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おじさんの趣味が続かない理由と、続く趣味の見分け方
おじさんの趣味探しは、リストを増やす作業ではない。キャンプ道具を買い、サウナに通い、カメラを手にした人のうち、一年後も続けている人はどれだけいるか。趣味が続かない構造と、心理学の研究が示す「続く条件」について。
趣味がないのではなく、趣味を失った
「おじさんの趣味」と聞くと、渋い趣味の一覧を想像する。この記事が先に扱うのは、そのリストの手前にある話だ。「趣味は何ですか」と聞かれて言葉に詰まる40代、50代の男性は少なくない。だがこれは、生まれつき無趣味だったということではないだろう。多くの場合、かつては何かに没頭していた時期がある。学生時代の部活、20代で覚えたスポーツ、一人暮らしを始めた頃の料理や音楽。それが仕事と家庭に時間を明け渡していくうちに、静かに立ち消えただけだ。多くの場合、それは大きな決断の末に手放したわけではない。忙しい時期をやり過ごすうちに再開するタイミングを逃し続けた結果であり、気づいたときには、道具をどこにしまったかさえ思い出せなくなっている。
社会学者ヘレン・ローズ・エバウは、出版社の紹介によれば、離婚経験者や元受刑者などへの聞き取りから「役割からの離脱」という枠組みを描いた。扱ったのは、本人が疑いを抱き、決断して役割を離れる場合が中心で、趣味が自然に遠のく場合とは型が違う。ここではその枠組みを借りて、この記事なりの読みを書く。人はある役割——「テニスをする人」「バンドをやっている人」——を生きているとき、その役割を通じて自分が何者かを確認している。役割を離れることは、単に予定が一つ減ることではなく、自分を語る手段を一つ失うことに近い。だから「趣味がない」という状態は、暇の欠如ではなく、かつて持っていた役割の空白がまだ埋まっていない状態だと考えたほうが実態に近い。
この年代で趣味が失われやすいのには、いくつかの構造的な理由がある。ひとつは、時間の使い道を決める主導権が長らく自分になかったこと。仕事の裁量が増える一方で、可処分時間は家族や職責に先に取られる。もうひとつは、社会的なつながりの多くが職場という単一の場に集約されてしまい、趣味を通じた人間関係が更新されないまま歳を重ねてしまうことだ。
この二つ目の理由は、日本に限った現象ではないらしい。米国のシンクタンクAEI(アメリカン・エンタープライズ研究所)のSurvey Center on American Lifeが2021年に実施した調査によれば、「親しい友人が6人以上いる」と答えた男性の割合は27%で、1990年の55%から半分以下になり、「親しい友人が一人もいない」と答えた男性は15%と、1990年から五倍に増えている。報告書によれば、1990年の比較はギャラップの電話調査で、2021年はオンラインの調査だ。方法が違う分、差は割り引いて読むほうがいい。報告書の脚注は、1990年の回答者は電話で聞き手と話す形だったため、友人がいないとは答えにくく、友人数を多めに答えた可能性がある、と断っている。趣味の話をしているつもりが、いつのまにか友人関係の話になっているのは偶然ではない。多くの趣味は、本来ひとりで完結する活動ではなく、誰かと共有することで初めて回り続ける社会的な仕組みだったからだ。その仕組みを支えていた人間関係のほうが先に痩せてしまえば、趣味だけが単独で生き残るのは難しい。報告書の著者は、友情という話題への関心そのものは、大衆文化や報道ではむしろ高まっているとも書いている。ここから先は報告書の主張ではなく私の読みだが、時間がなくなったというより、時間の使い先を決める優先順位のなかで、友人と会うという選択肢が静かに後ろへ回されていく、という表現のほうが実態に近いのかもしれない。
三つ目に、「男は仕事で自分を語る」という長年の刷り込みが、仕事以外の時間の使い方を「趣味」ではなく「暇つぶし」だと自分自身に思わせてしまうことがある。だから「おじさんの趣味探し」は、実のところ趣味のリストを増やす作業ではない。むしろ、なぜ自分が趣味を持たなくなったのかを一度言語化してから始めたほうが、遠回りに見えて近道になる。「趣味」と「暇つぶし」の違いは、活動そのものの性質にあるのではなく、そこに継続的な上達や関わりが伴っているかどうかにある。同じ動画視聴でも、漫然と眺めているだけならそれは暇つぶしで、映像の作り方を分析しながら見ているなら趣味に近づく。境界は活動の外見ではなく、自分の関わり方の側にある。
