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Vol.05:良い音を求めて、どこまでお金と手間をかけるべきか
圧縮音源とワイヤレスの何が実際に音を変えているのか。電源ケーブルや接点復活剤のような、効果の怪しい儀式との境目はどこにあるのか。音について書く五本目の記事。
音についてこのサイトで書くのは、これで五本目になる。毎回、有線のイヤホンやスピーカーにこだわる自分を、少し照れながら書いている。今回は、その「こだわり」の中で、実際に根拠のある部分と、たぶん儀式でしかない部分を、一度切り分けてみたい。
確かに変わっているらしいもの
MP3やAACのような損失圧縮は、人間の耳に聞こえにくいとされる帯域を間引くことで、ファイルサイズを小さくしている。この間引きが、演奏の残響や空気感といった、聞こえにくいはずの微細な情報まで削っているのではないか、という指摘は昔からある。実際にロスレス音源と圧縮音源を比較したブラインドテストの中には、有意な差を検出できたという報告もある一方で、多くの被験者が違いを聞き分けられなかったという結果も同じくらい報告されている。差はゼロではないが、思っているほど劇的でもなさそうだ。
ワイヤレス接続についても、技術的な事実としては、Bluetoothの伝送にはある程度のレイテンシと、クロックのずれによる微小なタイミングのぶれが存在する。これも測定上は確かに存在する現象だが、日常的な音楽鑑賞でそれがどれほど知覚できるかは、また別の話だ。
怪しいと思っているもの
一方で、オーディオ愛好家の間でよく語られる工夫の中には、正直、効果の実証をほとんど見たことがないものも多い。電源ケーブルを高級なものに変える、接点復活剤で端子を磨く、といった類のものだ。海外のオーディオ専門誌が主催したブラインドテストでは、参加者の多くが数万円の電源ケーブルと付属のケーブルの違いを聞き分けられなかった、という報告を読んだことがある。
それでも白状すると、自分は接点を磨いた後の音を「良くなった」と感じてしまう。曇りが晴れたような気さえする。これは音そのものが変わったからなのか、それとも「手をかけた」という満足感が聴覚に先回りしているだけなのか、自分でも判別がつかない。プラシーボを疑いながら、それでも磨いてしまうあたり、あまり合理的な人間ではないのだと思う。
境界線をどこに引くか
整理すると、圧縮のかけ方や伝送方式のように、原理として情報が失われているとわかっているものは、こだわる理由がある。一方、ケーブルの素材や電源の浄化のように、原理と体感の間に橋渡しできる説明がまだ乏しいものは、儀式として楽しんでいる、という自覚を持っておいたほうが誠実な気がする。
「良い音」を追いかけること自体は、悪いことではないと思う。ただ、それを「主権を取り戻す」といった大げさな言葉で語り出すと、自分がやっていることの実態——確証のない工夫にお金をかけて満足している、という部分——が見えにくくなる。音の良し悪しを語るときくらいは、その曖昧さも込みで、正直でいたい。
