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ポモドーロの「証明」をたどると、小説の学習ガイドに着いた

ポモドーロの「証明」をたどると、小説の学習ガイドに着いた

考案者は、20〜45分の区切りは後に短い休憩を挟めば注意と精神活動を最大にしうると「証明されている」と書き、その参考文献に小説の学習ガイドを挙げた。中身は未確認だ。AIに任せて待ち、確かめる働き方で、25分は何を測るのか。

TOMOAKI··仕事

「10分、勉強できるか」という賭けから始まった

ポモドーロ・テクニックを考案したフランチェスコ・チリロは、自分で公開している解説書(初版は2006年、ここで読んだのは2007年の第1.3版)の序文で、始まりを1980年代後半、大学に入って最初の数年のことだと書いている。最初の試験を乗り切った後、気が抜けて何も手につかない時期が来た。教室で同級生を眺め、それ以上に厳しい目で自分を眺めて、彼は一つの賭けをする。「10分間、本当に勉強できるか」。見張り役に選んだのは、トマト型のキッチンタイマーだった。賭けにはすぐには勝てず、時間をかけてようやく勝った、とも書いている。

フィリップ・ルソーの絵画『望遠鏡と天球儀、砂時計、書物、羽根ペンのある静物』。観測と計測の道具が、書斎の机に静かに並んでいる。

同じ解説書によれば、技法として定義されたのは1992年で、個人に教え始めたのが1998年、チームに教え始めたのが1999年。読み進めると、基準の長さが思っていたものと少し違う。伝統的なポモドーロ1個は「30分」で、その内訳が作業25分と休憩5分だという。理想は20〜35分、長くても40分。チームに長さを選ばせたときの経過も書かれていて、25分は短すぎると感じたチームが1時間から始め、2時間に延ばし、45分に縮め、10分まで下げ、最後に30分に落ち着いた。チリロは、長さを選ぶなら効果についての観察に基づくこと、という条件をチームに付けていた。25分(休憩を足して30分)という長さは、実験で導いた値というより、そうした観察と試行のなかで振り子が何度か揺れた末に落ち着いた位置に近い。

この技法の前提もはっきりしている。ポモドーロ1個は分割できない単位で、半分や4分の1のポモドーロは存在しない。作業中に割り込みが来たら記号を付けて書き留め、処理は後に回す。解説書の例に出てくる架空の人物は、執筆の途中で友人に電話したくなり、10分後にはピザが食べたくなる。どちらも、紙に印を付けて作業に戻るだけだ。外からの割り込みだけでなく、内側から湧く割り込みまで想定しているあたり、よく観察された技法ではある。

ただ、この仕組み全体は、一人の人間が一つの作業を自分の手で進める、という働き方の上に組み立てられている。AIに下書きを書かせ、結果を確かめ、直しを頼み、また待つ。その繰り返しが日常になった今、手を動かしているのは誰なのか、という前提のほうが揺らいでいる。人の役割が「実行する」から「頼んで、確かめる」へ移ったとき、25分という単位はまだ何かを測っているのだろうか。

巻末の15番に載っていた本

長さの理由として、チリロは二つの力を挙げている。一つは記録のしやすさで、10分のような短い単位は中断こそされにくいが、まとまった成果が出ないうえに記録が煩わしくなる。もう一つが注意で、彼はこう書く。20〜45分の区切りが、その後に短い休憩を挟めば、注意と精神活動を最大にしうることは証明されている。そしてその根拠として、参考文献の15番を挙げている。

巻末の一覧で15番を引くと、出てくるのはヨナ・マグレガーとトニー・ブザンの共著『A Guide to Animal Farm』(Hodder & Stoughton、1998年)。オーウェルの小説『動物農場』の学習ガイドである。同じ一覧にはブザンの脳の使い方についての本が3冊並んでいるので、このガイドにも学習法の章があるのかもしれない。中身はここでは確かめていないから、そこに注意の研究が紹介されている可能性は残しておく。それでも、「証明されている」という言葉の先にあるのが実験の論文ではなく、文学作品の学習ガイドだという点は、書誌を読むだけで確かめられる。

道案内の看板をたどっていったら、研究所ではなく参考書の棚に着いた、というくらいのずれ方だ。チリロ本人を責める話ではない。彼は解説書の題に「技法」と付け、本文でも結果を経験として語っている。気になるのは、「証明されている」という強い言葉の先が、解説書の中ではこれ以上たどれないことのほうである。