ここで一つ、この記事の前提そのものを疑っておいたほうがいい。韓国の40歳から60歳の中年男性25人を対象にしたある研究(Seong, Shin, & Sok, 2021)は、Q方法論という手法を使って、本人たちが「うまく歳を重ねる」ことをどう認識しているかを五つの型に分類している。趣味や夫婦での余暇活動を軸に置く「レジャー型」はそのうちの一つに過ぎず、型に分類された人の数は、精神的な成熟を重視する型が8人、レジャー型が4人、健康維持そのものを最優先する型が3人、家族への責任と献身を核に置く型が2人、家長としての見返りを求める型が1人と偏っていた。ただし、この人数は韓国の中年男性全体での割合を表すものではない。表に示されたのは25人のうち18人で、数が合わない分は本文に説明がない。つまり「趣味を持つことが充実した中年期の条件だ」という前提自体、いくつもある価値観のうちの一つにすぎない。この記事はここから先、趣味という入り口を掘り下げていくが、それが唯一の正解だという意味ではない。
始めた趣味の多くが、なぜ続かないのか
ここ数年でキャンプ道具を買い、サウナに通い、カメラを手にした人は多いはずだ。だが、そのうちどれだけが一年後も続いているだろうか。趣味が定着するかどうかは、「面白いかどうか」だけでは決まらない。心理学が積み上げてきた知見を借りると、続くかどうかを左右する要因はもう少し具体的に分解できる。以下に挙げる四つは、それぞれ独立した条件ではない。ひとつを満たしても他が欠けていれば長続きしにくく、逆にどれか一つが強く効いていれば、他の弱さを補うこともある。順番に見ていく。
上達が自分にわかる形で見えるか
心理学者ミハイ・チクセントミハイが提唱したフロー理論は、人が活動に没頭できるのは、その活動の難易度と自分の技量がちょうど釣り合っているときだと説明する。技量に対して難易度が高すぎれば不安になり、低すぎれば退屈する。オンラインでボードゲームを遊ぶ528人を対象にした2025年の研究(Wojtasiński, Tużnik, Jankowski, & Cudo, Journal of Happiness Studies掲載)は、応答曲面分析という手法で、この釣り合いを調べた。結果は、フロー尺度(流暢さと没入の二つの下位尺度)の得点で見ると、単純な釣り合いの話とはずれていた。技量も難易度も、それぞれ一項目の本人の自己評価である。全体の高さをそろえて比べたとき、技量と難易度が近いほど没頭が深い、という釣り合いそのものの効果は、どちらの下位尺度でもはっきりとは出なかった。出たのは二つで、得点は、技量が難易度を下回るときより上回るときのほうが高く、技量も難易度も低い水準のときより、ともに高い水準のときのほうが高かった。後者は、釣り合っていても水準が低ければ無気力に近づく、という挑戦と技量の高低で四つに分ける図(論文が先行研究のモデルとして図示している象限モデル)と重なる。著者らは、技量が難易度に釣り合うか上回ると感じることが大事だ、とまとめている。対象はポーランドのボードゲーム愛好者で、チェスや囲碁などが多かった。遊んだときの没頭を思い出して答えてもらう一時点の調査で、扱った活動も、オンラインのボードゲームという一種類だけだ。ほかの活動にそのまま当てはめられるわけではない。子どもの頃の部活が続いたのは、タイムや試合結果という形で上達が可視化され、難易度が自然に技量を追いかけてくる仕組みになっていたからではないか。仕事にも上達はあるが、それは人事評価という形で年に一、二度まとめて言い渡される事後的なものであることも多く、日々の作業と達成の実感の間にタイムラグがある。大人になってから始める趣味の多くは、部活が持っていた「見える上達」も「調整される難易度」も欠いている。記録が残る、比較ができる、あるいは道具や仕上がりの変化として結果が目に見える趣味は、自分の位置がわかるぶん難易度を選び直しやすく、技量が難易度に届かない状態を避けやすい、という意味で、モチベーションが維持されやすいと考えられる。
