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「8時間休息」と「8時間睡眠」のあいだ――通説の6つの手口
ノーベル賞受賞者の「少なくとも22倍」は、何と比べた倍率か。このサイトの以前の版は、それを「最大」と書いていた。通説を検証した8本の記事を並べ直し、数字を変えずに意味を変える6つの手口を見ていく。
8本の記事を、横に並べてみる
朝型は得をするのか。情熱は先に見つけるものか。一つに絞るか、広げるか。断捨離は効くのか。プロテインは30分以内か。8時間眠るべきか。スマホを減らせば幸せになるのか。旅より住むほうが創造的になるのか。このサイトには、こうした通説を一本ずつ原典に戻して読み直した記事が8本ある。睡眠とキャリアと筋トレと片付けの話は、書店ならまるで別の棚に並ぶだろう。
ところが横に並べると、似た形が目につく。まず、どの通説も、まるきりの作り話ではなかった。8時間睡眠の話にしても、根拠がまったくないわけではない。米国睡眠医学会と睡眠研究学会が2015年に出した合同声明は、15人の専門家が5,314本の論文を検討したうえで、18歳から60歳の成人に「7時間以上」の睡眠を推奨している。8時間ではないが、こちらには論文の裏付けがある。根拠に挙げられる研究はたいてい実在し、数字も原典に載っている。形を変えていくのは、数字が人の手から手へ渡る途中で、その前後に付いていた言葉や、比べる相手や、目盛りのほうだ。
その変わり方の実例は、このサイトの中にもある。記事の以前の版に入り込んでいたからだ。ノーベル賞受賞者がアマチュアの演者である確率の「少なくとも22倍」は、以前の版では「最大」と書かれていた。朝型・夜型の遺伝率は「およそ40〜60%」とされていたが、上限の60%に当たる一次の数字は見つからなかった。いまの本文は、それぞれの箇所でそう断っている。通説の伝言ゲームの列には、このサイトも並んでいたことになる。
以下では、8本の現行の本文を材料に、数字が形を変える手口を6つに分けて並べる。この記事は新しい研究を持ち込まない。研究の数字と結論は元記事が確かめた範囲にとどめる。元記事が原典をどこまで確かめたかは、出典欄の注記に引き継いだ。本文では、抄録や二次情報にしか拠っていない数字のうち、主なものにそう書く。
手口一:「少なくとも」が「最大」に変わる
最初の例は、ノーベル賞受賞者の「22倍」だ。生理学者ロバート・ルート=バーンスタインらが2008年に発表した論文は、ノーベル賞受賞者510人などの趣味を、伝記や追悼記事から拾い出した。比べる相手は、科学研究者の団体シグマ・サイが1936年に会員に実施したアンケートだ。芸術や工芸の趣味の数は、一人あたりの平均で受賞者が0.94、シグマ・サイの会員が0.33。分野別では、俳優や踊り手などの演者が「少なくとも22倍」、執筆が「少なくとも12倍」と書かれている。「最大」が付いているのは、音楽(「少なくとも2倍、最大で18倍」)と写真(「少なくとも同程度、最大で8倍」)だけだった。
値札の「3,000円から」の「から」は、たいてい小さな字で書かれ、人に伝えるときにはそこから先に落ちる。「少なくとも」は、その「から」にあたる。中身もある。シグマ・サイの会員42,525人のうち、趣味を回答したのは4,406人、10.3%にとどまる。著者らは、答えなかった会員も回答者と同じ分布だったと仮定し、受賞者のほうは、情報のなかった約2割を「趣味なし」と数えた。どちらも、受賞者との差を小さく見せる側の仮定だ。「少なくとも」は、この差を小さく見せる側の数字を指すと読むのが自然だ、と元記事は書いている(倍率の一つひとつがどちらの仮定から出たのかまでは、図の数値が本文にないため確かめきれていない)。
そこから「少なくとも」が抜けると、下限が上限に裏返る。数字そのものは原文にあるので、誤りに気づきにくい。後年、ルート=バーンスタインが共著者に加わったラモアらの論文は、同じ比較を「少なくとも15倍、最大35倍」と要約していて、2008年の本文のどの数字ともそのままでは合わない。伝言は、著者の一人が加わった論文の中で、すでに始まっていた。
