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「面白い趣味」を探しても、たぶん見つからない理由

「面白い趣味」を探しても、たぶん見つからない理由

面白さは活動ではなく、活動と自分のあいだで起きる反応だ。好きな曲を9回聴く楽しさの実験では、1分の間をあけるだけで「混ぜて聴くほうが楽しい」が逆転した。面白い趣味が見つからない理由と、弱点つきの始め方を四つ。

TOMOAKI··趣味

「面白い趣味」を探すという行為の奇妙さ

「面白い趣味」という言葉を、少し立ち止まって見てみたい。「料理」や「登山」のように活動のジャンルを指す言葉なら分かる。だがこの言葉が名指ししているのは、活動そのものではなく、その活動に対する自分の反応——面白いと感じるかどうか——の方だ。いわば「美味しい食べ物はどれか」と尋ねるのに近く、本来は食べてみてから分かることを、食べる前に知りたがっている。

先に、この記事が何をしないかを書いておく。面白い趣味の一覧は出てこない。代わりに、面白さという反応がどういう条件で起き、どういう条件で消えるのかを、実験の中身まで降りて確かめる。そのうえで後半に、始め方の手段をいくつか、それぞれの弱点と一緒に並べる。どれを選ぶかは、読む人の側に残したままにする。

途中で出てくる数字を、いくつか先に見せておく。複雑さと好ましさの関係を表す有名な「逆U字」は、ある実験では、30人の平均として現れた形だった。好ましさの付け方が似た人どうしにまとめ直すと、20人のグループは平均して複雑なほど好ましさが下がり、10人のグループは上がっていた。好きな曲を9回聴く実験では、曲のあいだに1分の間をあけるだけで、「いろいろ混ぜて聴くほうが楽しい」という結果がひっくり返った。どちらの実験も測ったのは面白さではなく、好ましさや楽しさだが、反応が対象の名前よりも、誰が、どんな間合いで触れるかに左右されるらしいことは、面白さを考える手がかりになる。

面白さは、活動ではなく反応の側にある

この見方の土台には、心理学者ダニエル・バーラインの仕事がある。バーラインは1960年の著書『葛藤・覚醒・好奇心』で、生き物の探索行動を引き出すものとして、刺激の物理的な強さとは別に、新奇性・複雑性・不確実性・葛藤といった、刺激と過去の経験との「照合」から生まれる性質を重視し、これを照合変数と呼んだ(原書を私は見ておらず、この説明は一般に知られる整理を書いたものだ)。新しいかどうかは刺激だけを見ても決まらない。見る側が何を知っているかと突き合わせて、初めて決まる。

その考えを、人が「面白い」と感じる瞬間に絞って検証したのが、心理学者ポール・シルヴィアだ。2005年の論文で彼は、面白さ(interest)は二つの評価からなると予測した。一つは新奇性・複雑性の評価——見慣れず、込み入っているか。もう一つは対処可能性の評価——その新しく込み入ったものを、自分は理解できそうか。四つの実験で、ランダムに生成した多角形、視覚芸術、詩を材料にし、自己報告だけでなく、強制選択や行動の指標でも面白さを測った。評価を測った場合にも、操作した場合にも、予測どおりの構造が出た。そしてこの二つの評価は、近い感情である「楽しさ」は予測しなかった。

この理論に従えば、面白さは二つの評価が両方そろうことで成り立つ。目新しくても理解の糸口がまるでなければ、それは戸惑いに近づくだろうし、理解しきっているものは、どれほど込み入っていても、もう目新しくない。将棋の同じ局面を見せても、初心者には意味の取れない駒の散らばりにしか見えず、プロには読み切った退屈な図にしか見えない、ということが起こりうる。面白いと感じるのは、その局面の込み入り具合と自分の読みの力がちょうど噛み合っている、限られた人だけだ。

ここで一つ、見落とされやすい結果がある。ターナーとシルヴィアは2006年、穏やかな絵と不穏な絵を見せて比べる実験を報告した。不穏な絵は面白さの評価が高いのに、心地よさは低かった。穏やかな絵は心地よいのに、面白くはなかった。一人ひとりの中で見ると、面白さと心地よさはほとんど関係がなく、新奇性・複雑性の評価は面白さを押し上げる一方で、心地よさをむしろ下げていた。

