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「ソロキャンプの次」を探す前に、飽きの正体をばらしてみる
ソロキャンプに飽きたとき、失ったのは何だったのか。自己決定理論の「自律」は独立とは別物で、難問で自信を揺さぶられた群では自分で組み立てたい人が58%(易問の群は33%)。次の手段を四つ、メリットとデメリットで並べる。
キャンプが「作業」になるとき
キャンプ場に着き、テントを張り、火を熾し、肉を焼く。かつては小さな冒険だったその一連の動作が、いつのまにか「決められた手順の消化」に感じられることがある。
「ソロキャンプの次」という言葉で検索してここに来た人は、たぶんその感覚の中にいる。道具はひととおり揃った。設営も早くなった。それなのに、行く前の高揚が薄い。次は何をすればいいのか。
この記事の後半では、その「次」の候補を四つ並べる。ランキングにはしない。どれもメリットと引き換えのデメリットを持っていて、根拠の強さもまちまちだからだ。その前に、遠回りをしたい。飽きの正体を取り違えたまま次を選ぶと、同じ飽きをもう一度、別の道具で買うことになりかねない。
手がかりとして、出発点になる説明を一つ置いておく。キャンプが作業になるのは、レジャーを消費していたからではないか。本当に求めていたのは、社会のシステムから距離を取って、自分の環境を自分で制御している感覚――自己統治感のようなものだったのではないか、という説明だ。この言い方には、それなりの説得力があるように思える。
この説明を捨てる必要はないと思う。ただ、「自己統治」という言葉は、見た目よりずっと多くのものを同じ袋に詰め込んでいる。以下では、その袋をひっくり返して、中身を一つずつ確かめてみる。
1996年に、1,580万人いた
まず、数字から。
日本オートキャンプ協会の刊行物での紹介によれば、1年間に1回以上キャンプをした人の数(同協会のいう「オートキャンプ参加人口」)は、統計を取り始めた1984年の400万人から増え続け、1996年に1,580万人で頂点を迎えた。その後は下り坂に入り、白書2010を伝えた業界紙の記事によれば、2005年から2008年までは700万人台前半で推移していた。
10年ほどのあいだに、参加人口は半分以下に縮んだ。差し引きで、数百万人分の減少である。
この減少を、そのまま「飽き」の規模として読みたくなる。けれど、数字は離れた理由を何も語っていない。家族で出かけていた人なら、子どもが成長すれば家族キャンプは自然に終わる。景気や移動の費用も参加人口を動かす。2009年に13年ぶりに増えたときも、白書2010を伝えた記事は、高速道路の料金割引やガソリン代の安定を追い風として挙げていた。純減は、去った人の数とも同じではない。何百万人かが離れた中に、飽きた人もいただろう、というところまでが、この数字から言えることだ。
逆向きの数字もある。同協会の白書2026の巻頭要約によると、2025年の調査に答えたキャンパーのキャンプ経験年数は9.4年で、4年続けて伸びている。同じ要約によれば、経験1年のビギナーの割合は2021年以降減る傾向にあったが、2025年は16.1%(前年は14.0%)と5年ぶりに増えた。
経験年数が伸びてきた理由は、少なくとも二つ考えられる。一つは単純で、新しく始める人が減れば、回答者全体の経験年数は機械的に伸びる。ビギナーが減っていた数年間には、これがそのまま当てはまりうる。ただ、ビギナーが増えた2025年にも経験年数は伸びているので、この説明だけでは足りない。もう一つは意地の悪い見方で、調査に答えるのは今もキャンプをしている人だから、楽しめなかった人は母数から静かに抜けていく。学校の部活で「3年続けた部員の満足度」を調べても、途中でやめた部員の声は入らない。どちらがどれだけ効いているかは、この要約からはわからない。
わかるのは、キャンプをやめる人も続ける人も、統計の上ではかなりの数がいる、ということくらいだ。キャンプが作業に感じられ始めたとしても、それを珍しい異変と考える理由はない。問題は、その感覚が何でできているかのほうにある。
