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「摩擦」のある趣味は、本当に脳をリセットしてくれるのか

「摩擦」のある趣味は、本当に脳をリセットしてくれるのか

万年筆や手挽きコーヒーが「認知のデフラグ」になるという話をよく見かけるが、実際にそこにあるのはもっと地味な効果ではないか、と一度立ち止まって考えてみる。

TOMOAKI··趣味

画面から離れる趣味を紹介する記事には、たいてい「摩擦」という言葉が出てくる。デジタルの作業には抵抗がなさすぎるから、指先に手応えのあるものに触れることで脳が休まる、という説明だ。万年筆、手挽きのコーヒーミル、レコード、フィルムカメラ。どれも自分がここ数年でなんとなく増やしてきた道具でもある。

ただ、それを「摩擦によって脳がリセットされる」という言い方で説明されると、少し居心地が悪くなる。自分が万年筆で日記を書くのは、たぶんそんな仕組みだった理由ではない。

手応えがあると、なぜか落ち着く

指先に伝わる感触が思考に何か効くというのは、直感としてはわからなくもない。ペン先が紙の繊維をわずかに引っかける感覚とか、豆を挽くときの粒が砕ける手応えとか、そういうものに触れているときは、たしかに他のことを考えにくい。ただ、それが「脳の情報処理モードを切り替える」という話にまで持っていけるかというと、自分の実感ではそこまで言い切れない。単に、両手が塞がっていて、スマホを触れないから他に何もできない、という単純な理由の方が大きい気もする。

効果を測ったわけでもないのに、道具のブランドや性能の話になると、急に理屈が精密になっていくのも気になるところだ。「スリップシール機構でインクの鮮度が保たれる」とか「切削精度が生む振動」とか、道具の説明としては正しいのだろうが、それが集中力や創造性の話と直結するのかは、また別の話だと思う。

実際に続いているのは、地味な理由の方だった

数年使ってきて、今でも続けているものと、いつの間にかやめたものを振り返ってみると、続いているのは案外シンプルな理由のものだった。

  • 手挽きのコーヒーミルは、単に電動よりも音が静かで、朝早くに家族を起こさずに済むという理由で続いている。
  • 万年筆で日記をつけているのは、ボールペンより書き味が好みだからで、それ以上の理由は特にない。
  • レコードは、盤をひっくり返す手間そのものより、ジャケットを眺める時間が単純に楽しいから残っている。

逆に、木工や陶芸のように、道具の準備や片付けに時間がかかるものは、しばらくすると触らなくなった。「不便さこそが価値だ」という理屈は分かるつもりでも、実際には不便さが単なる面倒くささとして積み重なって、そのまま遠ざかっていった。

効能の話より先に、好きかどうかがある

アナログな趣味を「脳のメンテナンス」や「戦略的な休息」として語る書き方は、たぶん、ただ好きだからやっているという説明では物足りない、という気持ちから来ているのだと思う。効能があると言われた方が、時間を使うことへの言い訳がしやすい。

でも、指先の感触や、道具を手入れする時間そのものが好きだという理由の方が、実は一番強い。効能を証明できなくても続けているものはあるし、逆に効能がありそうでも続かないものもある。そこにある違いを、脳の切り替えやデフラグという言葉で語り直す必要は、たぶんなかったのだと思う。