これは、検索窓の前でも小さくない違いだ。「面白い趣味」と「楽しい趣味」は、同じものを別の言葉で探しているように見えて、実験の上では別の反応を探している。ぬるめの湯に浸かるような心地よさを求めているのか、少し落ち着かないくらいの引っかかりを求めているのか。どちらを探しているのかを取り違えたまま一覧を眺めても、当たりは出にくい。

マティアス・ストームの絵画『蝋燭の明かりで読書する青年』。対象を理解しようとする一瞬の集中を描いている。

逆U字を、好みの似た人どうしに分けてみると

バーラインの名前とともによく語られるのが、逆U字の図だ。複雑さが低すぎると退屈で、高すぎると手に負えず、ほどほどのところで好ましさが山になる。バーラインは1971年の著書『美学と心理生物学』でこの考えを快の理論としてまとめ、その後、実験美学で繰り返し引かれる図になった。

この山を、オランダのラドバウド大学のグチュルトゥルクらが2016年に分解している。二十歳前後の若い参加者30人に、円や六角形などの図形をランダムに散りばめた灰色の幾何学模様144枚を1秒ずつ見せ、好ましさと複雑さをそれぞれ9段階で評価させた。全員の平均をとると、逆U字が現れた。ただし山は単純な側に寄っていて、全体では複雑さと好ましさに負の相関も見えた。

ところが、好ましさの付け方が似た人どうしを統計的にまとめ直すと、話が変わる。いちばんすっきり分かれたのは二つのグループで、20人のグループは平均して「複雑になるほど好ましさが下がる」右肩下がり、残りの10人のグループは平均して「複雑になるほど好ましさが上がる」右肩上がりだった。どちらのグループも、模様の複雑さそのものは同じように見積もっていた。違ったのは、複雑さの見積もりではなく、複雑さをどれだけ好むかのほうだった。この二つのグループを混ぜて平均すると、どちらのグループの形とも違う山が現れる。著者らは、逆U字はふさわしくない分析方法が生んだ見かけである可能性がある、とまで書いている。

もちろん、30人が抽象的な灰色の模様を1秒ずつ見た実験であって、著者ら自身、グループの性格づけは事後的な探索だと断っている。趣味のような何十時間もかかわる対象に、同じ割れ方がそのまま当てはまるとは言えない。それでも、この結果は「みんなにとってほどよい」という言い方に、一つの疑いを差し込む。

ランキングは平均の一種だ。多くの人の「面白かった」「好きだった」を足し合わせて、山の高いところから並べる。その山が、下り坂の人と上り坂の人を混ぜた結果としてできているのなら、山の頂上にあるものは、どちらの人にとっても頂上ではないことがありうる。

「見つかるもの」だと思っていると

もう一つ、探す側の思い込みも関わっている。オキーフ、ドゥエック、ウォルトンが2018年に報告した五つの研究は、興味はもともと人の中にあって見つかるのを待っているという「固定的な興味観」と、関わるうちに育っていくという「成長的な興味観」を比べた。固定的な興味観が強い、あるいはそちらへ誘導された学生ほど、自分の領域の外にある文章に興味を示しにくく、いったん魅了された話題でも、難しい専門の論文に出会ったあとの興味の落ち込みが大きかった。実験の細部と数値は、情熱は先に見つけるものか、後から育つものかを扱った記事で詳しく紹介しているので、ここでは繰り返さない。

この記事の文脈で拾っておきたいのは、二つの地味な点だ。一つは、成長的な興味観の側でも、論文を難しいと感じた学生ほど、読んだあとの興味は低かったこと(著者らは、落ち込みが「和らいだ」と書いており、消えたとは書いていない)。信念が変えたのは落ち込みの大きさで、難しさが面白さを削ること自体はどちらでも起きていた。もう一つは、これが学生を相手にした、数分の動画と5分以上の読解という短いオンライン実験の出来事で、信念を書き換える介入は、知能のマインドセット研究で大規模な試行へ広げるにつれて効果がかなり小さく見えるようになった経緯があることだ。

それでも、「面白い趣味を探す」という言い方そのものが、固定的な興味観の文法でできていることには気づいておいていい。探すという動詞は、それがどこかにすでに完成した形であることを前提にしている。

