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趣味の場で人と会うとき、見ているのは条件ではない
マッチングアプリの条件検索に慣れると、つい忘れてしまう出会い方について。趣味を通じて人と会うとき、実際に見えてくるのは年齢や職業ではなく、その人が何を大切に生きているかという部分だった、という話。
条件を絞り込み、スワイプで相手を選ぶ。効率的な出会い方だとは思う。ただ、条件が合っているはずなのに、実際に会うと会話が続かないということが、自分にも何度かあった。年収や趣味の項目は一致していたのに、何かが噛み合わない。その正体を考えるようになったのは、趣味を通じて知り合った人たちとの関係のほうが、なぜか長く続いていることに気づいてからだ。
プロフィールに書けないもの
マッチングアプリのプロフィールは、属性の一覧になりやすい。年齢、職業、休日の過ごし方。だがそこに書かれていない情報のほうが、実際には関係の質を決めている気がする。たとえば「登山が趣味」という一文の裏には、頂上に着くまでのタイムを競いたい人もいれば、途中の景色や会話を楽しみたい人もいる。同じ趣味でも、そこに求めているものはまるで違う。
趣味の場で人と出会うのが違って感じられるのは、この「求めているもの」が行動として先に出てしまうからだと思う。ボルダリングで、登れなかった課題にどう反応するか。焚き火の後片付けをどこまで丁寧にするか。読書会で、自分と違う解釈をどう扱うか。プロフィールには書かれないそうした振る舞いのほうが、条件の一致よりずっと雄弁に、その人が何を大切にしているかを語る。
出会いを目的にすると、たぶんうまくいかない
とはいえ、趣味の場を出会いの手段として割り切ってしまうと、たいてい居心地が悪くなる。周りにもすぐ伝わるし、何より自分自身がその趣味を楽しめなくなる。結局のところ、その活動自体を面白がれているかどうかが先にあって、人との縁はその副産物として現れるものらしい。順番を逆にすると、うまくいかないことのほうが多い。
一人で知らない場に飛び込むのは、多少の勇気がいる。ただ「一人で来た」という事実は、興味や好奇心が本物であることの、ある種の証明でもある。案外、講師や主催者のいる場を選べば、周りが自然に橋渡しをしてくれることも多い。
結局、何を見ているのか
失敗をどう扱うか。初心者にどう接するか。自分の道具や、共有スペースをどう大事にするか。会話がなくても気まずくないかどうか。こうした細部の積み重ねが、条件のフィルタリングでは決して見えてこない部分を教えてくれる。
効率のいい出会い方を否定するつもりはない。ただ、自分が本当に続けたいと思える趣味を持ち、そこに没頭していれば、その先に誰かがいてもいなくても、それはそれで十分だという気もしている。出会いはあくまで、その後についてくるものだ。