「1万時間」は、条件の言葉を落としてできた数字に近い。心理学者アンダース・エリクソンらが1993年に発表した、ベルリンの音楽大学のバイオリン学生30人の研究で、本文が検定にかけたのは18歳時点の累積練習時間、最優秀群の7,410時間のほうだ。元記事が読んだ範囲では、原論文の本文に「1万時間」という語が出てくるのは考察の1か所だけだった。累積のグラフから20歳ごろに1万時間前後と読み取れる、という程度の数字だ。それを「法則」と呼ぶ言い方は、のちにマルコム・グラッドウェルが著書で広めた。エリクソン本人はその呼び方を好まなかったと伝えられているが、これは追悼記事などによる二次情報だ。
「少なくとも」とは反対向きに落ちる言葉もある。成人にSNSを完全に休止させた実験10本、合計4,674人を統合したレマイウらの2025年のメタ分析は、感情にも生活満足度にも、統計的に意味のある変化を見つけなかった。効果量は0.03、−0.01、0.03で、ほぼゼロだ。この結果を「SNSをやめても効果はないと証明された」と言い換えると、著者たちの留保が消える。著者たちは検出力の低い研究が多いことを認めていて、元記事の言い方では、結論は「あったとしても、この規模の実験では見つけにくい大きさだ」に近い。留保が抜け落ちるとき、数字は大きくなる方向にも、ゼロに張り付く方向にも動く。
手口二:言葉はそのままで、中身が入れ替わる
「8時間睡眠」の8時間は、もともと睡眠の数字ではなかった。8時間という数字の起点としてよく語られるのは、ロバート・オウエンが1817年に掲げたとされる「8時間労働、8時間娯楽、8時間休息」という標語だ。年号は労働運動史の概説による二次情報で、元記事も一次資料には当たれていない。ここでの8時間は「休息」で、工場の長い労働時間を切り詰めるために24時間を三等分した、労働時間の話だった。誰かの体を測って出した数字ではない。いまの推奨は、冒頭で触れた「7時間以上」のほうだ。休息の8時間と、推奨の7時間以上。そのあいだに「8時間睡眠」という呼び名が定着した経緯を、元記事の材料は一本の線ではたどれない。
ソーシャル・ジェットラグという用語は、ミュンヘンのヴィットマンらが2006年に、501人のボランティアの質問票を調べた論文で名付けられた。後の総説の説明では、指しているのは、平日と休日の睡眠の中点のずれの大きさだ。研究者たちが長期の睡眠日誌を眺めると、まるで金曜の夜に西へ数時間分飛び、月曜の朝に戻ってくるように見えた、というのが名前の由来だという。週の単位で起きる現象で、毎朝の話ではない。このサイトの以前の版は、夜型は毎朝、時差ボケに近い状態を強いられ、朝型の体内時計は9時始業とほぼ重なる、と説明していた。提唱した研究者自身は、2019年の総説で、非常に早いクロノタイプを除くほとんどの人が平日に睡眠負債を溜めると書き、2023年の記事では、ミュンヘン式質問票の利用者の80%超が平日にアラームを使っていると述べている。名前の響きのほうが、名付けた人の定義より遠くまで届いていた。その提唱者たちは、元の定義は単純すぎるかもしれない、と自分で書き足してもいる。
「散らかりが注意を奪う」という話の出どころとして語られることの多いマクメインズとカストナーの2011年の論文は、散らかった机も部屋も使っていない。被験者は10人で、fMRIの装置の中で、単純な図形を組み合わせた錯視図形を見ていた。示されたのは、視覚野の中の刺激どうしの競合と注意の関係だ。部屋の散らかりは、実験の対象に入っていない。
35万人を超える若者を調べたオーベンとプシビルスキの2019年の研究が測ったのは、スマホに限らず、テレビやゲームも含めたデジタル技術の利用全般だった。そして、この種の研究の多くは、「1日に何時間使いますか」と本人に尋ねた回答でできている。自己申告と端末の記録を比べた44の研究、合計5万2,007人分のメタ分析(パリーら、2021年)では、両者の相関は0.38にとどまる。実測値の5%以内に収まった比較は、49件中3件だった。元記事の節の見出しを借りれば、測っているのはスマホの時間ではなく、スマホの時間についての記憶だった。