道具が増えるほど、比べる相手も増える
キャンプに飽きた理由を尋ねられて、道具の話から始める人は多いと思う。買い揃えるまでが楽しかった、という告白だ。
心理学には、モノを買うことと体験を買うことを比べた研究の系譜がある。その中で、私がキャンプ道具について考えるときに一番引っかかるのは、カーターとギロビッチが2010年に発表した8つの研究からなる論文だ。抄録で確認できた範囲では、彼らの主張はこうなる。体験への支出がモノへの支出より満足を生みやすいのは、体験のほうが「比較」にさらされにくいからだ。モノを買った人は、選ばなかった選択肢をあとで思い返しやすく、より良い一品を探し尽くそうとしやすい。そしてモノへの満足は、ほかの選択肢、同じ品の別の価格、他人の買い物と比べられることで、体験への満足よりも大きく削られた。
キャンプ道具は、この区分の境目にいる。体験のために買うモノ、だからだ。焚き火台そのものはモノで、焚き火の夜は体験になる。厄介なことに、キャンプ場はモノの比較が起きやすい場所でもある。隣のサイトに張られたテントは、こちらが選ばなかった選択肢そのものとして目に入る。
こう考えると、「道具を揃えるレジャーに飽きた」という感覚の一部は、飽きというより比較の疲れなのかもしれない。新しいランタンを買っても満足が長続きしないとしたら、それはランタンが悪いからではなく、ランタンが「ランタンの市場」の中で比べられ続けるからではないか。もっとも、この論文は満足がどれだけ続くかを測ったわけではないので、これは私の推測の域を出ない。
留保をもう一つ。モノと体験の区分そのものが、研究によって曖昧に引かれている。キャンプ道具をどちらと見なすかで、結論は変わってしまう。この論文が示したのは、比較が満足を削る経路があるということで、キャンプ道具がその経路に乗っていると測った研究ではない。
「自己統治」という言葉を、一度ばらす
さて、冒頭の言葉に戻る。「自己統治感」は理論の名前ではない。雰囲気のある言い換えにすぎない。だから、似た概念を持つ理論と突き合わせて、どこまで言えるかを確かめておきたい。
一番近いのは、デシとライアンの自己決定理論だろう。人には、自律性、有能感、関係性という三つの基本的な欲求があり、それが満たされるほど人は意欲的になり、幸福感も高まる、という枠組みだ。ライアンとデシは2006年の論文で、自律性という語は文字どおり「自己による調整」を指すと書いている。字面だけ見れば、自己統治にかなり近い。
ところが、中身を読むと話がずれてくる。
チルコフ、ライアン、キム、カプランが2003年に発表した論文は、まさにこの混同を正すために書かれている。自己決定理論のいう自律とは、自分の行動を自分で納得して引き受けている状態のことだ。その反対は「依存」ではなく、自分にとって異質な力に動かされている感覚、つまり他律だという。依存の反対は「独立」、すなわち他人の支えや物資に頼らない状態のほうになる。論文は、自律は独立とも個人主義とも、ほぼ別の軸だと述べている。人は自分で納得して誰かに頼ることができるし、強制されて頼らされることもある。
著者らは、アメリカ(195人)、ロシア(159人)、トルコ(94人)、韓国(111人)の大学生計559人に、それぞれの文化で一般的な振る舞いをどれだけ自分で納得してやっているかを尋ね、幸福感との関係を調べた。結果は、四つの国のどこでも、男女のどちらでも、自分で納得している度合いが高い人ほど幸福感が高い、というものだった。集団に合わせる振る舞いであっても、本人が納得していれば、それは自律の側に数えられる。
この区別を、キャンプに当てはめてみる。
高規格なサイトやAC電源、水洗トイレのそろったキャンプ場で遊んでいると、管理された安全圏の中にいるだけではないか、という物足りなさを感じることもあるかもしれない。自己決定理論の物差しで測ると、この物足りなさは「自律の不足」とは呼べない。管理されたキャンプ場を自分で選んで使っている人は、他律ではないからだ。インフラに頼っていることは「独立していない」ことであって、「自律していない」ことではない。