ただし、この条件を絶対視するのも危うい。上達という物差しを持ち込みすぎると、今度は趣味が「成果を出さなければならない仕事」の相似形になってしまう。フロー理論は、課題と力量の釣り合いが没頭を生み、その没頭がさらに力量と課題を押し上げていくという、成長の循環も含んでいるとされる。とはいえ、技量が難易度に置いていかれない状態は、数字で測れる上達がなくても、難易度をうまく選べていれば保てる。上達を測ることと、難易度を選び直すことは、同じ作業ではない。
ひとりで完結できるか、それとも誰かと分かち合っているか
誰かと予定を合わせないと成立しない趣味は、続く確率が下がる——というのが実感としてよく語られる話だ。子どもの行事、仕事の急な予定、相手の体調。大人の生活は変数が多く、他人のスケジュールに依存する趣味ほど脱落しやすい。ここまでは間違っていない。だが話はここで終わらない。日本の50代(調査開始時)を5年間追跡した調査をもとにした研究は、開始時に心の状態が良好で日常生活に支障のなかった約1万6千人を分析し、男性(約8千人)に限っては、趣味・文化活動も運動・スポーツも「他者と一緒に」行った場合にのみ、その後のメンタルヘルスと有意な関連が見られたと報告している。著者らは、「ひとりで」と「他者と」の差そのものは有意でなかったとも書いており、女性では趣味はひとりでも関連が有意だった。因果の向きも確かではない。この調査から言えるのは、男性では他者と一緒に行う活動のほうが関連が見えやすかった、というところまでだ。ひとりで完結する趣味は忙しい週にも生き延びやすい。続けやすさと、メンタルヘルスとの関連の見えやすさは、必ずしも同じ方向を向いていないのかもしれない。
だとすれば、これは優先順位の問題として捉えたほうがいい。ひとりで完結する趣味は「始めやすさ」の条件を満たしやすく、誰かと分かち合う趣味は、男性で関連が見えやすかった形に近い。両方を同時に満たそうとするよりも、どちらを先に手に入れるかを決めるほうが現実的だ。まず生活の中に居場所を確保できる形——ひとりでも30分だけ成立する形——で趣味が根づき、余裕が出てきた段階で、誰かと共有する回路が後から加わっていく、という順序を辿るケースは多いようだ。最初から両方を満たそうとすると、条件が厳しくなりすぎて何も始まらない。もう一つ付け加えるなら、「他者と一緒に」というのも、必ずしも毎回顔を合わせる密な人間関係を意味しないだろう。オンラインのコミュニティで作品を見せ合う、月に一度だけ集まる、あるいは家族の誰か一人と共有するだけでも、人とのつながりという面はある程度満たされうる。調査はつながりの密さまでは測っていないので、どこまでが「一緒に」にあたるかは分からないが、少なくとも社交的である必要があるとは言えない。
初期投資を小さく始められるか
高価な道具を先に揃えると、合わないと分かってもやめにくくなる、というのもよく言われる話だ。行動経済学ではこれをサンクコスト効果と呼ぶ。心理学者ハル・アーケスとキャサリン・ブルーマーの古典的な研究では、劇場の年間券を、窓口に来た客に定価、あるいは2ドル引き・7ドル引きで無作為に割り振って売ると、定価で買った客のほうが、シーズン前半によく劇場に通った(後半には差がなくなった)。すでに支払ったものが、続けるかどうかの判断を引っぱった形だ。アーケスらは、その理由を、無駄にしたと認めることを避けたい気持ちに求めた。まだ好きになるかどうかもわからない段階で大きな投資をすると、その趣味は「楽しむもの」から「損切りするかどうかを迫られるもの」に変わってしまう。安く、あるいは借りて試せる入り口があるかどうかは、続くかどうかを左右する以前に、そもそも冷静にやめられるかどうかを左右する。逆に言えば、道具への投資を惜しむべきだという話でもない。好きになると確信が持てた段階であれば、質の良い道具に投資することは上達の実感を後押しする。金額の多寡そのものが問題なのではなく、順番の問題だ。
習慣として体に馴染むまでの時間を見誤っていないか
