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「夢中」の条件は、余暇より仕事の最中に3倍多くそろっていた——ポケベルで調べた1989年の論文

「夢中」の条件は、余暇より仕事の最中に3倍多くそろっていた——ポケベルで調べた1989年の論文

夢中を探すなら休日、と考えがちだ。だが1989年に発表された、シカゴの働く人にポケベルを持たせた調査では、挑戦も技能もふだんより高い時間の割合が、仕事中は54%、余暇中は17%だった。直接測り直しても向きは変わらなかった。それでも1989年の調査の参加者は、仕事中に別のことをしたがっていた。

TOMOAKI··趣味

「時間を忘れて夢中になれること」を探すとき、たいていは休日の側から考える。平日は仕事に使い切るのだから、夢中は残りの時間のどこかに落ちているはずだ、という段取りになる。検索窓に打ち込まれる言葉にも、その形が透けて見える。

この段取りには、小さな前提が一つ隠れている。夢中になれる場所を、はじめから休日の中に、つまり仕事の外の時間の中にしか探していない、という前提だ。夜道で鍵を落としたのに、街灯の下でだけ探す小話がある。落としたのは暗がりでも、探せるのは明るい場所だけだからだ。休日は、探しやすい明るい場所である。鍵が本当にそこに落ちているかは、別の話になる。

その別の話を、シカゴの働く人たちにポケベルを持たせて確かめた研究が、1989年に発表されている。先に言っておくと、そこで見えたのは、場所の名前よりも、挑戦も技能も、ふだんより高いという条件のほうだった。のちに測り直した研究では、仕事の外の時間にも、創作やスポーツのように、仕事に並ぶ場面が見つかっている。

ポケベルが鳴ったとき、何をしていたか

心理学者のミハイ・チクセントミハイとジュディス・ルフェーブルは、シカゴ周辺の大企業5社で働く人たちに声をかけた。会社での説明会は合計1,026人に対して行われ、手を挙げたのは44%。そこから代表的な139人を選び、最後までやり遂げたのは107人だった。内訳は、管理・技術職が27%、事務職が29%、ブルーカラーが44%になる。

調べ方は、経験サンプリング法という。参加者はポケベルを1週間持ち歩き、日に7回ほど、ランダムなタイミングで鳴らされる。鳴ったら、その場で紙に書く。いま何をしているか。どんな気分か。その作業はどれくらい難しいか。自分の技能はどのくらいか。思い出して答えるのではなく、その瞬間を書き留める方式だ。回収された回答は4,791件で、鳴らした信号の85%にあたる。

分析に使えたのは、仕事中と余暇中のどちらについても必要な回答がそろった78人、計3,432件の観測だった。数えたのは、論文が「フローに似た状況」と呼ぶ状態が、どれくらいの割合で現れたかである。

結果は、論文自身が「予想に反して」と書いている。フローに似た状況は、仕事中が54%、余暇中が17%。仕事のほうが、3倍以上多かった(F=89.9、p<.0001)。職種別に見ても向きは変わらず、仕事中の割合は管理・技術職が64%、事務職が51%、ブルーカラーが47%で、余暇中は、職種による差がなく、全体で2割に満たなかった。

仕事の外の側の内訳も、少し意外だった。仕事の外の時間のフローにもっとも寄与していた活動は運転で、次が友人や家族との会話である。ただし著者たちは、運転を、厳密には余暇活動ではない、と断っている。挑戦のある状況で自分の技能を使っている感覚は、ハンドルを握っているとき以外、仕事の外ではなかなか得られないようだ、というのが彼らの見立てである。ほとんどの人にとって、自由時間のフローに似た体験の、いちばん多くの部分が運転から来ているのは驚くべきことだ、とまで書いている。テレビは、仕事の外の時間のフローの6〜9%を占めていたが、フローではない時間にはもっと多く、15%から25%ほどを占めていた。