仕事は、AIが来る前から細切れだった

では、実際の職場で、人は一つの作業にどれくらい続けて留まっているのか。2005年、情報科学者グロリア・マークらは、仮名でITSと呼ばれる外部委託企業で働く24人を、1人あたり3日ほど張り付いて観察した。観察は合わせて700時間を超える。電話を取った、文書を開いた、といった出来事を秒単位で記録し、同じ目的に向かう出来事のまとまりを「ワーキングスフィア」と呼んで分析した。

一つのワーキングスフィアに途切れずに留まっていた時間は、平均11分4秒(標準偏差18分9秒)。ほかの作業に移るか、中断されるまでの長さである。一日の合計ではない。そして、そうした一続きの塊の57.1パーセントが、途中で中断されていた。平均の11分4秒は、ポモドーロの25分の半分にも届かない。25分続いた塊がどれだけあったかまでは平均からは分からないが、誰にも邪魔されずに一つのことを25分続けるという状況は、AIが現れるずっと前の、ごく普通のオフィスで、すでにありふれたものではなかったらしい。観察したのは1社の24人の行動で、頭の中の集中を測ったわけではない、という点は断っておく。

細部にも、直感と合わない数字がある。その人の本来の仕事(論文の用語では中心的なワーキングスフィア)のほうが、周辺的な手伝いより中断される割合が高かった。60.3パーセント対41.7パーセントである。さらに、中断された塊は平均12分40秒と、中断されなかった塊の8分58秒より長かった。長く留まっていればそれだけ割り込まれる機会も増える、という当たり前の事情でも説明はつくが、「中断されたから短くなった」という素朴な図とは逆向きの数字だ。

中断のコストについても、同じグループの2008年の実験が、別の角度から覆しを用意している。48人の参加者(8割余りがドイツの大学生)に、人事担当者の役でメールに返信させ、2分おきに電話やチャットで割り込んだ。割り込みへの対応にかかった時間を除いて比べると、割り込まれた条件のほうが、作業にかかった時間は短かった。割り込みのない条件の平均22.77分に対して、20.31分と20.60分。誤字などの誤りや丁寧さには差がなかった。代わりに上がったのが、ストレス、いら立ち、時間に追われる感じ、費やした努力の自己評価である。著者らは、人は中断を見越して速く、短く書くことで埋め合わせるが、その代償を払っている、と解釈している。中断は時間を奪うとは限らない。時間の代わりに、別のものを請求してくることがある。

「戻るまで」が「集中が戻るまで」になった

「一度中断されると、集中が戻るまで23分15秒かかる」。生産性についての記事でよく見かけるこの数字には、出どころがある。少なくとも、2008年7月28日付の Fast Company に載ったカーミット・パティソンによるインタビューで、マーク本人が23分15秒という数字を口にしている。中断された作業の約82パーセントは同じ日に再開される、という話に続けて、ただし作業に戻るまでに平均23分15秒かかる、と述べたものだ。言っているのは「作業に戻るまで」で、「集中が戻るまで」ではない。

査読を経た論文の側には、この値が見当たらない。2005年の論文にあるのは、中断された作業が同じ日のうちに再開された場合、再開までにかかった時間の平均25分26秒で、標準偏差は54分48秒。標準偏差が平均の2倍を超えるのだから、すぐ再開される作業もあれば、1時間以上かかる作業もありうる、ばらつきの大きな分布である。その間に、人は平均2.26個の別の作業に手を付けていた。ほかの人や出来事に中断された作業は平均22分37秒、自分で中断した作業は29分1秒で再開されているが、この差は統計的には際どい水準にとどまる。同日中の再開率も、論文では全体で77.2パーセント、本来の仕事に限ると82.0パーセントとなっていて、インタビューの「約82パーセント」は後者に近い。中断のストレスを調べた2008年の論文にも、23分の数字は出てこない。

インタビューの中でマークは、いくつもの職場を調べてきたと話しており、23分15秒がどの調査の値なのかは、この記事からは分からない。同じインタビューで彼女が挙げた「ワーキングスフィアは10分半ごとに切り替わる」も、2005年の論文の11分4秒とは一致しない。別の集計から引いた数字である可能性はあるが、ここでは確かめられない。丸めた結果だと考えるのも無理がある。25分26秒を丸めても、23分15秒という、元より小さく細かい数字にはならない。