続けるほど、目新しさは減っていく

始めたあとにも、別の仕組みが待っている。同じ刺激を繰り返すと反応が弱まる「馴化」だ。神経科学者リチャード・トンプソンとスペンサーが1966年に馴化の特徴を九つに整理し、2009年にはトンプソン本人も加わった研究者グループがそれを十に改訂した。そこには、刺激をしばらく止めると反応が少なくとも部分的に戻る「自発的回復」、別の刺激を挟むと弱まった反応がまた増える「脱馴化」、そして刺激の頻度が高いほど反応の減り方が速くなる、といった性質が並ぶ。元の九つの特徴は、調べられた限りのあらゆる種で見られる、と改訂版は書いている。

馴化を、趣味の飽きを説明する万能の法則として持ち出すなら、それは言い過ぎだ。1966年の整理は主に反射のような単純な反応についてのもので、趣味への興味が同じ規則で衰えると示したわけではない。ここで借りられるのは、繰り返せば反応は弱まりうる、そして弱まった反応は間をあけたり別の刺激を挟んだりすると戻りうる、という骨組みまでだ。ただし同じ一覧には、回復をくり返すほど次の低下が速くなること、挟む刺激をくり返すとその効き目自体が薄れることも並んでいる。

興味がどう育つかについては、心理学者スザンヌ・ハイディとアン・レニンガーが2006年に「興味の4段階発達モデル」を出している。目新しさや意外な情報に引き寄せられて生まれる「状況的興味の喚起」、それが保たれる「状況的興味の維持」、自分から繰り返しその対象に戻りたくなる「個人的興味の芽生え」、そして長い期間、おもに自分から(外の後押しが要らないわけではないが)戻り続ける「個人的興味の確立」の四つだ。シンガポールの南洋理工大学のロトガンスとオランダのエラスムス大学のシュミットは2017年の論文で、2006年以降の興味研究に、このモデルに何らかの形で触れていない論文はほとんどない、と書いている。

その同じ論文で、二人は手厳しい評価も下している。このモデルの実証的な裏づけは、現時点で限られている、と。段階の移行に何週間かかるのか何年かかるのか、「維持」とは具体的に何なのかが、モデルの中で特定されていないことが、裏づけの少なさの一因ではないか、という。

彼らの見方は、もう少し踏み込んでいる。状況的な興味は「知りたいのに知らない」という知識の欠けに気づいたときに生じ、知識が満たされれば、必然的に下がる。だから状況的な興味は「維持」できるものではなく、新しい問いによって繰り返し呼び起こされるしかない、と。学ぶことが、学ぶ動機になった興味を食べてしまう。喉の渇きが、水を飲めば消えるのと同じ形だ。

これを確かめるため、彼らは小学生187人に、光の性質についての問題を4週間で四つ出し、自分で学習目標を立てて調べさせた。問題が出るたびに状況的な興味が呼び起こされ、それに沿って個人的な興味も伸びていった。二つめの研究では4クラス129人を二手に分け、一方には問題を出さず、教師が学習の目標を直接伝えた。個人的な興味が伸びたのは、問題を受け取った側だけだった。問題のなかった側は、わずかに下がった。小学校の理科で、4週間の、クラス単位で割り振った準実験だという点は差し引いて読む必要がある。著者ら自身、問題の有無と学習目標を自分で立てるかどうかが重なっていたことを弱点として挙げている。

この記事で引く実験の多くは、逆U字の実験も含めて、面白さそのものではなく、好ましさや楽しさを測ったものだ。面白さと楽しさを別の反応として区別した前半の立場からは、これは弱点になる。それでも、繰り返しや間合いによって反応がどう動くかを見る材料としては使える。

ここまでの馴化や知識の話だけだと、繰り返しは反応の敵のように見える。だが逆の結果もある。スウェーデンのマディソンとシェルデは2017年、28歳から70歳の、音楽への関心が高い大人15人に、専門家が複雑さを四段階に分けた40曲の抜粋を、約4週間にわたってそれぞれ28回ずつ聴かせた。逆U字の理論からは、聴き慣れるにつれて、好まれる複雑さの山がより複雑な側へずれていくと予測された。結果は、複雑さによる山はそもそも現れず、どの複雑さの曲も、聴くほどに好かれていった(最も複雑な曲が、終始いちばん好まれてはいた。ただし分散分析では、複雑さによる差は有意ではなかった)。28回目まで、全体としては下がり始める兆しはなかった(一人ずつ見ると、単純な曲で、有意ではない小さな下がりが15人中4人に見られた)。

