会社の肩書きが揺らいだとき、それ以外の居場所はあるか
仕事の役割だけにアイデンティティを預けることの危うさについて。ニッチな趣味のコミュニティが持つ、損得抜きの繋がりを考えてみる。
心理学者パトリシア・リンヴィルが提唱した自己複雑性理論という考え方がある。自分をどう見ているかという自己像のカテゴリーが多い人ほど、一つの領域での失敗や挫折に対する耐性が高いという説だ。仕事だけに自己像を依存していると、プロジェクトの失敗が「自分そのものの否定」に直結してしまう。逆に、仕事以外にも自分を支える面がいくつかあれば、一つがうまくいかなくても、他の面がそれを受け止めてくれる。理屈としては筋が通っている気がする。
社会学者マーク・グラノヴェッターの「弱いつながり」の研究も、似たことを別の角度から言っている。家族や職場のような密な関係よりも、趣味の集まりのような緩い関係の方が、新しい情報や視点をもたらしやすいという指摘だ。強いつながりは安心を与える一方、「あなたはこういう人間だ」という過去の文脈も一緒に運んでくる。趣味の場では、その文脈を一度脇に置いて話せる余地がある。
ただ、人脈作りを目的にした異業種交流やビジネス系のオンラインサロンは、この「弱いつながり」とは少し違う気がする。そこには「いつか役に立つかもしれない」という計算が、多少なりとも混じっている。純粋に対象への興味だけで人が集まる場所とは、居心地の質が違う。
名刺を持たずに趣味の集まりに出る、というのを一度試してみたことがある。最初の自己紹介で何を名乗ればいいのか分からず、少し戸惑った。ただ、それは悪くない戸惑いだった。肩書きなしで自分を説明しようとすると、普段どれだけ「何をしている人か」で自分を語っていたかに気づかされる。
そういう場所では、知らないことを知らないと言いやすい。仕事の場では知識の欠如はリスクになりがちだが、趣味の場では「教えてください」の一言が、むしろ相手への敬意として受け取られる。この非対称さが、なぜか心地よかった。
会社という主軸が揺らいだときに、それ以外に自分を支えるものがあるかどうか。答えを急いで出す必要はないと思うが、少なくとも損得の外にある場所を一つ持っておくことは、悪い保険ではない気がしている。