それより大きなずれは、数字の意味のほうにある。インタビューでも論文でも、測られているのは「その作業に戻るまでの時間」だ。電話に出て、メールを片付け、別の案件を二つほど触ってから、元の作業に戻る。その間の経過時間であって、戻った後に頭が元の深さまで沈むのに何分かかったかを測ったものではない。伝言ゲームのどこかで、「戻るまで」が「集中が戻るまで」に書き換わった。数字は研究者本人の口から出たものなのに、意味のほうは本人の測定から離れて流通している。なお同じ数字は、2008年より前、2006年のマークへのインタビューにも出てくる。その経緯はスマホとの距離を扱った記事で詳しく追った。この稿で確かめたのは2008年の記事のほうだけである。

終えたのに尾を引く場合と、引かない場合

AIに複数の作業を頼み、一つの返答を待つあいだに別の指示を出す。効率のよさそうなこの進め方に関わるのが、ソフィー・ルロワが2009年に発表した「注意の残滓」の研究である。原論文は要旨も手元で読めていないので、ここでは英国心理学会(BPS)の研究紹介記事に拠る。

紹介記事によれば、一つ目の実験では84人の大学生が単語の課題に取り組み、続いて応募者の履歴書を評価する課題に移った。単語の課題には、解き終えられる版と、そもそも解き終えられない版があった。未完了の状態は、途中で止めさせたのではなく、課題の難しさで作られていたことになる。さらに半数には、ほかの人は5分の制限時間で苦労した、と告げて時間の圧力をかけた。二つの課題のあいだには、文字列が実在の単語かどうかを判断させる短い課題を挟み、一つ目の課題に出てきた単語への反応の速さで、注意がまだ前の課題に残っているかを測った。

結果は、少し意外な形をしていた。前の課題に注意が残りにくかったのは、時間の圧力の下で課題を終えた人だけだった。終えられなかった人はもちろん、圧力なしに終えた人も、そこまでの効果は見せなかったという。78人による二つ目の実験では、時間の圧力の下で終えた人が、次の履歴書の評価でもよい成績を収め、前の課題をやり切ったという確信もいちばん強かった。ルロワはこれを、時間の圧力の下で終えることが「認知的な区切り」を生み、注意を次へ移しやすくするからだと説明している、と紹介記事は伝えている。

書きかけのメールを下書きフォルダに残して会議に出るのと、送信してから出るのとでは、会議中の頭の中身が違う。そこまでは多くの人が経験的に知っている。この研究の紹介が付け加えるのは、終えたという事実だけでは足りない場合がある、という点だ。効果が出たのは時間の圧力の下で終えた人たちで、ルロワはそれを区切りの感覚で説明している。説明が正しいかどうかは、紹介記事からは確かめようがない。

AIに頼んだ作業は、頼んだ側にとって、どの時点で「終わった」ことになるのだろう。指示を送った瞬間か、返答が届いた瞬間か、中身を確かめて採用した瞬間か。この実験はAIを扱っていないし、学生が実験室で解いた単語の課題から職場の作業へ話を広げるには、距離もある。ただ、ルロワの説明どおり区切りの感覚が注意の残り方を左右するのだとしたら、AIとのやり取りは、その区切りがどこにあるのか分かりにくい作業の典型ではある。

見張りは、休憩の代わりにならない

AIが作業しているあいだ、人がしているのは待つこと、あるいは見張ることだ。手を動かして考え続けるポモドーロの25分とは、性質が違う。この違いを扱ってきたのが、1940年代末にノーマン・マックワースが始めた「ヴィジランス(見張り)」の研究の系譜である。

マックワースの原論文はここでは読めていないので、その成果を引いた一次の文献に頼る。心理学者リザンヌ・ベインブリッジは1983年の論文で、マックワースの研究を挙げながら、ほとんど何も起こらない情報源に、効果的な視覚的注意を向け続けることは、どれほど意欲の高い人でも約30分を超えると不可能だ、と書いている。チリロが行き着いた30分とたまたま同じ長さだが、指しているものは違う。一方は見張りの限界で、一方は作業と休憩をひと組にした単位である。

見張りが楽な仕事ではないことも、のちの研究がはっきりさせている。ジョエル・ウォームらが2008年にまとめた総説の要旨によれば、見張りの作業は長いあいだ、頭をあまり使わない仕事で、成績が落ちるのは刺激が少なくて気が緩むからだと考えられてきた。行動・脳・主観の測定を突き合わせると、実際には逆で、見張りは骨の折れる精神労働であり、ストレスを生む。作業の難しさが増すほど、その負担も増える。