逆の場合も考えられる。メーカーが定義した「正しいキャンプ」に反発して、あえて道具を捨て、インフラから離れようとする。これは一見すると自律的に見える。チルコフらの論文には、コストナーらの1999年の研究の紹介がある。それによると、自分で考えて納得する傾向の強い人は専門家の助言に従う意思を見せたのに対し、外からの影響に反発する傾向(反動的な自律)が強い人は、自分の不利益になってでも他人の影響から離れようとした、という報告だという。私は原論文を見ていないので、紹介文の範囲でしか言えない。反発は、反発する相手に行き先を決めてもらっている状態でもある。
ここまでで、「自己統治」の袋の中身は少なくとも三つに分かれた。自分で納得してやっているかどうか(自律)。誰にも何にも頼らずに済むかどうか(独立)。そして、自分の環境を自分で動かせるという感覚。三つめは、心理学では統制感、あるいは知覚されたコントロールと呼ばれてきたものに近い。
キャンプが作業になったとき、失われたのはどれだったのだろう。手順をこなす感覚は、自律の欠如にも、統制感の飽和にも見える。少なくとも、独立の不足だと決めつける理由は、思っていたより薄い。
貸し出された統制感の、その後
統制感については、1970年代に高齢者施設で行われた、よく知られた研究がいくつかある。
ランガーとロディンが1976年に報告した老人ホームでの実験では、片方の群の入居者に、自分のことは自分で決められると強調して伝え、選択の自由と、植物の世話をする責任を渡した。もう片方の群には、職員が入居者のために責任を持つと伝え、植物も職員が世話をした。抄録によれば、質問紙と行動の指標で、前者の群は注意の鋭さ、活動への参加、全般的な幸福感で上回った。1977年の追跡調査の抄録は、18か月後の看護師の評価と、健康や死亡に関する指標から、効果が持続していたことが示唆される、と書いている。死亡率の具体的な数字もよく紹介されるが、私は原文で確かめていないので、ここでは扱わない。
同じ時期に、シュルツは別の形の実験をしている。抄録によれば、高齢者施設の入居者を無作為に四つの条件に分け、大学生が訪問した。第一の群は訪問の頻度と長さを自分で決められた。別の群は、いつ、どれだけの時間訪問があるかを知らされていたが、決めることはできなかった。三つめは無作為な日程で訪問を受け、四つめは訪問を受けなかった。結果は、自分で決められる訪問や予測できる訪問が、入居者の心身の状態を大きく改善した、というものだった。
話はここで終わらない。シュルツとハヌサは1978年、研究の終了後24か月、30か月、42か月の時点で同じ人たちを再び調べた。抄録の言葉を借りれば、介入による長期的な良い効果は見られなかった。それどころか、最初に恩恵を受けた群は、研究が終わったあと急激に状態を落とし、恩恵を受けなかった群は安定していた。
二つの研究の結末は食い違っている。片方は効果が続き、片方は終わったあとに急落した。理由を確かめた資料を私は持っていないが、介入の形の違いは目につく。シュルツの介入の中身は大学生の訪問で、研究が終われば訪問そのものがなくなった。ランガーとロディンの介入は、植物の世話の責任と選択の自由を渡すものだったから、研究のあとも入居者の手元に何かが残った可能性がある、という違いが考えられる。抄録からは、研究後に植物や選択がどうなったかまではわからない。手元に残る統制感と、外の仕組みが貸していた統制感の違い、と言えるのかもしれない。
この結果をキャンプに直接重ねるのは、乱暴だと思う。対象は施設で暮らす高齢者で、研究もそれぞれ単発にすぎない。週末にキャンプ場へ行く会社員とは、置かれた状況がまるで違う。それを承知のうえで、問いの形でだけ持ち帰っておきたい。キャンプで味わう統制感は、手元に残る種類のものだろうか。それとも、場所が貸してくれている種類のものだろうか。
週末のキャンプ場で、火も寝床も食事も自分で整える。その感覚は本物だろう。けれど月曜の朝、その統制感はテントと一緒に畳まれる。キャンプが作業になるのは、手順に飽きたからだけではなく、二日間だけ貸し出される統制感と、残りの五日間との落差に、どこかで気づいてしまったからなのかもしれない。これは測られた結果ではなく、私の推測である。