「新しい習慣は21日で身につく」という話は広く流通しているが、正確な数字ではない。元をたどると、1960年の自己啓発書『Psycho-Cybernetics』が、整形手術後の患者の観察などから、心像が変わるまでに「最低でも約21日」かかると書いたとされる。それが習慣一般の日数として広まったようだ。心理学者フィリッパ・ラリーらが2010年に発表した研究(European Journal of Social Psychology)は、96人に12週間、自分で選んだ飲食や運動の行動(昼食時に果物を一つ食べる、夕食前に15分走る、といったもの)を毎日同じ場面で続けてもらい、自動的にできるようになる度合いの伸びに曲線を当てはめて、その上限の95%に届くまでの日数を「習慣になるまでの日数」として推定した。参加者は主に大学院生で、平均27歳だった。曲線がよく当てはまった39人の中央値は66日。個人差は18日から254日と大きかった。観察は84日までで、それを超える値は推定による。この研究が対象にした行動に限れば、3週間は、曲線がよく当てはまった人の多くにとって習慣になるには短すぎた(最短の人は18日だった)。そこから「3週間で向いていないと判断するのは早い」と言えるかは、趣味への私の当てはめになる。同じ研究は、途中で一日サボったくらいでは習慣形成のプロセスにほとんど影響がなかったことも示している。皆勤である必要はなく、長い時間軸で続いているかどうかが大事だ、という話になる。ただし運動について、一週間まとめて抜けるとその後の実行が減った、という別の研究と並べて、そうした中断は習慣化を妨げると著者らは書いている。「今日はやりたくないな」と思った日に、それでも15分だけやってみるか、その日はきっぱりやめてしまうかは、生活に馴染んできたかどうかを映す一つの目安になるかもしれない。前者を選べる頻度が少しずつ増えていくこと自体が、習慣化が進んでいるサインと見てよさそうだ。
具体的にどんな趣味があるか——四つの方向から
ランキングにして順位をつけることに、あまり意味はないと思う。向き不向きは人によって違い、順位1位の趣味が自分に合う保証はどこにもない。ランキングは全員に同じ正解を配る発想であり、順位は承認や比較を動機にしやすい、というのは私の読みだ。自己決定理論は、外から統制された動機づけより、自分で価値を認めた自律的な動機づけのほうが、学業の中退の少なさや、行動の長期の維持と結びつくと考える。ランキングが後押しするのは、前者のほうではないか。それより、自分がどの方向に引かれるかを考えるほうが実用的だ。ここまで見てきたフロー理論と自己決定理論は、別々の研究者が別の角度から示したものだが、重なる部分もある、というのが私の整理だ。どちらも、外から与えられた目標を追いかけることより、活動そのものに没頭できる条件を重視している。以下の四つの方向は、この条件をどう満たしやすいかという観点で分けたものであり、対象の種類そのものに優劣があるわけではない。
ひとりの時間に沈む方向
焚き火を眺めるソロキャンプ、サウナと外気浴のサイクル、フィルムカメラでの撮影と現像待ち、あるいは釣り場でただ竿を見つめる時間。これらに共通するのは、成果を出すことより、思考が静かになる時間そのものを目的にしている点だ。心理学者エドワード・デシとリチャード・ライアンが提唱した自己決定理論では、人の動機づけを支える基本的な心理的欲求として、自律性・有能感・関係性の三つを挙げている。この方向の趣味は自律性を強く満たすが、関係性はほとんど満たさない。たとえば釣り糸の先に何の反応もないまま何時間も過ぎることを、退屈と感じるか、思考が整理されていく好機と感じるかで、この方向への適性は大きく分かれる。合う人にとっては何物にも代えがたいが、そもそも「ひとりで過ごす時間」を心地よいと感じない人には向かない。先に見た調査で男性に関連が見えやすかったのは、他者と一緒に行った場合だった。ひとりの時間に偏るなら、その側が手薄になりうる点は、頭に置いておきたい。自分が本当にひとりの時間を欲しているのか、それとも別の誰かとの時間を欲しているのに趣味で埋めようとしていないか、という点は、一度立ち止まって考える価値がある。