夜の駐車場の監視モニターを眺め続ける警備員を思い浮かべると近い。画面の前に座っているあいだ、体はほとんど動かないが、休んでいるわけではない。AIの出力を横目で待つ時間も、外から見れば手が止まっているだけに見える。ポモドーロの5分休憩は、手を動かした25分から回復するための時間として置かれている。その前の25分が見張りに使われていたのなら、回復させるべき疲れの種類からして違う、と考えるほうが自然だろう。

自動化が人の手元に残すもの

ベインブリッジの論文の題は「自動化の皮肉」。対象は工場や発電所のプロセス制御で、彼女は二つの皮肉から書き始める。設計者は人間の操作員を、信頼できず非効率だから排除すべき存在だと見がちだが、その設計者自身の誤りが運用上の大きな問題の源になりうる。そして、人を排除しようとした設計者も、自動化のやり方を思いつけなかった作業だけは人に残す。結果として操作員の手元には、寄せ集めの作業が、支える工夫もろくにないまま残される。

残された作業には、異常時の引き継ぎが含まれる。手を動かす技能は使わなければ衰え、ずっと自動運転を見守っていた熟練者は、いつの間にか未熟な操作員になっているかもしれない、と彼女は書く。しかも人が引き継ぐのは、たいてい何かがおかしくなった場面で、平均より高い技能と、平均より軽い負荷が必要になる。言い換えれば、平均より鈍っているかもしれない技能で、平均より重い状況に入る、という構図になる。

もう一つの指摘は、今読むと身につまされる。自動化が入るのは、機械のほうが速く、多くの条件を考慮して判断できるからだ。だとすれば、人がその判断を実時間で検算する方法はない。人にできるのは、機械の判断が「受け入れられる」ものかを一段上から見ることだけで、彼女はこれを、人に不可能な仕事を与えたと書いている。見張りに注意を向けさせる古典的な方法として記録を付けさせるやり方があるが、人は数字を、それが何かに気づかないまま書き写せてしまう、とも。差分を一行ずつ眺めて「承認」を押す作業に、思い当たるところのある人は少なくないはずだ。

論文は「最後の皮肉」と呼んで、もう一つを挙げている。人の介入がめったに要らない、最もうまくいっている自動化システムほど、操作員の訓練に最も大きな投資が必要になるかもしれない、と。1983年の工場の話を、そのまま今のソフトウェア開発や執筆に移すことはできない。それでも、定型の部分をAIに任せるほど、人の手元には仕様の解釈や設計の判断といった、任せ方が分からなかったから残った仕事が集まり、その判断を鍛える機会は減っていく、という構図は、移しても形が崩れにくい。

見守る側に回ると、見抜く力は落ちるのか

自動化を見守る役に回ること自体が、人の状況把握を鈍らせる。ミカ・エンズレーとエシン・キリスが1995年に発表した研究は、この「アウト・オブ・ザ・ループ」の問題を、航法の課題をエキスパートシステムで自動化した実験で調べた。要旨によれば、状況把握が低いと、システムが故障した後の判断に時間がかかった。その状況把握の低下にいちばん効いていたのは、能動的に情報を処理する状態から受動的に受け取る状態への移行で、人がどこまで操作に関わり続けるかによって、落ち込みの大きさが変わったという。

長いあいだ、この種の知見は航空や車両の航法、工場の制御から得られたもので、AIの出力を確かめる仕事を直接調べた研究ではなかった。2025年以降、AIに頼った後の人の側を測った研究が出始めている。ただし、次の2本は性格が違う。一本は記録をさかのぼった観察研究で、もう一本は査読前のプレプリントだ。どちらも、AIの出力を見守る仕事そのものを調べたわけではない。

一つは医療の観察研究だ。ブジンらがポーランドの4つの内視鏡施設で調べたところ、ポリープを見つけるAIを導入した後、AIを使わずに行った大腸内視鏡検査での腺腫の発見率が、導入前3か月の28.4パーセントから、導入後3か月の22.4パーセントに下がった。AIに日常的に触れることが、AIなしで検査するときの医師のふるまいを変えたおそれがある、と著者らは書いている。過去にさかのぼって記録を比べた観察研究で、因果を確かめる設計ではない。測ったのも腺腫の発見率で、医師の技能そのものではない。とはいえ、補助輪に慣れた後で補助輪を外したときの話を、実際の数字で示した例ではある。