旅行と居住の線引きは、論文の側で決めていなかった。「旅より住むほうが創造性に効く」の出どころになったマドックスとガリンスキーの2009年の論文は、二つを分ける基準も期間の下限も示さず、参加者にそれぞれの期間を自己申告させている。同じ設問への旅行期間の答えの平均は、実験1で32.59週、実験2のMBA学生では11.90週で、3倍近く違った。
グリットを扱ったクレデらの2017年のメタ分析(6万6,807人)は、一つの語の下に性質の違うものが同居している例になる。抄録によれば、クレデらは、グリットが誠実性という既存の性格特性と非常に強く重なり、二つの下位要素のうち成果を予測する力が強いのは粘り強さのほうで、関心の一貫性は相対的に弱かった、と報告している。情熱では、向きの違いまで出てくる。ヴァレランドらは「調和的情熱」と「強迫的情熱」を分け、2010年の看護師の研究で、強迫的情熱が葛藤を介して燃え尽きにつながる道筋を報告した(追跡調査では p=.05 とぎりぎりで、どちらも相関研究だ)。そのうえ、カランらの2015年のメタ分析では、強迫的情熱は否定的な結果だけでなく、正の感情や意図的な練習とも関連していた。
引っ越しの段ボールでは、ラベルだけが正しくて中身が違う、ということがよく起きる。「台所」と書いた箱から本が出てくる。「睡眠」「時差ボケ」「散らかり」「スマホの時間」「旅行」「情熱」も、ラベルとしてはどれも正しい。開けるまで中身が分からないところが、段ボールと似ている。
手口三:大きな数字の中に、小さな数字が入っている
満席の劇場で、客席の大半が一つの団体の客だったとする。拍手の大きさは、観客の数ほどには意見の数を表していない。
睡眠時間と死亡の関係を追った前向き研究をまとめた、カプッチオらの2010年のメタ分析は、16本の研究から27の集団、合計138万人あまりを統合している。その人数のおよそ8割は、2002年にクリプキらが報告した、米国対がん協会の110万人以上の調査と同じ集団だった。138万人の大部分は、一つの調査を数え直した分にあたる。
525人が、77人になる。シェーンフェルドらの2013年のメタ分析は、プロテインのタイミングと筋肥大について23本の研究、525人分を束ねた。2016年にその学術誌に寄せられたコメントで、薬剤師のデイヴィッド・ビールは、23本のうち20本が「プロテイン対プラセボ」の比較で、どれも群間で1日の総タンパク質摂取量を揃えていなかった、と指摘した。総摂取量を揃えたうえでタイミングだけを変えた比較、つまりタイミングという問いに本来答えられる研究は、3本、合計77人分しか残らない計算になる。元記事によれば、この指摘への正式な反論が出された記録は見当たらない。シェーンフェルドらは代わりに2017年、同じ量を運動の直前に飲むか直後に飲むかだけを変えた21人の試験を行い、差は見られなかったと報告しているが、小さな試験で、論争が決着したとまでは言えない。
手口一で触れたSNS休止のメタ分析の4,674人は、内訳を見ると偏っている。メタ分析の数え方で参加者の約6割、2,813人は、Facebookを4週間止めさせたオールコットらの一本の実験が占めていた。その一本では、幸福度の指標が0.09標準偏差、生活満足度が0.12標準偏差改善していた。分析の対象は、102ドル以下で停止を引き受けると答えた人に限られている。元記事の言い方では、その生活満足度の効果は、メタ分析のなかで平均されて小さくなっている。
こちらは逆で、13人という小ささがそのまま掟になったのが、プロテインの30分ルールだ。根拠としてよく引き合いに出されるものの一つ、エスマルクらの2001年の研究は、70代の男性で、過去5年間レジスタンス訓練の経験がない人たちを対象にしていた。運動直後に摂った群が7人、2時間後に摂った群が6人で、途中で1人が脱落した結果の数だ。12週間の比較で、直後群の太ももの筋肉の断面積は7%増え、2時間後群では有意な変化がなかった。著者自身が、被験者の少なさを限界として論文に書いている。その実験が、年齢も訓練歴も違う人たちにまで、一つの時計を持たせる話になった。