見たり聞いたりする回数が増えるほど好意が増す「単純接触効果」については、回数とともに好意が増えるが、やがて頭打ちになり、下がりうる山なりの曲線に当てはまる、とした2017年のモントヤらのメタ分析がある(好意だけでなく、親近感や再認の評価も含めた分析だ)。もっとも、その分析で山なりの曲線が見られたのは目で見る刺激で、耳で聞く刺激では見られなかった。28回聴いても好かれ続けた曲の結果は、少なくともこの点では食い違っていない。

バーライン自身の1970年の実験も、複雑な図形に限れば、似た方向を指していた。色のついた図形の系列を繰り返し見せると、単純な図形は目新しさを失うにつれて心地よさも失ったが、複雑な図形は心地よさの下がり方が小さいか、むしろ上がった。同じ図形だけを続けた系列は、別の刺激を挟んだ系列より心地よさが大きく下がった、という結果も、抄録に書かれている。

二つの話は、繰り返しても好ましさや心地よさが落ちにくい点では(バーラインでは複雑な図形に限るが)同じ方向を向いているが、複雑さが効くかどうかでは食い違う。バーラインの図形では複雑さが効き、マディソンらの音楽では、好かれ方の伸びに複雑さによる差は見られなかった。後者の著者らは、繰り返すと好意が下がった先行の音楽研究との違いを、聴き方の自然さ(約4週間のあいだ、日常のなかで聴く)と、参加者になじみのある様式の曲を選んだことに求めている。バーラインとの対比は著者らの言葉ではなく、私の読みだ。この読みが正しければ、「続けると飽きる」かどうかは、対象にどれだけ未知が残っているかとは別に、触れる間合いや、曲の様式へのなじみといった事情にも左右されることになる。これは15人の小さな実験と、著者らの解釈にもとづく話なので、一般則と呼ぶつもりはない。ただ、「続けると飽きる」は、対象の側の未知と、触れ方の両方を抜きにしては、言い切れない。

速さの問題もある。テレビ番組に広告を挟む実験を重ねたネルソン、メイヴィス、ガラクの2009年の研究には、幅広い年齢の107人に短いアニメ映像を見せたものがある。途中に広告を挟むと、35歳以下では挟んだほうが映像を好み、36歳以上では挟まないほうが好む傾向が出た。著者らは、年齢とともに刺激を求める度合いが下がり、そもそも慣れにくいからだろうと予測していた(楽しさの指標では、年齢による違いは有意傾向にとどまる)。慣れる速さに人による幅があるのかもしれない。何度も趣味を変えてきた自覚がある人は、自分が飽きっぽいのか、選んできた対象の未知が浅かったのか、触れる間合いが合っていなかったのか、それらを疑ってみる余地がある。

外側から探しても、当たりにくい理由

ここまでの話を重ねると、他人の推薦やランキングがなぜ当たりにくいのかが、少し具体的になる。

一つめは、対処可能性の評価が、その人の来歴でできていることだ。ある人にとって面白い活動は、その人が積み重ねてきた理解力と、たまたま噛み合っていたから面白かった。同じ来歴を持たない人にとっては、同じ活動が退屈すぎるか、難しすぎるかのどちらかになりやすい、とシルヴィアの理屈からは考えられる。

二つめは、平均の問題だ。グチュルトゥルクらの灰色の模様の実験では、複雑さを好むグループと嫌うグループを混ぜて作った山は、どちらのグループの形とも違っていた。趣味にも同じことが起きているかは分からないが、ランキングの山にも、似た混ざり方がありうる。三つめは、探し方そのものが、固定的な興味観の形をしていることだ。完成した「面白い」がどこかにあると思って探す人は、試した対象が最初に難しくなったところで、興味が落ち込みやすいと読める実験がある(学生を相手にした短いオンライン実験の結果ではあるが)。

ランキング記事が並べているのは、誰かにとってかつて噛み合っていた活動の名前であって、これから読む人との噛み合いを保証するものではない。面白さは、活動の名前ではなく、活動と自分とのあいだの、まだ分かっていない部分と、それに手が届くかどうかの噛み合いに宿っている。

始め方はいくつかあって、どれにも弱点がある

では、実際に何かを始めようとするときに、どんな手がありうるか。以下の四つは順位ではない。拠って立つ研究の強さも、向く人も違う。

安く何度か触れて、一度目では判定しない

先に弱点から書いておく。何度か触れるには時間がかかり、触れた回数の分だけ「せっかくここまで来たのだから」という引き止めも育つ。判定を保留するというのは、やめどきの判断を先送りすることでもある。