もう一つは、2026年1月に公開されたジュディ・ハンウェン・シェンとアレックス・タムキンの報告で、査読前のプレプリントである。要旨によれば、開発者が新しい非同期プログラミングのライブラリをAIありとなしで学ぶランダム化実験を行ったところ、AIを使った側は、概念の理解、コードの読解、デバッグの成績が低く、平均では作業も有意に速くはならなかった。作業を丸ごと任せた人には生産性の改善が見られたが、ライブラリを学ぶことと引き換えだった。主な結果は、AIの使用が習得を損なった、というものだ。要旨はそのうえで、AIとのやり取りに6つの型を見いだし、そのうち自分の頭を使い続ける3つの型では、AIの助けを受けても学習の成果が保たれていた、とも書いている。ただ、どの型になるかは無作為に割り付けたものではなく、AIを使った人たちのやり取りから見いだされたものだ。使い方の違いが成果の違いを生んだのか、もともと違う人が違う使い方を選んだのかは、要旨からは区別できない。扱っているのも、すでにある技能が衰えたかどうかではなく、新しい技能が身につくかどうかである。

速くなった実感と、19%の遅れ

体感と実際のずれを、くっきりと見せた報告もある。研究機関METRのジョエル・ベッカーらは、2025年2〜6月時点のAIツールを使い、経験豊富なオープンソース開発者16人に、自分が平均5年関わってきたリポジトリの実際の課題246件を解かせた。課題ごとに、AIを使ってよいか使ってはいけないかを無作為に割り当てる。使ったのは主に Cursor Pro と Claude 3.5/3.7 Sonnet だった。報告は arXiv に置かれたプレプリントで、査読は経ていない。

開発者たちは事前に、AIを使えば完了までの時間が24パーセント縮むと予想し、実験の後でも20パーセント縮んだと見積もっていた。経済学と機械学習の専門家の予想は、それぞれ39パーセントと38パーセントの短縮。実際に測ると、AIを使ってよい課題のほうが、完了までの時間が19パーセント長かった(95パーセント信頼区間は2〜39パーセント)。何時間もツールを使った後でさえ、本人の感覚は逆の向きを指していたことになる。

理由について、著者らは21の候補を調べ、遅れに寄与した証拠があるとみたのは5つだった。AIの有用さへの楽観、開発者がリポジトリを熟知していたこと、リポジトリが大きく複雑なこと、AIの信頼性の低さ、AIが暗黙の文脈を使えないこと。信頼性の項では、開発者が受け入れたAIの生成は44パーセント未満で、AIの出力の確認と手直しに作業時間の9パーセントが使われていた(ラベル付きの録画44件での値)。ただし著者ら自身、データを分割した比較には統計的な力が足りず、この要因分析は推測的で示唆的な証拠にとどまる、個々の証拠を重く見すぎないように、と強く断っている。

この記事の関心に近いのは、画面録画の分析だ。録画が使えた74件の課題を見ると、AIを使えるときは、自分でコードを書く時間と情報を探して読む時間の割合が減り、代わりにAIへの指示、生成の待ち、出力の確認に時間が使われた。画面に何の動きもない時間の割合も、少し増えていた。録画の一部(44件)で測ると、生成を待つ時間は作業時間の約4パーセントと小さいが、待っている間にSNSを見ている、と話した開発者もいる。また、AIを使うと楽に感じた、問題についてあまり考えなかった、という声があった一方で、手間は変わらないという声もあり、著者らはこの「速さと楽さの交換」を、効果のはっきりしない要因に分類している。実験の後も69パーセントの開発者が Cursor を使い続けた。遅くなっても使い続けたくなる何かがある、ということだろう。

この結果は2025年初めの道具での話で、METR自身が続きを出している。2026年2月の報告によれば、2025年8月に始めた次の実験には、元の参加者10人と新しく集めた47人が加わった。暫定値は、元の参加者で18パーセントの短縮(信頼区間はマイナス38〜プラス9パーセント)、新しい参加者で4パーセントの短縮(マイナス15〜プラス9パーセント)。点推定では、向きは逆転したように見える。ただ、二つの信頼区間はどちらもゼロをまたいでいる。

METR自身は、この数字を当てにならない合図だと書いている。新しい減量法の効果を測ろうとしたら、いちばん効きそうだと信じている人ほど、比較のために元の食事に戻るのは嫌だと参加を断った、という状況に近い。AIなしで作業したくないという理由で参加を断る開発者が増え、30〜50パーセントの開発者が、AIなしでやりたくない課題を提出しなかったと答えた。謝礼も時給150ドルから50ドルに下げていた。複数のAIエージェントを同時に使う開発者については、作業時間の測定そのものが信頼できず、エージェントを待つあいだに無関係な作業をしていたという報告もあった。2026年初めの時点では2025年初めより速くなっている可能性が高い、とMETRは見ている。その大きさについての証拠は、ごく弱いという。