「旅より住む」の論文で、条件を無作為に割り当てた実験3は、フランスの大学生65人を4条件に分けたもので、1条件あたり約15人。全員が、もともと海外に住んだ経験のある人だった。外国で暮らす一日を想像して書いた条件の平均正答数は12題中7.07、統制条件は4.07で、差は3題ぶんだ。住んだことのない人に居住を想像させたら効くのか、という問いには、この実験は答えていない。
手口四:並んでいるだけのものに、矢印が描き込まれる
関連は、どこで原因に読み替わるのか。題名の段階で、すでに読み替わっていることがある。2008年のルート=バーンスタインらの論文の題は「芸術は科学的成功を育む」だった。データが示すのは、受賞者の趣味が多いという関連までだ。著者自身も、才能が広かった、何にでも秀でる意欲があった、趣味が科学に役立つ技能を育てた、趣味は科学の技能の反映にすぎない、といった要因のそれぞれが役割を果たしているはずだと書いている。論文が引く受賞者の回想について、著者らは別の論文で、受賞者の語りは「しばしば事後の合理化」だと認めた。
110万人の調査、クリプキらの2002年の研究は、抄録によれば、7時間で死亡率が最も低いU字型の曲線を描いた。睡眠時間は自己申告で、短時間睡眠に伴うリスクの多くは持病を含む他の要因で説明できる可能性がある、と著者自身が留保をつけている。カプッチオらのメタ分析も、長い睡眠が体に害を与える仕組みを示した研究はこれまでに一つもない、と認めたうえで、長い睡眠は病気の「目印」かもしれない、と書いた。火事の現場に消防車が多いからといって、消防車が火事を大きくしているわけではない。U字の右側も、原因ではなく、病気が近くにあることを知らせる合図なのかもしれない。
0.24が、0.14になる。シェーンフェルドらのメタ分析で、プロテインを早く摂った群の有利さは、単純に見ると効果量の差0.24、p=0.02だった。そこへ「1日の総タンパク質摂取量」という変数を一つ加えると、差は0.14、p=0.19になり、統計的に有意とは言えなくなった。
断捨離の記事では、自分は簡素に暮らしていると申告した200人と、一般の200人を比べたブラウンとカッサーの2005年の研究が、似た動きを見せる。測ったのは持ち物の量ではなく、自己申告の「簡素な暮らし」だ。簡素に暮らす人は個人の年収が約26,000ドルと一般の人(約41,700ドル)より少ないのに、生活満足度は4.47対4.23とわずかに高かった(p=.03)。しかし、価値観とマインドフルネスを同時にモデルに入れると、簡素な暮らし方そのものはウェルビーイングと関係しなくなった。横断調査なので、因果は言えない。
実験で矢印の長さを測ると、相関とは違う長さが出る。オールコットらのFacebook停止実験では、実験の最初に測った利用時間と幸福度の横断的な関連は約0.23標準偏差だった。停止によって観察された因果的な差は0.09。この実験では、相関のほうが因果の2.5倍ほど大きく出ていた。
ヘファーらの2019年の研究では、女子と男子で、見えてきた向きがそろわなかった。思春期の若者を2年にわたって追跡したもので、女子では抑うつの強さが1年後のSNS利用の多さを予測し(係数0.11)、逆向きの関連は見つからなかった。男子では、SNS利用が1年後の抑うつを予測する向きの係数が0.13〜0.15で出たものの、調整を加えるとp値が.051まで上がり、有意とは言えなくなった。
手口五:集団の数字が、一人ひとりへの指示書になる
クラーマンとダイクの2008年の実験は、好きなだけ眠れる条件を作って睡眠を測った。時刻の手がかりを取り除いた部屋で、1日16時間をベッドで過ごさせると、睡眠時間は日を追って短くなり、若い35人は8.9時間、60歳から76歳の18人は7.4時間に落ち着いた。若い人たちの普段の睡眠時間は、6.1時間から10.3時間までばらついていた。8時間は、どちらの組の値とも一致していない。もともと誰の体も測っていない数字なので、一致しなくても驚くことではない。元記事の言葉を借りれば、二つの組のあいだに線を一本引いて全員に配ることの粗さが、ここから見えてくる。全員の靴を一つのサイズで作る店はないが、一つの数字が一人ひとりへの指示として配られることは珍しくない。
