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主婦の趣味を「投資ポートフォリオ」で語ることについて
家事・育児・介護に埋もれがちな時間の中で、趣味を「資産形成」として語る記事をよく見かける。その語り口自体が抱える問題と、お金をかけずに始められる考え方を整理する。
家事、育児、介護。日々のケア労働に多くの時間を割いていると、自分が最後に名前で呼ばれたのがいつだったか、ふと分からなくなる瞬間がある。鏡を見たときに、そこに映っているのが役割だけで、自分自身の輪郭がぼやけていることに気づく。
この感覚への対処法として、趣味を「自己投資」や「資産形成」という言葉で語る記事をよく見かける。20の趣味カードに初期費用とリターンを添えて並べ、「3軸評価マトリックス」で最適な組み合わせを選ばせる、というような構成だ。
この語り口には、見過ごせない矛盾がある。「役割から解放されたい」と言いながら、趣味そのものに「投資」「資産」「リターン」という、まさに役割労働と同じ評価軸を持ち込んでいるからだ。
「不可視労働」という、実在する言葉
社会学には「見えない労働(invisible labor)」という概念がある。家事や育児、家族の心理的なケアなど、成果として目に見えず、対価も発生しにくい労働を指す言葉だ。アメリカの社会学者アーリー・ホックシールドが提唱した「第二のシフト(セカンドシフト)」という概念も近い問題を扱っている。共働き世帯であっても、家庭内労働の多くが依然として女性に偏って配分されているという指摘だ。
「自分の名前で呼ばれない」という感覚の正体は、この不可視労働の蓄積であることが多いようだ。だとすれば、趣味に求められている役割は、新しい「資産」を積み上げることではなく、単純に「成果として見える形で残るもの」を持つことだけで、案外足りるのかもしれない。ブログでの発信、DIY、写真、家庭菜園。共通しているのは、市場価値の有無ではなく、「これは私がやった」と自分で確認できる痕跡が残ることだ。
評価軸を持ち込まずに選ぶ
趣味を「静寂の投資」「創造の蓄積」といったカテゴリーに分類し、リソース(時間・金・気力)を棚卸しして最適なポートフォリオを組む、というアプローチは、一見合理的に見える。しかし、これは「なんとなく」を排除しようとするあまり、趣味を仕事の意思決定プロセスに変換しているだけだ。
むしろ有効なのは、逆に評価軸を持ち込まないことだ。一人で静かに過ごしたいなら、瞑想でも読書でも、なんでもいい。形として何かを残したいなら、ブログでもDIYでも、なんでもいい。「これは自分にとってどんな意味があるか」を先に決めて動くのではなく、まず手を動かしてみて、続くかどうかで判断するくらいの軽さのほうが、長続きすることが多いようだ。
やめることは、撤退ではない
「継続こそ美徳」という考え方は、ここでも足かせになりがちだ。道具代がもったいない、半年続けたから、という理由で無理に続けるより、飽きたということはそこから得られるものを一通り吸収した証拠だと捉え、感謝とともに次に移るほうが健全だ。趣味は人生を豊かにする道具であって、趣味に仕える必要はない。
結び
趣味を「自分を取り戻すための投資」と呼ぶのは、聞こえはいいものの、結局のところ「役割から逃れたい」という願いを、また別の役割に着替えさせているだけかもしれない。何をリターンとして得るかではなく、単に「今、何をしているときに役割の看板を外していられるか」を確かめることのほうが、たぶん本題に近いはずだ。
出典
Daniels, A. K. (1987). "Invisible Work." Social Problems, 34(5), 403–415.
Hochschild, A. R., & Machung, A. (1989). The Second Shift: Working Parents and the Revolution at Home. Viking.