そのうえでの中身は単純で、道具を揃える前に、体験会や貸し出し、入門書一冊くらいの安い形で、同じ対象に何度か触れる。最初の難所を一度越えるまでは、「面白いかどうか」の判定をしないでおく。28回聴くほど曲が好かれていった音楽の実験(約4週間、日常のなかで聴く条件だった)と、難しさに出会った直後の興味の落ち込みが、難しさの感じ方だけでなく興味についての思い込みでも大きさを変えたオキーフらの実験は、どちらも、一度目の印象を最終的な評価とみなさないやり方と矛盾しない。もっとも、どちらも判定を保留すること自体を試した研究ではなく、数分から数週間の出来事だ。初回の印象に引きずられやすいと自覚している人が試すぶんには、使いやすい手ではある。

階段が奥まで続いている対象を選ぶ

バーラインの1970年の実験では、複雑な図形ほど、繰り返し見ても心地よさを失いにくかった。ロトガンスとシュミットの研究では、新しい問いが出るたびに興味が呼び起こされ、個人的な興味が伸びた。知識が満たされるたびに興味が下がるのなら、上達しても次の込み入った層が奥に控えている対象——楽器や語学や将棋のようなもの——のほうが、興味が呼び起こされる機会は多いと考えられる。

ただ、前者は実験室の図形で、後者は小学校の理科の4週間だ。そしてグチュルトゥルクらの30人では、20人のグループが平均して複雑さを好まなかった。マディソンらの音楽では、複雑な曲が終始いちばん好まれていたが(分散分析では、複雑さによる差は有意ではなかった)、それは参加者が音楽への関わりが比較的深い人たちだったからかもしれず、単純な曲も聴くほど好かれていった。抄録が繰り返しの実験について報告しているのは心地よさだけで、面白さが繰り返しでどう動いたかは分からない。同じ論文の別の実験では、目新しさが面白さを押し上げていたから、目新しさが失われれば、複雑な図形でも面白さは下がったかもしれない。奥行きの深い対象は入口の段差も高いことが多く、込み入ったものに引かれる人には居心地のよい階段でも、そうでない人には最初の数段で戸惑いの側へ落ちる崖になりうる。

同じ活動の中で、目新しさを作り直す

同じジョギングでも「いつもの道」とひとまとめにせず、坂の道、川沿いの道、と区別して数える。同じ曲ばかり聴くなら、続けて聴かずに間をあける。新しい趣味を探す前に、いまの活動の切り分け方と間合いを変えるという手だ。

レッデンの2008年の研究では、ジェリービーンズを食べ進めるとき、画面に出る数え方を「ジェリービーンズ何粒目」ではなく「チェリー何粒目」「オレンジ何粒目」と味ごとにしただけで、楽しさの下がり方が緩やかだった。細かく分けると一つひとつの違いに注意が向き、繰り返しに感じにくくなるという。ガラク、クルーガー、ローウェンスタインの2011年の研究では、106人に曲を9回聴かせた。続けて聴く場合は、いちばん好きな1曲を繰り返すより、上位3曲を混ぜて聴くほうが楽しかった。曲のあいだに1分の間をあけると逆になり、好きな1曲の繰り返しのほうが楽しかった。間をあけて得をしたのは繰り返しの側で、混ぜて聴く楽しさは、間をあけるとむしろ大きく下がった。たった1分で、多様さの価値が逆転している。先のネルソンらの研究の最初の実験では、コメディ番組『タクシー』の1話を広告つきで見た学生のほうが、広告を抜いて見た学生より、その番組を好んだ。しかも、それぞれの条件の詳しい説明を読んだだけの別の参加者たちは、広告が入れば番組はつまらなくなると予測していた。

新しいものを探し直す手間がいらない、すでに一度面白かった活動が色あせてきた段階でも使える、という点で手軽ではある。けれども、どれも数分から数十分の、食べ物や音楽や映像での実験で、何か月も続く趣味の飽きに同じ効き方をするかは分かっていない。中断の効果は年長の参加者では逆向きになる傾向があり、予備調査で慣れが起きにくかった映像(テンポの速い踊りの場面1本)では効果が見られなかった。もう分かってしまった部分を細かく分け直しても、未知そのものが増えるわけではない。また、ガラクらの実験では、混ぜて聴くことが効いたのは続けて聴くときだけで、間をあけると逆効果だった。区別して数えることを多様さを足す手だと読めば、日をあけて触れる活動では効き方が変わるかもしれない(これは私の推論だ)。最初に挙げたジョギングの道の例は、まさにその側に当たりうる。区別して数える手の根拠も、すべて楽しさを測った実験で、面白さの実験ではない。