オランダのベイエンスらは2020年に、平均の内側を一人ずつ分けて見た。14歳から15歳の63人に7日間、1日6回、気分を答えてもらい、一人ずつ別々に分析したものだ。受動的なSNS利用のあとに気分が良くなった人が46%、影響がないか小さい人が44%、悪くなった人が10%だった。63人で、幸福度も1項目だけで測っているので、この割合を一般化することはできない。同じチームが387人を3週間追跡した研究では、抄録によれば、心理学の理論が予測するパターンにそのまま合う反応を示した人は、387人のうち1人だけだった。
練習時間の平均は、群の順番どおりにも並ばず、群の内側でも割れていた。エリクソンの研究をほぼ同じ手順でやり直した、マクナマラとマイトラの2019年の再現研究(39人)では、最優秀群の週あたりの一人練習は22.69時間で、優秀群の30.65時間より少なかった。その最優秀群の中でも、累積練習時間は3,978時間から14,664時間まで、3.7倍の開きがあった。
職種でまとめると、同じ仕事の中の違いは見えなくなる。レズニエスキーらの1997年の研究では、自分の仕事を「単なる仕事」「キャリア」「天職」のどれに近いと感じるかで分類できた135人が、44人、43人、48人とほぼ3等分に分かれた。同じ職種の大学の事務職員24人だけを抜き出しても、9人、7人、8人に分かれていた。著者たち自身が、この結果は手がかり以上の意味を持たないと断っている。天職かどうかが職種だけでは決まらないらしい、という程度のことなら、この小さな数字からもうかがえる。
集団の数字を一人に当てはめる取り違えがいちばん起きやすいのは、遺伝率という言葉だろう。遺伝率は平均ではなく、ある集団の、ある環境の中での、形質のばらつきのうち、遺伝子の違いで説明できる割合だ。朝型・夜型の傾向について、69万人あまりのゲノムを解析したジョーンズらの2019年の研究は、関連する遺伝子座を351か所見つけた。これは「統計的に関連する領域」の数で、より厳しい基準では258になる。ゲノム全体のありふれた変異が説明するばらつきは13.7%。朝型に関連する変異を集めたスコアの上位5%と下位5%を比べても、一日のうちでいちばん動かない5時間の時刻の差は約25分だった。双子研究の遺伝率はもっと大きく、元記事が抄録で確かめた範囲では44〜52%だった。どちらも集団のばらつきの割合で、一人ひとりの中の割合ではなく、「変えられない」という意味でもない。ライトらの2013年の実験では、8人が電灯のない1週間のキャンプをしただけで、メラトニンの分泌のタイミングが約2時間早まった。このサイトの以前の版は、体内時計の位相を根性で巻き戻すのは身長を根性で伸ばすのに近い、と書いていた。いまの本文は、位相のほうは1週間のキャンプで2時間動いたとして、動かせないものの例には向かない比喩だった、とそれを撤回している。
論文の本数で数えた多数派の陰に、例外が隠れていることもある。マクレランらの2022年の系統的レビューで、成績を扱った9本の論文のうち7本は遅い専門特化に有利だったが、マラソンとサッカーの2本は早い専門特化に利点を報告していた。元記事は、「9本中7本」は論文の本数であって効果の大きさではないこと、データの大半が回顧的なアンケートであることも書き添えている。
手口六:大きさの目盛りが、途中で外される
デジタル技術の利用が説明できる若者の幸福度のばらつきは、オーベンとプシビルスキの分析で、多くても0.4%だった。この数字は、分析の組み合わせを洗い出してその全体を眺める「仕様曲線分析」という手法で出されている。論文自身が置いた目盛りが面白い。米国のデータでは、技術利用と幸福度の関連は「ジャガイモを定期的に食べること」とほぼ同じ強さ(0.9倍)で、英国のデータでは「眼鏡をかけること」のほうが、負の関連が1.5倍強かった。ジャガイモと眼鏡は、幸福度にほとんど関係しないと考えられる基準線として置かれている。元記事は、この0.4%を「ほとんど無害」の証拠とは読まない。自己申告という粗い物差しで測った値で、本当の関連を薄めることも、水増しすることもありうるからだ。とはいえ、目盛りが付いているかどうかで、「関連がある」という一言の重さはずいぶん違って見える。