キャンプは訓練の場だ、という言い方もよく聞く。同協会の白書2026の巻頭要約では、2025年の調査で「キャンプの経験は災害時に役立つと思うか」に「そう思う」「ややそう思う」と答えた人が合わせて90.5%だった。多くのキャンパーが、キャンプで身につけたものは災害時に役立つと感じている。それを手元に残る統制感の手応えと読むのは、私の解釈にすぎない。そもそもこれは感じ方の調査であって、実際に役立ったかを測ったものではない。訓練のつもりでいることと、訓練になっていることのあいだには、まだ距離がある。
自分で作りたくなるのは、自信が揺らいだとき
「キャンプの次」として語られがちなものの多くは、自分で何かを作る、直す、賄う方向を向いている。修理、保存食、電力の自給。こうした活動に惹かれる理由について、意外な実験がある。
自分で組み立てた品物を、同じ既製品より高く評価してしまう現象は、家具店の名前を取って「IKEA効果」と呼ばれる。ノートン、モション、アリエリーが2012年に名づけたもので、効果そのものは、このサイトではハンドメイドの趣味を扱った記事ですでに取り上げた。ここで見たいのは、同じ年に出た続編にあたる、モションとノートンとアリエリーの論文だ。
最初の実験では、79人を集め(分析したのは75人)、一部にレゴの車を組み立てさせ、残りには組み立て済みの同じ車を渡して、買い取り価格を尋ねた。組み立てた人の付け値は平均1.20ドルで、渡されただけの人の0.57ドルの約2倍だった。この差は「自分は有能だ」という感覚の高まりで説明された。
面白いのは三つめの実験である。オンラインで75人を二群に分け、片方には易しい数学の問題を4問、もう片方には正答率が当て推量と変わらないほど難しい問題を4問解かせた。そのあと、IKEAの本棚の写真を見せて、組み立て済みで届くのと、自分で組み立てるのと、どちらがいいかを尋ねた。易しい問題を解いた群で自分で組み立てたいと答えたのは33%。難しい問題で自信を揺さぶられた群では58%だった。
41人で行った追加の実験では、難しい問題を1問だけ解かせたあと、組み立て済みで届くテーブルと、組み立てが必要なテーブルのどちらかを選ばせた。難しい問題を解いた群の74%が組み立てるほうを選び、易しい問題の群では27%にとどまった。さらに別の実験では、組み立ての前に自分の大切な価値について書かせておくと、組み立てた品を高く評価する効果が見られなくなった。
この結果を、自給や修理への憧れに重ねると、居心地の悪い仮説が浮かぶ。自分の手で何かを賄いたいという欲求は、生活のどこか別の場所で有能感が削られているときに強まる、代わりの充足なのかもしれない。職場で自分の仕事の手応えが見えにくい週ほど、週末の薪割りが恋しくなる、というような。
もちろん、この実験からそこまでは言えない。参加者はオンラインの調査や大学の授業の参加者で、選んだのは仮想の本棚とテーブルだった。人数も一群あたり数十人にとどまる。数学の問題で揺さぶられた自信と、仕事で削られる有能感が同じものかどうかもわからない。言えるのは、作ることへの欲求が、作る対象への関心だけでなく、作り手の側の状態にも左右されうる、という程度のことだ。
言えることがその程度でも、この観察は「次」を選ぶうえで役に立つと思う。もし自給や修理に惹かれる理由の一部が、ほかの場所で失われた有能感の埋め合わせなら、その欲求は活動を変えても満たされ続けるとは限らない。埋め合わせが必要な穴のほうが、別の場所に空いているからだ。
それでも、キャンプは体の時計を動かしていた
ここまでの話は、キャンプの飽きを心の側から説明しようとしてきた。その説明を揺さぶる研究を、ここで置いておく。キャンプは、気分とは関係のないところで、測れる変化を起こしていた。
コロラド大学のライトらは、2013年に、8人の大人(平均30歳)を対象にした小さな研究を発表した。7月のロッキー山脈で、参加者はまず1週間、普段どおりに働き、電灯のある暮らしをした。次の1週間はテント泊で、太陽と焚き火の光だけで過ごした。腕時計型の計測器で浴びた光を測り、各週のあとに実験室で、眠気に関わるホルモンであるメラトニンの分泌の時間帯を調べた。
