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「私」の時間をどう使うか

「私」の時間をどう使うか

趣味を「資産」や「戦略」として語ることへの違和感から。家事や育児に追われる中で、自分のための時間をどう持つかを、ポートフォリオの言葉を使わずに考える。

TOMOAKI··趣味

「趣味は自己投資である」という言い方を、育児や家事に追われる人向けの記事でよく見る。趣味を通じて得られる効果をストレスホルモンの低減や自己肯定感の向上といった言葉で説明し、10個の選択肢をマトリクスに整理し、稼げる趣味への道筋まで示す。読んでいて息苦しくなるのは、趣味を始める前に、すでにその趣味が何の役に立つかを説明する義務を背負わされているからだと思う。

「お母さん」「奥さん」という役割を長く演じていると、自分が何を好きだったか分からなくなる、という感覚はわかる気がする。ただ、そこから「趣味とは人生における高度な意思決定である」という話に一足飛びに進むのは、飛躍が大きすぎる。何かを始めるのに、意思決定という重い言葉も、判断軸というマトリクスも必要ない。ただ、何となく手を動かしてみたい、という感覚で十分なはずだ。

「稼げる趣味への道」という発想にも、同じ違和感がある。蓄積、公開、交換という三段階のフェーズを踏めば趣味が収入になる、という筋書きは、趣味を始める動機の中に、最初から出口としての収益化を組み込んでしまう。好きで始めたことが対価を生むことがあるのは事実だとしても、それを最初から目標として設計するなら、それは趣味というより副業の準備であって、呼び方を変える必要がある。

瞑想が扁桃体の活動を抑えるという説明も、よく見かける。1日15分でどの程度の効果が実証されているのか、条件によってどれくらい幅があるのか、そこまで踏み込んで書いてある記事は少ない。効果を数値で断言できるほど、話は単純ではないはずだ。

結局のところ、何かを始めるのに必要なのは、7ステップのロードマップでも、稼ぐためのフェーズ表でもなく、今日何となく気になったことを、明日もう一度手に取ってみるという、それだけのことではないかと思う。続けば続くし、続かなければそれだけのことだ。三日坊主だったことを「立派な経験」と持ち上げる必要もない。ただ、また気が向いたら戻ってくればいい程度の、軽い話にしておきたい。