ficus.life/趣味
目次
泉質で温泉を選ぶようになってから、旅の意味が少し変わった

泉質で温泉を選ぶようになってから、旅の意味が少し変わった

「源泉かけ流し」や泉質にこだわるようになったのは、いつからだったか。効能書きの派手な言葉を一度疑いながら、温泉を選ぶ基準と、風呂上がりの一杯がなぜ効くのかについて書いてみる。

TOMOAKI··趣味

温泉に行くとき、以前は有名な宿や豪華な食事で選んでいた。今は少し違う基準を持つようになった。「循環ろ過式」なのか「源泉かけ流し」なのか、泉質は硫黄泉なのか単純泉なのか。旅先を決める前に、まずそれを調べる。

源泉かけ流しにこだわるのは、正直に言えば理屈より感覚の話だ。湧き出したままの湯と、塩素で殺菌され循環する湯とでは、肌に触れたときの印象がはっきり違う気がする。ただ、これを「細胞レベルのリセットが起きる」というような言い方で語るのは、自分の実感を超えている。温度と成分が違えば感じ方が違うのは当然としても、それ以上のことは、たぶん誰にもわかっていない。

泉質についても、調べれば調べるほど「使われている表現」と「わかっていること」の差に気づく。硫黄泉が「頭を空にする」とか、炭酸泉が「思考を深化させる」といった言い方は、まとめサイトやガイドブックの中で繰り返されているだけで、出典を辿れることはほとんどない。ただ、炭酸泉については、思考への効果はともかく、体への効果なら裏付けがないわけではない。健康な成人39人を対象に、38度の二酸化炭素含有水に脚を浸した実験では、浸漬前・浸漬中・浸漬後で末梢の血流量に統計的に有意な差が確認されている。血管が拡張し、血流が良くなるという生理的な変化そのものは、実験室レベルでは再現されている話らしい。ただし、これはあくまで血流の話であって、「思考が深まる」という頭の中の効果まで裏付けているわけではない。効能書きの多くは、確認されている部分(血流)と確認されていない部分(思考)を、都合よく一つの文にまとめて売っているだけなのかもしれない。実際に浸かってみて、ただ気持ちがいい、あるいは肌がつるつるする、という程度のことしか、自分には言えない。それでも、成分表を見比べて「今日はどっちの湯にしようか」と考える時間そのものは、単純に楽しい。

頻度についても考えが変わった。年に一度、奮発して豪華な旅館に泊まるより、五千円前後の素泊まり宿に月一くらいのペースで通うほうが、自分には合っている気がする。派手な体験としては前者に軍配が上がるのだろうが、日常の底を少し押し上げてくれるという意味では、後者のほうが効いている実感がある。

この感覚を、少し補強してくれるデータがある。国立がん研究センターが1990年から約19年間追跡した多目的コホート研究(JPHC研究、入浴習慣の質問に回答した約43,000人のうち、最終的な分析対象は30,076人)によれば、湯船に浸かる頻度が「週2回以下」の人と比べて、「ほぼ毎日」入浴していた人は、虚血性心疾患の発症リスクが35パーセント、脳卒中の発症リスクが26パーセント低かった。ただし、これは温泉の泉質についての研究ではなく、家庭のお湯も含めた「湯船に浸かる」という行為そのものの頻度についての結果だ。硫黄泉だろうと単純泉だろうと、この研究の枠組みでは区別されていない。年に一度の豪華な湯より、頻度の高い普通の湯船のほうが体には効いている可能性がある、という点では、自分の感覚とデータの向きは一致しているが、それが「温泉」でなければならない理由までは、このデータからは出てこない。もっとも、これも自分の感覚の話であって、誰にでも当てはまる法則ではないだろう。

長期滞在、いわゆる湯治についても、「三日目から自律神経が劇的に改善する」というような言い回しをよく見かけるが、これも根拠を確認したことがない。ただ、二泊三日で慌ただしく観光地を回るのと、三泊してただ湯に浸かっては本を読む生活を繰り返すのとでは、帰ってきたときの疲れの残り方が違う。それが自律神経のどの部分に何をもたらしているのかは、自分にはわからない。わからないまま、それでも通っている。

温泉分析書を眺める習慣もついた。pH値や溶存物質量を見ても正直よくわからないことのほうが多いが、脱衣所の前でそれを読み解こうとする数分間は、ただの入浴を少しだけ能動的な時間に変えてくれる。効能を鵜呑みにするためではなく、自分がこれから浸かる湯がどういうものかを、少しでも知っておきたいだけなのかもしれない。

風呂上がりの一杯が、旅館の食事より効くことがある

この手の一人旅では、食事も豪華な会席より、風呂上がりに素泊まり宿の周りで買ったコンビニのつまみとビールで済ませることが増えた。旅館の懐石より、缶ビールと乾き物のほうが満足度が高いと感じる瞬間があるのは、我ながら不思議だった。

これにも、それらしい説明がある。生理学者ミシェル・カバナックが1971年に学術誌Scienceで示した「アリーセシア」という概念によれば、同じ刺激でも、それが快いか不快かは、その時の体の内部状態によって決まる。体温が下がっている人には温かい刺激が、体温が上がっている人には冷たい刺激が、それぞれ快く感じられるという。カバナックの実験では、体の芯の温度を人為的に下げた被験者は手にはめた温水グローブの温度を上げたがり、逆に体温を上げた被験者は温度を下げたがった。刺激そのものの質より、その刺激が体の平衡をどちらに戻してくれるかが、快・不快を決めている。

温泉で芯まで温まった直後の体は、まさに「冷たい刺激が快く感じられる」状態にある。そこで飲む冷えたビールが、部屋でだらだら飲むビールよりうまく感じられるのは、味覚の問題である以前に、体温の平衡を戻そうとする体の側の要求と、刺激の向きがたまたま一致しているからなのかもしれない。豪華な会席料理がその瞬間に負けることがあるのも、料理の質の問題ではなく、体が今いちばん欲しがっている刺激の種類が、繊細な出汁の風味ではなく、単純な「冷たさ」だから、というだけの話だとすれば筋が通る。

出典

Ukai, T., Iso, H., et al. (2020). "Habitual Tub Bathing and Risks of Incident Coronary Heart Disease and Stroke." Heart(国立がん研究センター多目的コホート研究、JPHC Study Cohort I).
Hasyar, A. R. A., Rasyid, H., Idris, I., & Yusuf, I. (2021). "Effect of Artificial Carbon Dioxide-Rich Water Immersion on Peripheral Blood Flow in Healthy Volunteers." Open Access Macedonian Journal of Medical Sciences, 9(A).
Cabanac, M. (1971). "Physiological Role of Pleasure." Science, 173(4002).