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Vol.06:部屋の間取りに、なぜ自分を合わせてしまうのか

Vol.06:部屋の間取りに、なぜ自分を合わせてしまうのか

「2LDK」という型に暮らしを合わせることと、家具の配置や照明を自分の生活リズムに合わせて考え直すことは、何が違うのか。修繕をめぐる連載の最終回として、住まいについて考えたことを書く。

TOMOAKI··建築

賃貸の間取り図を見ていると、「リビング」「洋室」「寝室」という名前がすでに決まっている。その名前に従って家具を配置していくと、いつのまにか部屋の使い方まで、その名前に沿ったものになっていく。テレビの前にソファを置き、寝室にはベッドだけを置く。それは特に間違った選択ではないが、自分が実際にその部屋でどう過ごしているかを確かめる前に、名前の方が先に決まってしまっているのは、少し奇妙なことのようにも思える。

名前より先に、過ごし方を見る

試しに、部屋の名前を一度忘れて、平日の自分がどこで何をしているかを書き出してみたことがある。日当たりの良い窓際でぼんやり過ごす時間が長いのに、そこには特に何も置いていなかった。一方で、あまり日の当たらない隅に机を置いて、仕事をしていた。動線のことは何も考えずに、家具を「らしい場所」に置いていただけだったのだと気づいた。

それで、日当たりの良い場所に椅子を一つ置き、机を窓から少し離した場所に移してみた。劇的に何かが変わったわけではないが、部屋の中で自分がどこにいたいかを、少しだけ意識するようになった。これは「間取りを打破する」というような大きな話ではなく、単に部屋の名前を一旦脇に置いて、自分の生活を観察してみただけのことだ。

配線とコンセントの位置

床を這う延長コードは、見た目の問題であると同時に、動線の邪魔にもなる。コンセントの位置に合わせて家具を置くのではなく、家具を置きたい場所に電源タップを増設する、あるいは配線をまとめて隠す。これも地味な工夫だが、視界からケーブルの塊が消えると、部屋を見渡したときの落ち着き方が違う気がする。「気がする」というのは正直な言い方で、これを厳密に検証したわけではない。ただ、散らかった配線を見るたびに「あとで片付けなければ」という小さな未処理タスクが視界に入り続けるのは、確かに疲れる。

照明について、慎重に書く

「昼は青白い光で覚醒し、夜は暖色の光で鎮静する」という話は、照明関連の記事でよく見かける。体内時計と光の色温度が関係していること自体は、いくつかの研究で報告されているようだが、家庭の照明を変えただけでどこまで生活の質が変わるのかは、正直なところ自分では確かめようがない。少なくとも、天井の白い照明だけで過ごしていたときより、手元に暖色の間接照明を足してからのほうが、夜に画面を見続けてしまう時間は減った気がする。これも自己申告の域を出ない話ではある。

言えるのは、部屋の明かりを一つに固定せず、時間帯や作業によって使い分けられるようにしておくと、選択肢が増えるということくらいだ。それ以上の効能を、この場で請け合うことはできない。

スマート家電と、預けているもの

照明や家電をアプリで操作できるようにする製品は増えている。便利である一方で、自分の在宅時間や生活リズムのデータが、どこかのサーバーに蓄積されていくことにもなる。それがどう使われているのか、利用規約を読んでもよくわからないことが多い。すべてを拒否する必要はないと思うが、何を差し出しているのかを知らないまま便利さだけを受け取るのは、少し居心地が悪い。ネットワークが切れても最低限の操作はローカルで完結する製品を選ぶ、あるいは常時クラウド接続が前提の機器は寝室のような私的な空間には置かない、というくらいの線引きは、してもいいのかもしれない。

この連載を振り返って

デニムの継ぎ当て、がたついた家具の調整、古いガジェットの分解、音の聞こえ方。この連載で書いてきたのは、どれも壮大な話ではなく、身の回りの小さなものに少し長く付き合ってみた記録だった。共通していたのは、「最初からそういうものだ」と思っていたものを、一度手に取って確かめ直すという動作だけだったように思う。

部屋についても、同じことが言えるのかもしれない。与えられた間取りに従うか逆らうかという大きな話ではなく、自分がその場所でどう過ごしているかを、たまに立ち止まって見てみる。それくらいのことしか、ここには書けない。