自分の生活とのつながりを、言葉にしてみる

四つの中で、始めるのがいちばん軽いのはこれだろう。始めた活動が、自分の仕事や暮らしのどこにつながるのかを、何度か短く書き出してみる、という手だ。元の実験では、1学期のあいだに数週おきに、平均で4〜5回書かせている。もとになっているのは、ハルマンとハラキウィッツが2009年に科学誌『サイエンス』で報告した、高校の理科の授業での無作為化実験だ。学んでいる内容と自分の生活とのつながりを考えるよう促す活動で、理科への興味と成績が上がった。効果が出たのは、もともと自分はうまくできないだろうと思っていた生徒だった。成績のデータは1校の100人ほどで、著者ら自身が再現の必要を書いている。そこから類推すると、始めてはみたものの続けられる気がしない、という段階の人の足がかりにはなりうる——ただしこれは研究の範囲を超えた、私の推測だ。本人が選んでいない学校の科目での話で、自分で選んだ趣味に同じ効き方をするかは確かめられていない。つながりを探すことが「役に立つかどうか」の採点に変わってしまえば、余暇としての手触りも失われるだろう。

人や場を足場にする、という手も考えた。ハイディとレニンガーのモデルでは、初めの段階の興味は周囲の後押しに支えられるとされている。ただ、四段階モデルの実証的な裏づけは限られているという評価を、先に見た。この支えを趣味で確かめた研究にも今回はたどり着けなかったので、ここでは手段として挙げずにおく。

ピーテル・サーンレダムの絵画『ブールケルク教会堂内部』。柱廊が奥へと幾重にも重なり、層をなす複雑さを思わせる。

動き続ける一点のそばで

フローの研究で知られるミハイ・チクセントミハイは、技能と課題の難しさが釣り合ったときに深い没頭が生まれると論じ、のちに(エンゲザーとラインベルクの解説によれば)、どちらも高い水準にあるときに限る、という形に改められた。その釣り合いは、この記事で見てきた二つの評価の釣り合いとよく似ている。違いがあるとすれば場面で、フローが扱うのは始めたあとの最中の没入、シルヴィアの実験が測ったのは、対象を目の前にしたその場での評価だった。それを「近づくかどうかの手前の判定」と読むのは私の解釈だが、趣味探しで問題になるのは、たいていこちらの場面だと思う。没頭が実際にどこで起きているかについては、余暇より仕事の最中に条件がそろっていたという記録もある。

どちらの釣り合いも、止まっていない。理解が進めば新奇性の評価は下がり、対処可能性の評価は上がる。シルヴィアの評価の理屈に従えば、面白さが生まれていた一点は、上達した分だけ奥へずれていく。もっとも、好ましさを測った音楽の実験では、複雑さによる山もずれも現れなかった。ここに書いたことは、実験で確かめられたものではなく、シルヴィアの理屈からの推論だ。「面白い趣味」を探して見つからないのは、探し方の問題だけでなく、探しているものが、上達とともに動き出す種類のものだからなのかもしれない。

だとすると、最初に問うべきだったのは「何が面白いか」ではなく、「その一点が奥へずれていったとき、自分はついていきたいと思えそうか」の方だったのかもしれない。それに答えられるのは、ランキングでも、この記事でもない。好きだった曲が色あせかけたとき、それを飽きと呼ぶのか、まだ聴き取れていない部分と呼ぶのか。その呼び方を決めているのは、たぶん自分の側だ。