夜型性と認知能力の相関は0.08で、説明できるばらつきに直すと約0.6%(プレッケルらの2011年のメタ分析)。ソーシャル・ジェットラグとBMIの相関は0.12、説明できるばらつきは約1.4%(アラブらの2024年のメタ分析、抄録による)。オリンピック競技の13,392人分を統合したバースらの2024年のメタ分析では、ジュニア期の成績がシニア期の成績を説明する割合は2.2%だった(エリート選手の集団内での値で、子ども全体の話ではない)。どれも、有意か、関連がある、とだけ聞けば、もっと大きく響く数字だ。興味と仕事の一致については、ホフらの2020年のメタ分析が仕事の満足度との相関を0.19と報告し、興味の一致は満足度より成果のほうを強く予測すると結論している(元記事はこの論文の本文を確かめておらず、数字は抄録と大学の発表による)。元記事は、この0.19を無視できるほど小さくはないが、相関にとどまる数字だと位置づけている。
米国の大学にFacebookが導入された時期のずれを使ったブラゲリらの2022年の研究は、精神的な不調の指標が0.085標準偏差悪化したと報告した。よく引用されるのは、それを言い換えた「うつ病に該当する学生が9%、不安障害に該当する学生が12%増えた」のほうだ。これは診断ではなく、質問紙の基準に該当すると予測された学生の割合が約2ポイント増えたという意味で、導入前の割合(うつで約25%、不安で約16%)に対する増え方に直すと9%と12%になる。2ポイントと9%は、同じ変化を、差で測るか、もとの割合に対する比で測るかの違いだ。
何と比べたかも、目盛りに含まれる。「情熱に従え」という理念の影響を調べたシイらの2023年の研究(事前登録された5研究、合計1,934人)のうち、理念を操作した実験は、その理念に従ったと想像させて仮定の質問で答えさせる方法で、この理念の条件のほうが「高い収入と安定を追求すべきだ」という理念の条件より、思い描く進路の性別間の偏りが大きくなると報告した。何も言わない条件と比べると、偏りが増えるという結果は出ておらず、ある実験ではむしろ小さかった。偏りが大きいと言えるのは、収入と安定の理念と並べたときの話だ。物差しの種類でも、数字は変わる。夜型性と学業成績の関連を31研究でまとめたトネッティらの2015年のメタ分析は、抄録によれば、効果量を成績を自己申告した研究で0.171、客観的な指標を使った研究で0.093と報告している。同じ物差しでそろえた比較ではないが、ほぼ半分の差だ。
縮尺の書いていない地図では、隣の家までの距離と隣の町までの距離が、どちらも1センチに見える。0.4%も、2ポイントも、収入と安定の理念との比較も、縮尺を書き添えておかないと、地図の上では同じ長さの線になる。
通説に反論する側も、手口からは自由ではない
ここまでの手口は、通説を広める側だけのものではない。通説をひっくり返す側の話も、よく似た道をたどっている。
8時間の連続睡眠は不自然で、産業革命以前のヨーロッパの人々は夜を二つに分けて眠っていた、という対抗説がある。歴史学者ロジャー・イーカーチの研究にもとづく話だ。2023年、ニール・ボイスは、分割睡眠説の背後にある資料を見直し、分割を前提にしない解釈も成り立ちうると論じた。イーカーチは翌年に反論し、ボイスがそれに応答している。決着はついていない。電気のない暮らしを今も送るタンザニア、ナミビア、ボリビアの三つの社会で実際の睡眠を測ったイェティッシュらの2015年の研究では、平均睡眠時間は5.7時間から7.1時間で、夜の眠りが長い覚醒で途切れることはなかった。「人間本来の眠り方」という魅力的な言い方も、資料に戻ると、まだ議論の途中にある。
