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手を動かす趣味に、何を期待しているのか
「物理世界の主権を取り戻す」という説明を面白いとは思うが、実際に手を動かしているときに考えているのは、結果がその場でわかることへの単純な安心感だ。
仕事の大半は、画面の中で完結する。数字を動かし、文章を書き、誰かとやり取りをする。それ自体に不満はないのだが、一日の終わりに、指先が何にも触れていなかったことに気づく日がある。そういう日に限って、革を切ったり、壊れた道具を分解したりしたくなる。
この感覚を「物理世界の主権を取り戻す」というような言葉で説明している記事を見かけたことがある。読んだときは面白かったが、自分が実際に手を動かしているときに考えていることは、そんなに大それたものではない気がする。
フィードバックが速いだけ、なのかもしれない
革を漉きすぎれば破れるし、力の入れ方を間違えれば針が曲がる。結果はその場でわかる。仕事の多くは、何かをやった結果がわかるまでに数週間、時には数ヶ月かかる。その差が、手を動かす作業を気持ちよく感じさせている一番の理由なのだと思う。世界を支配している感覚というより、単純に、結果がすぐ返ってくることへの安心感に近い。
時間がかかることを、そのまま受け入れられる
数週間かけて一つの作品を仕上げる過程が、長期的な忍耐力を鍛えるという説明も見たことがある。それが仕事の粘り強さにそのまま転じるかどうかは、正直なところ検証のしようがない。ただ、時間をかけることに慣れておくと、他の場面でも「今すぐ結果が出なくても仕方がない」と思える瞬間は増える気がする。因果関係とまでは言えないが、無関係でもない、というくらいの距離感で捉えている。
直せることと、直したいと思うこと
壊れた道具を自分で直せると、買い替える判断を先延ばしにできる。これは経済的な理由でもあるが、それ以上に、まだ使えるものを手放さずに済むという単純な満足感が大きい。すべてを直そうとは思わないし、直せないものも多い。それでも、分解して原因を探すという工程そのものが、ただ買い替えるよりも面白いと感じることは多い。
道具に慣れていくこと
使い込んだ工具は手に馴染む。それだけの話だが、手に馴染んだ道具で作業をしていると、道具を選んでいる時間が減り、作業そのものに意識が向く。誰にも邪魔されない作業スペースがあると集中しやすいのも事実だが、それは「聖域」というほど神聖な話ではなく、単に電話や通知が届かない場所のほうが作業に集中できる、というだけのことだと思う。
結局、地味な理由でやっている
手を動かす趣味を続けている理由を並べてみると、結果がすぐわかる、時間をかけることに慣れられる、直せるものが増える、道具に慣れていく、といった地味なものばかりが残った。物理世界の主権を取り戻すというような大きな話にしなくても、これくらいの理由で十分に続けられている。むしろ、そう言い換えないほうが、実際にやっていることに近い気がする。