手を動かして技術を積む方向
革靴磨き、蕎麦打ち、コーヒーの焙煎とドリップ、木工やDIY、陶芸、万年筆での書字。どれも派手さはないが、同じ動作を繰り返すうちに手つきが変わり、仕上がりが変わっていくのがわかる。画面の中で完結する仕事が増えた分だけ、指先の感覚を通じて結果が返ってくる作業には、それだけで新鮮さがある。自己決定理論でいう有能感——自分がうまくなっているという感覚——を満たしやすいのがこの方向で、それが飽きにくい理由の一つかもしれない。一方で、最初の数回はうまくいかないのが前提の趣味でもある。たとえば蕎麦打ちでは、水回しの加減ひとつで生地の仕上がりがまったく変わる。はじめのうちは失敗が続き、違いが体でわかるようになるまでには時間がかかる、という順序を最初から織り込んでおくと、序盤の停滞に心が折れにくいだろう。すぐに結果が欲しい人には、フロー理論でいう「難易度が技量を上回っている」不安の時期を、あらかじめ見込んでおく心づもりが要る。
身体を動かして感覚を取り戻す方向
登山、ロードバイク、ランニング、筋トレ、水泳、格闘技系のスポーツ。体力の衰えを嘆く前に、動ける身体を維持すること自体が実利になる領域だ。この方向の趣味は、他の三方向と違って「健康のため」という動機と両立しやすいが、それだけを目的にすると長続きしにくい人もいる。健康は結果であって、続ける理由にはなりにくいことがある。自己決定理論の分類では、本人が納得している健康目的も自律的な動機に数えられるので、健康だけでは続かないと決めつけることはできない。それでも、坂を登り切った達成感や記録が更新される瞬間そのものを楽しめるかどうかという内側の動機は、続ける力になりやすい、というのが私の見方だ。たとえば登山であれば、山頂に着いた瞬間の達成感と、そこに至るまでの単調な登坂を延々と繰り返す時間の両方が含まれている。後者を退屈と感じるか、思考が空白になっていく心地よい時間として楽しめるかで、この方向への相性は大きく変わる。
知識や思考を積み重ねる方向
将棋や囲碁、古典や哲学の読書、歴史探訪、語学学習、クラシックやジャズの鑑賞。これらは体力的な衰えの影響を受けにくい領域でもある。目に見える成果は少ないが、会話の引き出しが増える、物事の見え方が変わるといった形で、じわじわと効いてくる。たとえば将棋であれば、一局を並べ直す時間そのものが独立した楽しみになる。勝敗という結果以上に、なぜその一手が良かったのか、あるいは悪かったのかを後から言語化していく過程に、惹かれる人もいる。
四つの方向を通じて共通するのは、多少の停滞や退屈を耐える時間が必ず挟まるということだ。技量と難易度の釣り合いは常に一定ではない。フロー理論の見立てでは、上達すれば以前と同じ難易度が物足りなくなり、環境が変われば急に難しく感じられる瞬間もある。「趣味が続かなくなった」と感じる瞬間は、実際にはその趣味そのものに飽きたのではなく、この釣り合いが少しずれてしまっただけ、という場合もありうる。難易度を少し上げてみる、道具を変えてみる、あるいは教える側に回ってみるといった小さな調整だけで、同じ趣味が息を吹き返すこともある。やめる前に、飽きたのか釣り合いがずれただけなのかを、一度切り分けて考える価値はある。
始める前に、自分に聞いておきたいこと
どの方向であれ、飛びつく前に立ち止まって考える価値のある問いがいくつかある。
- これは「誰かに見せたいから」欲しいのか、それとも純粋に「自分がやりたいから」なのか。自己決定理論に照らせば、前者は他者の評価に左右される統制的な動機づけに近い。SNS映えや周囲からの評価が動機の大半を占めている趣味は、承認が得られなくなったときに失速しやすいのではないか、というのは理論からの私の推測だ。
- 今の生活のどの隙間にこれを差し込むつもりか。「時間ができたら始める」という計画は、たいてい時間ができないまま終わる。
- これをやっている自分を、三か月後、一年後も想像できるか。ラリーらの研究では、習慣として馴染むまでの日数は中央値が66日、最も長い人では約8か月(254日、推定値)になった。想像できないなら、それは今の気分が欲しがっているだけかもしれない。
