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Vol.02:破れを隠さずに繕うということ
刺し子や当て布で服の破れを目立つように繕う「visible mending」について。直して着続けることは、修繕をめぐる連載の2回目として考えてみたい。
デニムの膝に穴が開いたとき、たいていの修繕は「元通りに見せる」ことを目指す。同系色の糸で縫い、裏から当て布をして、できるだけ目立たないようにする。それは理にかなったやり方だし、実際そうしてきた服もある。ただ、ある時期から、隠すより目立たせる方向で繕うようになった。色の違う糸を使い、あえて幾何学的な縫い目を残す、いわゆる「visible mending」と呼ばれるやり方だ。
きっかけは大した話ではない。手持ちの糸で一番丈夫だったのが、生地とはまったく合わない紺色の太糸だったというだけのことだ。仕方なくそのまま縫ったら、思っていたより悪くなかった。それ以来、繕い跡を隠す理由が自分の中で薄くなった。
なぜ隠さなくてよくなったのか
繕い跡を隠したくなるのは、たぶん「新品であること」が服の完成形だという前提があるからだ。破れは、その完成形からの欠落であり、恥ずかしいものとして扱われる。だが、日本には刺し子や襤褸(ぼろ)のように、当て布を重ねて生地そのものを丈夫にしていく技法が昔からある。あれは貧しさの記録であると同時に、単純に機能として優れている。重ねた布は元の一枚より摩耗に強い。
そう考えると、繕い跡を隠す修繕と、あえて残す修繕は、どちらが正しいという話ではなく、何を服に期待するかの違いに近い。新品同様の状態を保ちたいなら隠せばいいし、着てきた時間ごと残したいなら隠さなくていい。自分がどちらを選んでいるかは、繕う瞬間まで決めていないことも多い。
ファストファッションが繕いにくい理由
もっとも、すべての服が同じように繕えるわけではない。安価な既製服の中には、そもそも修繕を前提にしていない作りのものがある。縫い目を減らして接着や熱圧着で仕上げた服は、糸を通す箇所自体が少なく、破れると一気に広い範囲がほつれる。素材も再生しにくい混紡が多く、直す手間が新しく買う値段を上回ることも珍しくない。
これは意地悪な陰謀というより、単純にコストと工程を切り詰めた結果、修繕という後工程が視野に入っていなかっただけだろう。ただ結果として、消費者の側に「壊れたら買い替える」という選択肢しか残らない服が増えているのは確かだと思う。デニムのような厚手の綾織り生地が今も繕いの対象として選ばれやすいのは、単に生地が丈夫で、縫い代を確保しやすいからでもある。
繕った服が語ること
膝の擦れ、袖口のほつれ、ポケットの縁のすり減り。それぞれの傷みには、その服を着てきた具体的な動作の痕跡がある。繕い跡を隠さずに残すと、その服はどこかの時点で一度終わりかけて、そこからもう一度続いた、という経緯が見えるようになる。新品にはない情報量が、そこに増える。
これを大げさな価値の話にするつもりはない。ただ、繕った跡のある服を着ていて、それを気に入っているという感覚は、修繕前にはなかったものだ。新品に戻すことを諦めた瞬間に、別の見え方が生まれたということかもしれない。
