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ミッドライフ・クライシスと、趣味の再定義

ミッドライフ・クライシスと、趣味の再定義

40代前後で感じる名前のつかない虚無感は、若さの喪失というより、社会的役割の下に隠れていた自分への合図なのかもしれない。ユングやエリクソンの視点を借りながら、かつての情熱と今の経験をどう重ねられるか考える。

TOMOAKI··趣味

夕暮れの帰り道や、ふと一人になった深夜に、名前のつかない虚無感に襲われることがある。社会的な地位もそれなりに得て、家族も安定していて、物質的には満たされているはずなのに、心のどこかが乾いている感覚。「このまま役割をこなすだけで人生が終わるのだろうか」という問いが浮かんでくる。いわゆる「ミッドライフ・クライシス」と呼ばれる状態は、たいていこのあたりから始まる。

この状態を「若さへの未練」として片づけ、アンチエイジングや新しい刺激を勧める語り方をよく見かける。でも、この虚無感の正体は、若さの喪失というより、長年かぶり続けてきた社会的役割——上司、親、配偶者としての自分——が、その下にいたはずの自分を覆い隠してしまったことへの反応なのではないかと思う。

昔の趣味を再開しても満たされない理由

虚無感を埋めようとして、20代の頃に熱中した趣味を再開してみることがある。ギターを引っ張り出す、昔のようにロードバイクに跨る。ただ、そこで感じるのは期待していた高揚感ではなく、「あの頃ほどの熱量はもうない」という二重の喪失感であることも少なくない。それは衰えというより、単に今の自分が求めているものの質が変わったからだと思う。二十年かけて身につけた考え方や経験を、当時と同じやり方でなぞっても、当時と同じ満足は得にくい。

燃え尽きているのか、退屈しているのか

中年期の停滞には、大きく分けて二つのパターンがあるように見える。一つは、仕事や子育て、親の介護といった役割を完璧にこなそうとして、自分のエネルギーが尽きてしまう「燃え尽き」。もう一つは、先が見えてしまったことによる「退屈による疲弊」——仕事も家庭も安定しているぶん、新しい刺激がなく、成長が止まったと感じる状態だ。どちらの状態にいるかによって、必要な休息のかたちはたぶん違う。

ユングの「人生の正午」

心理学者のユングは、40歳前後を「人生の正午」と呼んだ。前半生は社会の中で居場所を築き、自我を広げていく時期で、正午を過ぎた後半生の課題は、それまで社会的な要請に応えるために脇に置いてきた自分の一部を拾い集め、一人の人間として統合していくことにある、とされる。彼はこれを「個性化」と呼んだ。中年期に感じるもやもやは、この統合を求める過程の一つの表れなのかもしれない。

仕事という一つの領域に自分の存在価値を全部預けてしまうと、その価値が揺らいだときに人生ごと揺らいでしまう。趣味や個人的な関心を育てておくことは、分散投資に近い意味を持つのだと思う。

かつての情熱と、今の経験を重ねる

大人になってから趣味に飽きやすいのは、単純に難易度が低すぎることが多い気がする。若い頃にやっていたことを、今の自分が培ってきた考え方や経験と重ね合わせると、同じ対象でも別の入り口が見えてくることがある。バンドをやっていた人が、演奏そのものよりイベントの企画や運営に関心を持つようになったり、絵を描いていた人が、なぜその色を選んだのかを言葉にすることに面白さを見出したり。かつて「あんなに時間をかけたのに辞めてしまった」と思っていたことも、今から振り返れば単に熟成に時間がかかっただけだったのかもしれない、と思えることがある。

評価されない時間を確保する

長年演じてきた社会的な役割が、単なる役割を超えて自分の一部のようになってしまうと、その下で息をひそめていた個人的な好奇心は出口を失う。何の役にも立たず、誰にも評価されない時間を、意識して確保することが、その閉塞感をほぐす一つの手立てになる。

まとまった時間が取れないなら、日常の隙間に差し込む数分でも構わない。万年筆で紙に何かを書きつける、手動のミルで豆を挽く、観葉植物の葉を眺める。そうした物理的な感覚に意識を向ける短い時間が、画面から離れられずにいる意識を、今ここにある体に引き戻してくれる。

誰かに手渡す

心理学者のエリク・エリクソンは、中年期の課題を「次世代への継承」に見出した。自分の趣味を極めた先で、それを誰かに教える、コミュニティを育てる、後に残る何かを作る、という視点を持つこと。木工を趣味にしている人が近所の子どものために遊具を作ったり、独学で身につけたことをブログにまとめて公開したりするのも、その一つのかたちだと思う。仕事の成果とは違う種類の充足感がそこにはある。

人生の後半を「余生」と呼ぶのはやめておきたい。若さという太陽が沈んだあとに昇る月のように、静かに、別の種類の光を放つ時期があってもいいはずだ。