- これまでに一度挫折した趣味があるなら、その挫折の理由が、上達の見えにくさ、人間関係への依存、払った分を惜しんで続けた無理、習慣化までの期間の見誤りのどれに当てはまるかを振り返ってみる。理由を言葉にしないまま始め直すと、同じ壁に当たりやすいように思う。
これらの問いに正解はない。むしろ、答えが出せないこと自体が、自分がまだ何を求めているのか把握できていないというサインだったりする。誰かに相談したくなる気持ちもわかるが、他人の答えを借りてきても、それは他人の役割を借りているだけで、自分の役割にはなりにくい。時間はかかっても、自分の言葉で答えを探すしかない種類の問いだ。
役割を取り戻す、という言い方について
趣味は「見つける」ものというより、いくつか試したうちで生活の条件と噛み合ったものが自然に残る、という順番で決まることが多いようだ。だとすれば、最初から「これぞ」という一つを探し当てようとする必要はない。小さく始まり、続かなければやめられ、また次が試される——そういう繰り返しになりやすい。その過程そのものが、自分がどういう時間の使い方を心地よく感じる人間なのかを知る手がかりになる。
エバウの枠組みを借りるなら、離脱の過程は、今の役割への疑いが芽生え、代わりを探し、決断を促す転機を経て、「元〜」としての自分を作り直していく、という流れで描かれている(出版社の紹介による)。趣味が自然に遠のいた場合に同じ順で進むとは限らないが、この記事で見てきた四つの方向や条件は、代わりを探す場面を、多少なりとも見晴らしよくするための材料にすぎない。「趣味がない」という状態を能力や意欲の欠如だと捉えると、本人の欠陥の話になってしまう。別の読みもできる。時間の主導権と社会的なつながりを長く後回しにしてきた結果として、かつて持っていた役割がまだ次の役割に置き換わっていないだけの、過渡期の状態なのかもしれない。過渡期は、当てはまるものが見つかるまで続く。焦って埋める必要はないが、空白のままにしておく理由もない。
レジャー型だけがうまく歳を重ねる唯一の道ではないという先の知見を踏まえれば、趣味探しがうまくいかなかったとしても、それを人生の欠落のように捉える必要はない。健康志向型や家族中心型のように、趣味以外の場所に自分の重心を置く型も、先の研究には並んでいた。型の優劣を比べた研究ではないが、趣味がないことを足りなさと決めつける根拠も、そこにはない。趣味はあくまで一つの入り口であって、唯一の出口ではない。この記事がこれだけの分量を費やして趣味という一点を掘り下げてきたのは、それが唯一の正解だからではなく、たまたま扱いやすい入り口だったからにすぎない。趣味に重心を置くにせよ、別の場所に置くにせよ、少なくとも一度は自分の言葉にしておいたほうがいい。言語化されないまま放置された空白は、本人の意思とは関係なく、周囲の期待や広告が用意した既製の答えで埋められてしまいやすいからだ。
出典
- Ebaugh, H. R. F. (1988). Becoming an Ex: The Process of Role Exit. University of Chicago Press.(出版社の紹介文と目次で確認)
- Cox, D. A. (2021). "Men's Social Circles are Shrinking." Survey Center on American Life(アメリカン・エンタープライズ研究所の一部)のブログ。同センターの報告 "The State of American Friendship: Change, Challenges, and Loss" (2021) も参照。ブログと報告書(ウェブ版)の本文で確認。1990年の比較がギャラップの電話調査(1990年1月)であることは報告書の脚注による(男性の数値が同じ調査によることは明記がない)。ギャラップの元データは未確認。
- Csikszentmihalyi, M. (1990). Flow: The Psychology of Optimal Experience. Harper & Row.(原典は未確認。二次情報と標準的な説明による)