19パーセントという数字そのものは、もう古くなりかけている。残るのは、使っている本人の速さの見積もりが、実測と別の向きを向きうるという点のほうだ。そしてAIを待つあいだ別の作業をする、という働き方が広がった結果、作業時間を測るという行為自体が難しくなってきている。

自分から見に行くか、呼ばれて見に行くか

効いているのは、確認の間隔より、確認のきっかけのほうではないか。そう思わせる研究がある。マークらは2016年、40人の情報労働者を12営業日にわたって追い、パソコンの利用ログ、心拍計で測った心拍変動、毎日の質問票を組み合わせた。参加者がメールに使っていたのは1日平均1時間23分で、メールを開いた回数は1日平均77回。メールに長く時間を使った日ほど、その日の生産性の自己評価は低く、メールに長く時間を使った時間帯ほど、測ったストレスは高かった。

確認のきっかけについては、主に通知に呼ばれて開くか、主に自分から見に行くかを本人に答えてもらっている。その違いだけでは、生産性の評価に有意な差はなかった。差が出たのは組み合わせのほうで、メールに長く時間を取られた日ほど、自分から見に行く人は、通知に呼ばれる人より生産性を高く評価していた。まとめて処理する「バッチ処理」の人も、混合型の人に比べて、メールが長い日には生産性を高く評価していた(この交互作用は p=.05 で、有意の境目にある)。一方で、バッチ処理でストレスが下がるという証拠は見つからなかった。広く勧められている習慣だけに、この空振りは覚えておいてよい。

AIとのやり取りに当てはめるなら、AIの完了通知に呼ばれて見に行くのと、自分の判断で見に行くのとでは、やり取りが長引いた日の感じ方が違ってくる可能性がある。メールの研究をAIに移すには飛躍があるし、効いていたのは主効果ではなく条件付きの差だった。それでも、25分ごとに区切るかどうかとは別に、その確認を誰が、あるいは何が始動させているのか、という変数は、時間の長さの議論から抜け落ちやすい。

90分周期という、もう一つの通説

25分ではなく90分を単位にすべきだ、という説もよく持ち出される。根拠とされるのは、睡眠研究のナサニエル・クライトマンが唱えた「基本休息活動周期(BRAC)」で、人の覚醒の度合いが約90分の周期で上下するという考え方だ。クライトマンは1982年に「22年後」と題した総説を書いているので、提唱は1960年ごろということになる。

この周期を認知課題で確かめようとしたのが、ノイバウアーとフロイデンターラーの1995年の研究である。要旨によれば、60人の参加者に9時間、10分おきに文の真偽を判断する簡単な課題を解かせ、覚醒感や気分の評価も記録し、課題中の心拍も測った。比較的保守的な統計手法で時系列をスペクトル分析すると、どの指標にも有意な90分の周期は見つからず、ばらつきの主な源はもっと長い周期の変動だった。時系列の傾きを除いたり平滑化したりして分析し直すと、周期が現れるかどうかは統計手法にも左右されるようだった、とも書いている。

要旨は冒頭で、BRACがそれまで生理や心理の指標の研究で一定の支持を受けてきたことを認めている。そのうえで著者らは、周期を見つけたというそれまでの報告のいくつかは、統計手法の甘さによるものかもしれない、と結論した。一本の研究で周期の存在が否定されたわけではない。ただ、雲の形に動物を見つけるように、分析の仕方次第で周期が見えたり見えなかったりするのなら、「90分ごとに働けば体のリズムに乗れる」という言い方は、根拠の強さに比べて断定が過ぎる。なお25分のほうは、そもそも体の周期として唱えられたものではない。チリロの根拠は、先に見たとおり別のところにある。

複数のAIを同時に回すと、注意は散るのか

複数のAIエージェントに並行して作業を投げ、あちこちの進み具合を切り替えながら確かめる。この働き方の是非を考えるとき、よく引かれるのが、ふだんから複数のメディアを同時に使う「重度のメディア・マルチタスカー」を調べた2009年のオフィールらの研究だ。262人の学生に質問票で同時利用の度合いを答えさせ、両端の群を比べた。課題の切り替えを調べた実験は各群15人ずつで、重度の群は無関係な刺激に気を取られやすく、切り替えのコストも167ミリ秒大きかった。「マルチタスクをする人ほど、マルチタスクが下手になる」という結果は、広く引用されることになった。