スマホの研究では、両陣営が一つのデータを違う切り口で測っている。トウェンギらは2022年に、オーベンとプシビルスキと同じ仕様曲線分析を条件を変えて実行し(抄録による)、SNSを全体のスクリーン時間から切り離し、女子だけに絞ると、関連の中央値は−0.11から−0.24になったと報告した。トウェンギらが引く元の論文の中央値は、−0.01から−0.04だった。それより前の2020年、オーベンとプシビルスキは、トウェンギらのコメントへの返答で英国のデータを再分析し、技術利用との関連の全体の中央値は−0.051で、眼鏡の着用のほうが相変わらず強い負の関連を持つ(−0.061)とした。そのうえで、女子に絞った値は−0.069で、全体で見た眼鏡の値を上回ることも認めている(比べている集団は同じではない)。どこで切るかで、係数は数倍動く。どちらの陣営も、相手の数字の大きさを、自分の選んだ切り口で測り直していた。
よく引かれる「住むほうが効く、旅は効かない」という要約も、原典に戻すと元の論文より強い言い方になっていた。論文の実験1では、居住期間は正解の有意な予測因子(p=.039)で、旅行期間も有意だったが符号は負(p=.049)だった。元記事は、旅行経験があるのが205人中202人とほぼ全員であることや、旅行の期間の答えが実験によって3倍近く違うことから、この負の符号の解釈は保留するのが妥当だとしている。適応の度合いが効いていたという論文の読みについても、適応は自己評価の指標で、居住期間の係数は.010から.006に下がっただけでゼロにはならず、媒介の検定もp=.034と境界的だった。論文自身が逆の因果は排除できないと書いている。続く研究も一様ではない。ヴォイティツカの2023年の調査(SNS経由で集めたポーランド人136人のオンライン調査)では、海外に住んだ長さはむしろ独自性と負の相関(r=−.21)だった。元記事の結論は、この論文だけでは「海外に住むと創造的になる」とは言えない、というものだ。「住むほうが効く、旅は効かない」という覚えやすい要約は、限定の言葉を落とし、旅行と居住の線引きをはっきりしたものとして扱い、小さな群の差を大きな結論に載せ、関連を原因として読む、という四つを、一つの文のなかで同時に済ませていたように見える。この要約を通説に反論する側に数えたのは、私の判断だ。
このサイトの以前の版にも、手口は入り込んでいた
最初に触れた以前の版の話に戻る。元記事のいまの本文が「以前の版は」と断って直している箇所を並べると、いくつかの手口がそのまま顔を出す。
「少なくとも22倍」を「最大」と書いたのは、手口一だった。その記事の以前の版には、子どものころから趣味を続けている人ほど受賞者との差が大きい、という記述もあった。原文の趣味の基準は大学入学後や成人後のもので、根拠が見つからないので外された。ロジャー・フェデラーについては、以前の版は「10代半ばに絞った」と書き、世界1位に初めて立ってから最後に1位だった日までの14年を「頂点圏に居続けた」と書いていた。14年という幅は、2004年2月2日から2018年6月24日までとしては正しい。ただ、1位にいた累計は310週、約6年で、その間に何度も入れ替わっている。絞った時期は、12歳でサッカーをやめてテニスに専念し、14歳の誕生日の直後に国のテニスセンターに入った、というのが二次資料の記述だ。世界1位の記録はATPの公式ページとは照合できておらず、子どものころの記述も二次資料による、と元記事は断っている。期間の両端を正しく測ったまま、「居続けた」という一語で中身を埋めたのは、手口二の小さな版だろう。
朝型の記事の以前の版は、遺伝率を「およそ40〜60%」と書いていた。確かめられた範囲は44〜52%だった。身長の比喩とソーシャル・ジェットラグの説明は、手口五と二の節で触れた。スポーツの専門特化については、以前の版は「9本中7本」までを書き、競技生命の長さでは9本中5本が専門特化との関連を見いださなかったことと、7本が論文の本数であることを書いていなかった。本数を効果の大きさのように読ませる点で、私はこれを手口六に近いと読む。