- Nakamura, J., & Csikszentmihalyi, M. (2002). The concept of flow. In C. R. Snyder & S. J. Lopez (Eds.), Handbook of Positive Psychology (pp. 89-105). Oxford University Press.(成長の側面の紹介。本文は未確認で、抄録〈Springer の再録版〉と二次情報による)
- Wojtasiński, M., Tużnik, P., Jankowski, K. S., & Cudo, A. (2025). "Analyzing Skill-Challenge Interaction and Flow State: Insights From Response Surface Analysis Among Board Gamers." Journal of Happiness Studies, 26(3), 35. https://doi.org/10.1007/s10902-024-00846-4(本文で確認。オープンアクセス版)
- Takeda, F., Noguchi, H., Monma, T., & Tamiya, N. (2015). "How Possibly Do Leisure and Social Activities Impact Mental Health of Middle-Aged Adults in Japan? An Evidence from a National Longitudinal Survey." PLoS ONE, 10(10), e0139777.(本文で確認)
- Arkes, H. R., & Blumer, C. (1985). "The Psychology of Sunk Cost." Organizational Behavior and Human Decision Processes, 35(1), 124-140.(本文で確認)
- Deci, E. L., & Ryan, R. M. (1985). Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior. Plenum Press.(出版社の紹介文と目次のみ確認。三つの欲求の整理は Ryan and Deci 2000 による)
- Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2000). "Self-Determination Theory and the Facilitation of Intrinsic Motivation, Social Development, and Well-Being." American Psychologist, 55(1), 68-78.(本文で確認)
- Lally, P., van Jaarsveld, C. H. M., Potts, H. W. W., & Wardle, J. (2010). "How Are Habits Formed: Modelling Habit Formation in the Real World." European Journal of Social Psychology, 40(6), 998-1009.(本文で確認。機関リポジトリの公開版による)
- Maltz, M. (1960). Psycho-Cybernetics. Prentice-Hall.(「約21日」の記述の出どころ。原典は未確認で、記述は二次情報による)
- Seong, M. H., Shin, E., & Sok, S. (2021). "Successful Aging Perception in Middle-Aged Korean Men: A Q Methodology Approach." International Journal of Environmental Research and Public Health, 18(6), 3095. https://doi.org/10.3390/ijerph18063095(本文で確認)