キャンプの週、起きている間に浴びた光の平均は、普段の週の4倍以上になった。体内時計の目印はすべて約2時間早まり、メラトニンの分泌はほぼ日没に合わせて始まるようになった。寝る時刻と起きる時刻も約1.2時間早まったが、睡眠時間そのものは6.7時間と6.8時間で、ほとんど変わらなかった。夜型の人ほど、大きく前にずれた。
同じ研究室のストザードらは2017年に、もっと短い条件を試している。夏の週末にテント泊をした9人では、メラトニンの分泌の始まりが平日に比べて約1.4時間早まった。週末だけで、1週間のキャンプで起きた変化の約69%に届いた計算になる。
二日間でここまで動く、というのが私には意外だった。
この研究の限界は小さくない。参加者は数人から十人に満たず、週末の研究ではキャンプに行くかどうかを参加者が自分で選んでいた。場所は日差しの強い夏のコロラドで、日本の、たとえば梅雨どきの林間サイトで同じことが起きるとは限らない。測ったのは体内時計の位置であって、気分や満足感ではない。キャンプが楽しかったかどうかは、この研究の守備範囲の外にある。
そのうえで、この結果は冒頭の「消費していたから飽きる」という説明に小さな穴を開ける。キャンプが作業に感じられていても、体の側では、電灯の暮らしでは起きない変化が起きている。消費として味わえなくなったことと、何も起きていないことは別だ。飽きたのは手順の見え方であって、キャンプが与えていたものそのものではないのかもしれない。
森や自然の中にいることそのものの効き目については、森林浴を扱った記事で、報告の数字がどこまで言えるかを別に検討した。ここでは、光という、より単純で測りやすい要素だけを取り出しておく。
「次」の手段を、四つ並べてみる
ここからが、検索の答えにあたる部分になる。とはいえ、ここまで読んできた人にはもう察しがつくと思うが、正解を一つに絞ることはできない。飽きの中身が、比較の疲れなのか、統制感の落差なのか、有能感の埋め合わせなのか、光と時間の変化を味わえなくなったことなのかで、合う手段が変わるからだ。
以下の四つは、少なくとも何らかの研究と結びつけて考えられるものに絞った。都市でのオフグリッド生活、無線通信、野草の採取のように「キャンプの次」としてよく挙がるものは外している。満足や幸福感との関係を調べた研究を、私は見つけられなかった。
道具を減らし、技能の余地を増やす
先に弱点から書いておく。この方向を直接支える研究を、私は見つけられなかった。
中身は、荷物を軽くして、歩く距離を伸ばすことだ。ファストパッキングや、軽量の舟で川と陸をつなぐパックラフトは、その極端な形にあたる。道具の比較から降りて、自分の脚と判断に仕事を移している、と言い換えてもいい。手元にある根拠は間接的なものだけで、モノへの満足は比較で削られやすいというカーターとギロビッチの知見と、有能感が満足の土台になるという自己決定理論の枠組みにとどまる。
うまくいけば、道具の市場から距離を取れて、上達の余地が身体の側に残る。皮肉なのは、軽量装備にもそれ専用の市場と比較の世界があることだ。グラム単位で道具を選び直し始めたら、比較の疲れは形を変えて戻ってくる。安全面の負担も重く、体力や天候判断の経験が前提になる。キャンプ場の設備が嫌になったのではなく、設営の手順に飽きただけの人には、負荷が大きすぎるかもしれない。
直す、作る
道具を買い替えずに直す。保存食や燻製のように、時間をかけて食べ物を仕込む。手を動かして何かを賄う方向で、四つの中では、根拠と危うさが同じ実験から出てくる点が変わっている。
モションらの実験では、自分で作ったものを高く評価する傾向は有能感の高まりで説明され、自信を揺さぶられた人ほど自分で組み立てたがった。手応えが目に見える形で残るのは、この方向の強みだろう。直したテントの継ぎ目なら、何度見ても自分の仕事だとわかる。