並べてみて目につくのは、多くの書き換えで、数字そのものは原典にあったという点だ。「22倍」も「14年」も「9本中7本」も、間違った数字ではない。変わったのは、その前後の一語や、数え方の単位のほうだった。22倍の記事は、自分の書き換えを、数字が原文にあったので「気づきにくい誤りだった」と書いている。例外もある。遺伝率の上限の60%と、子どものころからの趣味の話は、原典に当たる数字や根拠そのものが見つからなかった。私には、一つずつの書き換えが、悪意というより、わかりやすく書こうとする手つきの延長に見える。わかりやすさが削るのは、たいてい読み飛ばされやすい限定の言葉のほうだ。
数字はそのままで、意味だけが動いていく
8本を並べ直してわかったのは、通説の正体というより、通説が通ってきた道の形だった。「少なくとも」が落ちる。ラベルの中身が入れ替わる。大きな人数の中に小さな人数が入る。並んでいるだけのものに矢印が描かれる。集団の数字が一人への指示になる。目盛りが外れる。どの手口も、元の研究の数字を書き換えなくても、意味を変えられる。
そして、手口を数えたこの記事も、その道の外にいるわけではない。ここに並べた数字には、元記事が抄録や二次情報でしか確かめていないものが少なからず混ざっていて、この記事はそれをもう一度、短く言い換えている。言い換えるたびに、どこかで限定の言葉が一つずつ落ちているはずだ。どの言葉が落ちたのかは、書いた側からはいちばん見えにくい。
次にどこかで「22倍」や「8時間」や「0.4%」に出会ったとき、その数字の前後には、もともとどんな言葉が付いていたのだろう。
出典
- Watson, N. F., Badr, M. S., Belenky, G., et al. (2015). "Recommended Amount of Sleep for a Healthy Adult: A Joint Consensus Statement of the American Academy of Sleep Medicine and Sleep Research Society." Journal of Clinical Sleep Medicine, 11(6), 591–592.
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- Wojtycka, L. (2023). "On the Traveling-Creativity Relationship: Effects of Openness to Experience, Cultural Distance, and Creative Self-Efficacy." Creativity. Theories – Research – Applications, 10(1–2), 1–16.(元記事では全文で確認)
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「誰の体も測らずに『8時間睡眠』を唱えていた」(eight-hour-sleep-myth)/「格言『早寝早起き』を検証した論文に、徳の証拠はなかった」(morning-person-genetics-vs-willpower)/「情熱は先に見つけるものか、後から育つものか」(passion-before-or-after-skill)/「ノーベル賞科学者の『22倍』は、何と比べた数字か」(specialization-myth-nobel-laureates-hobbies)/「断捨離が効くのは、モノが減るからではないらしい」(decluttering-happiness-myth)/「プロテイン30分ルールの犯人には、完璧なアリバイがあった」(protein-timing-myth)/「画面の時間の説明力は最大0.4%、物差しはジャガイモと眼鏡」(screen-time-wellbeing-myth)/「『旅より住む』が創造性に効く、という話を原典で読み直す」(travel-vs-living-abroad-creativity)