出典

  • Berlyne (1960). Conflict, Arousal, and Curiosity. McGraw-Hill. doi:10.1037/11164-000(原書未見。書誌と章題「Novelty, Uncertainty, Conflict, Complexity」は Crossref で確認。照合変数の説明は原書では確かめていない)
  • Berlyne (1970). Novelty, complexity, and hedonic value. Perception & Psychophysics, 8(5), 279–286. doi:10.3758/BF03212593(抄録で確認)
  • Berlyne (1971). Aesthetics and Psychobiology. Appleton-Century-Crofts.(原書未見。逆U字の快の理論の出典として、Madison & Schiölde 2017、Güçlütürk et al. 2016 の紹介による)
  • Silvia (2005). What is interesting? Exploring the appraisal structure of interest. Emotion, 5(1), 89–102. doi:10.1037/1528-3542.5.1.89(抄録で確認)
  • Turner, Silvia (2006). Must interesting things be pleasant? A test of competing appraisal structures. Emotion, 6(4), 670–674. doi:10.1037/1528-3542.6.4.670(抄録で確認)
  • Güçlütürk, Jacobs, van Lier (2016). Liking versus complexity: Decomposing the inverted U-curve. Frontiers in Human Neuroscience, 10, 112. doi:10.3389/fnhum.2016.00112
  • O'Keefe, Dweck, Walton (2018). Implicit theories of interest: Finding your passion or developing it? Psychological Science, 29(10), 1653–1664. doi:10.1177/0956797618780643
  • Thompson, Spencer (1966). Habituation: A model phenomenon for the study of neuronal substrates of behavior. Psychological Review, 73(1), 16–43. doi:10.1037/h0022681(原論文未見。内容は Rankin et al. 2009 による紹介)
  • Rankin et al. (2009). Habituation revisited: An updated and revised description of the behavioral characteristics of habituation. Neurobiology of Learning and Memory, 92(2), 135–138. doi:10.1016/j.nlm.2008.09.012
  • Hidi, Renninger (2006). The four-phase model of interest development. Educational Psychologist, 41(2), 111–127. doi:10.1207/s15326985ep4102_4(原論文未見。抄録と、Rotgans & Schmidt 2017 による各段階の要約、別の論文での原文の引用で確認)
  • Rotgans, Schmidt (2017). Interest development: Arousing situational interest affects the growth trajectory of individual interest. Contemporary Educational Psychology, 49, 175–184. doi:10.1016/j.cedpsych.2017.02.003(著者稿で確認)
  • Rotgans, Schmidt (2014). Situational interest and learning: Thirst for knowledge. Learning and Instruction, 32, 37–50. doi:10.1016/j.learninstruc.2014.01.002(抄録で確認。「状況的興味は知識が満たされると下がる」という見方の紹介は Rotgans & Schmidt 2017 による)
  • Madison, Schiölde (2017). Repeated listening increases the liking for music regardless of its complexity: Implications for the appreciation and aesthetics of music. Frontiers in Neuroscience, 11, 147. doi:10.3389/fnins.2017.00147
  • Montoya, Horton, Vevea, Citkowicz, Lauber (2017). A re-examination of the mere exposure effect: The influence of repeated exposure on recognition, familiarity, and liking. Psychological Bulletin, 143(5), 459–498. doi:10.1037/bul0000085(抄録で確認)
  • Nelson, Meyvis, Galak (2009). Enhancing the television-viewing experience through commercial interruptions. Journal of Consumer Research, 36(2), 160–172. doi:10.1086/597030
  • Redden (2008). Reducing satiation: The role of categorization level. Journal of Consumer Research, 34(5), 624–634. doi:10.1086/521898(全文で確認)
  • Galak, Kruger, Loewenstein (2011). Is variety the spice of life? It all depends on the rate of consumption. Judgment and Decision Making, 6(3), 230–238. doi:10.1017/S1930297500001431
  • Hulleman, Harackiewicz (2009). Promoting interest and performance in high school science classes. Science, 326(5958), 1410–1412. doi:10.1126/science.1177067(本文で確認)
  • Csikszentmihalyi (1975). Beyond Boredom and Anxiety. Jossey-Bass.(原書未見。釣り合いのモデルの出どころとして、Engeser & Rheinberg 2008 の解説による二次情報)
  • Csikszentmihalyi, Csikszentmihalyi (1988). Optimal Experience: Psychological Studies of Flow in Consciousness. Cambridge University Press.(原書未見。「どちらも高い水準」への改訂の出どころとして、Engeser & Rheinberg 2008 の解説による二次情報)
  • Engeser, Rheinberg (2008). Flow, performance and moderators of challenge-skill balance. Motivation and Emotion, 32(3), 158–172. doi:10.1007/s11031-008-9102-4(二次情報として使用。フローの定義の変遷の解説。原典は開けなかった)
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