その後の研究は、両方の柱を揺らしている。切り替えについては、アルザハビとベッカー(METRの研究者とは別人)が2013年、二つの実験で、重度の群のほうがむしろ課題の切り替えをうまくこなすという、逆向きの結果を報告した。メレディス・マイナーらの同年の研究は、重度の群が自己申告で衝動的で、流動性知能の検査の成績も低いことを見つけた一方、課題の切り替えでも、気を散らす情報の処理でも、劣っている証拠は見つけられなかった。

残ったと思われがちな「気を取られやすさ」のほうも、無事ではない。ウィラドハニとニューウェンスタインは2017年、二つの追試を行い、平均の検出力0.81の検定14本のうち、気を取られやすい方向に有意だったのは5本、より保守的なベイズ分析で残ったのは2本だけだった。発表済みの研究から集めた39の効果量のメタ分析では、弱いが有意な関連が出たものの、小規模な研究ほど大きな効果が出やすい偏りを補正すると、有意でなくなった。著者らは、実験室の課題で見られるこの関連が、そもそも存在するのかを疑っている。

もう一つ、尺度の違いにも目を留めておきたい。オフィールらが測った切り替えのコストは167ミリ秒、一秒の6分の1ほどだ。職場で語られる「23分」とは、ストップウォッチと砂時計くらいの違いがある。しかも23分のほうは、先に見たとおり切り替えのコストですらなく、作業に戻るまでの経過時間だ。単位だけでなく、測っている量からして違う。実験室の切り替えと、AIエージェントの画面を行き来する仕事とのあいだには、桁がいくつも挟まっている。複数のAIを並行して回すことが注意を損なうのか、慣れれば苦にならないのか。ここで確かめた範囲には、それを直接測った研究は見当たらなかった。METRの報告が示しているのは、少なくとも、その働き方が作業時間の測定を難しくしている、ということまでだ。

何分で区切るかより手前にある問い

並べ直してみる。20〜45分の区切りが注意を最大にしうるという「証明」の参考文献は、小説の学習ガイドだった。AI以前の職場でも、人は一つの作業のまとまりに平均11分ほどしか留まっていなかった(1社24人の観察で、集中そのものを測ったわけではない)。「集中が戻るまで23分」のもとになった数字は、研究者本人がインタビューで口にしたもので、測っていたのは作業に戻るまでの時間だ。

前の作業に注意が残りにくかったのは、時間の圧力の下で課題を終えた人だったという。研究者はそれを区切りの感覚で説明しているが、原論文は読めておらず、ここでは紹介記事に拠っている。見張りは休憩ではなく、骨の折れる仕事とされる。自動化は人の手元に寄せ集めの仕事を残す。AIに慣れた医師が、AIなしの検査で腺腫を見つける率が下がったという観察研究もあり、因果はまだ分からない。AIを使って新しいライブラリを学んだ側は、使わなかった側より理解が浅かった、というプレプリントもある。AIで速くなったという体感は、少なくとも2025年初めの道具では実測と逆を向いていたし、その後の測り直しは、測ること自体の難しさにぶつかった。90分周期は、少なくとも一つの研究では、厳しめの統計をかけると見えなくなった。マルチタスクをする人の注意についての有名な結果は、その後の研究のたびに形を変えている。

これだけの留保を並べた後で、新しい数字を一つ差し出すことはできない。25分の代わりに40分でも、15分でも、それを支える材料は今のところ見当たらない。数字の代わりに残るのは、いくつかの区別だ。今の時間は、手を動かしている時間なのか、待っている時間なのか、見張っている時間なのか。その確認は、自分の判断で始めたのか、通知に呼ばれて始めたのか。AIに渡した作業は、自分の中でもう終わっているのか、まだ開いたままなのか。

チリロのタイマーは、もともと時間を測る道具ではなく、10分間勉強できるかという賭けの立会人だった。AIと働く時間に立会人を置くとしたら、何を見届けてもらえばよいのか。それは分数ではなく、こうした区別のほうなのかもしれない。答えを急ぐ理由は、今のところ見当たらない。

