作ることは、対立する話ではない。むしろ、狙った通りの塩梅で出せた方が、単純に嬉しい。
グルタミン酸とイノシン酸を組み合わせるとうま味の強度が足し算ではなく掛け算のように増すという話も、昆布と鰹節を合わせる出汁の理屈として昔からよく知られている。目新しい発見というより、経験的にわかっていたことに、後から名前がついた、という順番の話なのだろう。
味が決まらなかった日、原因を「今日は集中力がなかった」で片付けるより、塩の量か温度か、どちらかを疑ってみる方が次に活かしやすい。それくらいの実用性が、この話の落としどころだと思っている。