その裏返しとして、自作の品を高く見積もるのは評価の偏りでもある。直したものの性能を実際以上に信じてしまう危うさは、命を預ける山道具ではとくに無視できない。さらに、もし作ることへの欲求が別の場所の有能感の埋め合わせなら、作り続けても元の穴はふさがらない。仕事や日常の中に手応えが少ないと感じている人ほど惹かれやすく、その人ほど、作ることに背負わせすぎる危険がある、という形になりうる。
キャンプは続けたまま、夜の明かりを減らす
次を探すのをやめて、キャンプの中身のほうを変える手もある。ランタンを一つ減らし、日没後の画面を減らし、朝の光を浴びる時間を増やす。新しい趣味を始める費用も、道具を買い直す必要もない。
四つの中では一番具体的な数字があるのが、この方向だ。ライトらとストザードらの研究で、体内時計が実際に前へ動いた。ストザードらの週末のテント泊では懐中電灯やヘッドランプを使ってよかったが、それでも前へずれている。飽きたと思っていた活動の中に、まだ味わっていなかった変化が残っているかもしれない。
数字の具体さと、根拠の守備範囲の狭さは別の話である。測られたのは十人に満たない人の体内時計で、それが楽しさや満足につながるかはわからない。体内時計が前にずれることが都合よく働くかどうかは生活の時間割次第で、夜に働く人にとっては、むしろ噛み合わなくなる方向の変化でもある。統制感や有能感を求めてキャンプに飽きた人には、的外れに感じられるはずだ。
一人をやめてみる
ソロキャンプを選んだ理由が、他人の都合から逃れることだった人には、これは後退にしか見えないだろう。日程を合わせ、手順を相談し、他人のペースに付き合う。煩わしさは、この方向の代金そのものだ。
それでも挙げておくのは、根拠がある程度そろっているからだ。レイスらが2000年に発表した日記研究では、抄録で確認できた範囲で、2週間にわたって毎日の活動と気分を記録してもらい、その日の自律性、有能感、関係性の充足が、その日の気分の上下をよく説明した。関係性の充足を最もよく予測したのは、意味のある会話と、相手に理解され、認められていると感じることだった。チルコフらの論文が論じているように、誰かに頼ることは自律と矛盾しない。
誰かとのキャンプや、技術を教え合う集まりは、ソロの統制感とは別の種類の充足を足す方向になる。とはいえ、日記研究が見たのは日々の気分の変動で、キャンプに誰かを誘えば満足が上がるかを確かめたものではない。
焚き火の前に戻るとき
四つを並べてみて、どれが自分に合うかは、たぶん読む人のほうがよく知っている。私が言えるのは、選ぶ前に自分に聞いておく価値のある問いがある、ということくらいだ。
キャンプで手に入れていたのは、何だったのか。自分で納得して過ごしている感覚か。何にも頼らずに済む感覚か。自分の環境を動かせる感覚か。それとも、ただ朝の光か。
別の場所で別のやり方を試したあとで、慣れたキャンプ場に戻ることがあったとしたら、そのとき確かめられることがある。焚き火の前で感じるものが以前と違っていたら、変わったのはキャンプなのか、キャンプに持ち込んでいた欠落のほうなのか。
シュルツらの施設では、訪問が終わったあと、恩恵を受けていた人たちのほうが急に落ち込んだ。キャンプで味わう統制感がもし貸し出されたものなら、飽きたと感じている今は、それを返す途中なのかもしれないし、どこか別の場所で取り上げられたものを探している途中なのかもしれない。答えはテントを畳むときの、自分の手つきのほうに出るのだろう。
出典
- 日本オートキャンプ協会『オートキャンプ白書2014』の内容紹介(同協会の電子版刊行物、2014年7月15日号、autocamp.or.jp/organ/201407/HTML/index2.html)。1984年400万人、1996年1,580万人のピークの記述による。白書本体は未見。
- 旅行新聞「09年参加人口750万人、13年ぶりの増加で定着(オートキャンプ白書2010)」2010年7月21日(ryoko-net.co.jp/?p=3411)。二次情報。
- 日本オートキャンプ協会『オートキャンプ白書2026』巻頭要約(2026年、同協会ウェブサイト掲載PDF)。白書本体は未見。
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