出典

Cirillo, F. (2006). The Pomodoro Technique. 本人が公開した解説書(PDF)。参照したのは v1.3(2007年6月15日)。学術論文ではない。参考文献(15)として McGregor, Y., & Buzan, T. (1998). A Guide to Animal Farm. Hodder & Stoughton. を挙げている(このガイドの中身は未確認)。
Mark, G., Gonzalez, V. M., & Harris, J. (2005). "No Task Left Behind? Examining the Nature of Fragmented Work." Proceedings of CHI 2005, 321–330.
Mark, G., Gudith, D., & Klocke, U. (2008). "The Cost of Interrupted Work: More Speed and Stress." Proceedings of CHI 2008, 107–110.
Robison, J. (2006, June 8). "Too Many Interruptions at Work?" Gallup Business Journal.(本稿では未見。書誌と内容は当サイトの /digital-detox-importance の記述に拠る)
Pattison, K. (2008, July 28). "Worker, Interrupted: The Cost of Task Switching." Fast Company.(グロリア・マークへのインタビュー記事。Internet Archive の保存版で確認)
Leroy, S. (2009). "Why Is It So Hard to Do My Work? The Challenge of Attention Residue When Switching Between Work Tasks." Organizational Behavior and Human Decision Processes, 109(2), 168–181.(原論文は未見。内容は Jarrett, C. (2009). "The surprising benefits of time pressure at work." BPS Research Digest の紹介に拠る)
Mackworth, N. H. (1948). "The Breakdown of Vigilance during Prolonged Visual Search." Quarterly Journal of Experimental Psychology, 1(1), 6–21.(原論文は未見。見張り研究の始まりとして挙げた。本文の約30分の記述は、Bainbridge (1983) が Mackworth, N. H. (1950). Researches on the Measurement of Human Performance(Bainbridge の文献欄によれば、Sinaiko 編の論文集に再録)を引いて書いたものに拠る。1950年の報告も未見)
Bainbridge, L. (1983). "Ironies of Automation." Automatica, 19(6), 775–779.
Warm, J. S., Parasuraman, R., & Matthews, G. (2008). "Vigilance Requires Hard Mental Work and Is Stressful." Human Factors, 50(3), 433–441.(要旨に拠る)
Endsley, M. R., & Kiris, E. O. (1995). "The Out-of-the-Loop Performance Problem and Level of Control in Automation." Human Factors, 37(2), 381–394.(要旨に拠る)
Budzyń, K., Romańczyk, M., Kitala, D., et al. (2025). "Endoscopist Deskilling Risk after Exposure to Artificial Intelligence in Colonoscopy: A Multicentre, Observational Study." The Lancet Gastroenterology & Hepatology, 10(10), 896–903.(要旨に拠る。正誤表あり、本文の数字への影響は未確認)
Shen, J. H., & Tamkin, A. (2026). "How AI Impacts Skill Formation." arXiv:2601.20245(査読前のプレプリント。要旨に拠る)
Becker, J., Rush, N., Barnes, B., & Rein, D. (2025). "Measuring the Impact of Early-2025 AI on Experienced Open-Source Developer Productivity." arXiv:2507.09089(METR。査読前のプレプリント)
Becker, J., Rush, N., Cunningham, T., Rein, D., & Mahamud, K. (2026, February 24). "We are Changing our Developer Productivity Experiment Design." METR(ブログでの暫定報告)
Mark, G., Iqbal, S. T., Czerwinski, M., Johns, P., Sano, A., & Lutchyn, Y. (2016). "Email Duration, Batching and Self-interruption: Patterns of Email Use on Productivity and Stress." Proceedings of CHI 2016, 1717–1728.
Kleitman, N. (1982). "Basic Rest-Activity Cycle — 22 Years Later." Sleep, 5(4), 311–317.(書誌のみ確認)
Neubauer, A. C., & Freudenthaler, H. H. (1995). "Ultradian Rhythms in Cognitive Performance: No Evidence for a 1.5-h Rhythm." Biological Psychology, 40(3), 281–298.(要旨に拠る)
Ophir, E., Nass, C., & Wagner, A. D. (2009). "Cognitive Control in Media Multitaskers." Proceedings of the National Academy of Sciences, 106(37), 15583–15587.
Alzahabi, R., & Becker, M. W. (2013). "The Association between Media Multitasking, Task-Switching, and Dual-Task Performance." Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance, 39(5), 1485–1495.(要旨に拠る)
Minear, M., Brasher, F., McCurdy, M., Lewis, J., & Younggren, A. (2013). "Working Memory, Fluid Intelligence, and Impulsiveness in Heavy Media Multitaskers." Psychonomic Bulletin & Review, 20(6), 1274–1281.(要旨に拠る)
Wiradhany, W., & Nieuwenstein, M. R. (2017). "Cognitive Control in Media Multitaskers: Two Replication Studies and a Meta-Analysis." Attention, Perception, & Psychophysics, 79(8), 2620–2641.(要旨に拠る。正誤表あり、本文の数字への影響は未確認)

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