夢中を探す場所として、休日が有望だという感覚は、少なくともこの数字では支えられない。ここまでは、そういう話になる。

「フロー」と呼んでいたもの

フローは、時間を忘れるほどの没入、と説明されることが多い。だが、この研究が数えたのは、没入そのものではなかった。

ポケベルが鳴るたびに尋ねられたのは、「いまの作業はどれくらい難しいか」と「あなたの技能はどれくらいか」の二つで、どちらも10段階で答える。そして、その人自身の平均より、挑戦も技能も高い回答が重なったとき、フローに似た状況とみなされた。体温を測る代わりに、熱の出やすい条件がそろった時間を数えた、と言えばわかりやすい。

著者たち自身が、この定義を「非常にゆるい」と断っている。数字は傾向の向きを示すためのもので、文字どおりに受け取るべきではない、とも書いている。強烈で複雑なフローは、せいぜい一生に数回だろう、というくだりもある。

この点には、のちの研究者が踏み込んでいる。フローを挑戦と技能の高さから推定したのだから、直接測れば、結果は変わるかもしれない、という疑いである。

数えているものが、没入の実感とは違う。ここは、この記事全体を通して、頭の片隅に置いておいてほしい。

仕事か余暇かより、フローかどうか

1989年の論文には、割合の話とは別に、体験の質を比べた結果がある。ポケベルが鳴った瞬間の気分を、活力、集中、創造性、満足、リラックスなどの項目で答えてもらい、「仕事か余暇か」と「フローか否か」の二つのうち、どちらがより強く効いているかを分析したものだ。

活力、集中、創造性は、仕事か余暇かの違いも有意だったが、フローかどうかの効果のほうが、はるかに大きかった。たとえば集中は、仕事か余暇かの違いの検定値がF=5.8だったのに対して、フローかどうかはF=104.6。創造性は、前者が11.6、後者が80.3である。論文は、仕事でも余暇でも、挑戦と技能の条件がそろっているかどうかで、体験は大きく変わる、と書いている。

感情と満足は、少し事情が違う。うれしさや陽気さの項目は、仕事か余暇かでは有意な差がなく(F=2.4)、フローかどうかで差が出た(F=11.1)。満足も同じで、仕事か余暇かの違いは有意でなく(F=3.8)、フローかどうかの違いは大きい(F=21.2)。仕事は気分が悪く、余暇は気分がいい、という単純な図は、この調査のデータには現れていない。

例外は二つあった。動機づけと、リラックスである。動機づけは、仕事か余暇かの効果(F=61.7)が、フローかどうか(F=6.1)よりずっと大きい。リラックスは、フローかどうかには差がなく、仕事か余暇かの違いだけが有意だった。著者たちは、この二つは、フローの条件にはあまり左右されず、活動に「仕事」か「余暇」かという社会的なラベルが貼られていることに左右される、と書いている。

体験の質と強く結びついていたのは、動機づけとリラックスを除けば、場所の名前ではなく、挑戦と技能が高いかどうかのほうだった。夢中になれる場所を探す、という言い方は、探す対象を、場所に置いてしまう。

測り直したら、どうなったか

定義が間接的なら、直接測り直せばいい。ドイツの心理学者エンゲザーとバウマンが、2014年に、それをやった。

対象は、新聞広告や企業を通じて集めた、さまざまな職業の人100人(学生4人を含む。うち69人が女性、18歳から60歳、平均39歳)。同じく1週間、1日7回、携帯端末に送られる信号に答える方式で、4,900回の信号のうち、4,504回が最後まで回答された。回答率は92%と高い。分析に使ったのは、活動を分類できなかった28件を除く4,476件である。フローは、挑戦と技能の組み合わせから推定するのではなく、没入の要素を尋ねる10項目の質問(7段階)で、直接測った。

活動は、仕事(信号の35%)、能動的な余暇(20%)、受動的な余暇(10%)、義務的な活動(36%)に分けられた。能動的な余暇とは、スポーツ、創作、人との交際、散歩、読書や学習など。受動的な余暇は、テレビや音楽、横になること、入浴、小休止などである。フローの平均は、次のとおりだった。

  • 仕事:5.28
  • 能動的な余暇:5.20
  • 受動的な余暇:4.33
  • 義務的な活動(家事、身の回りのこと、移動など):4.71

直接測っても、仕事のフローは高かった。1989年の結果が、方法を変えても残ったことになる。

ただし、数字の差を見ると、印象は少し違う。仕事と能動的な余暇の差は、論文の言葉で「わずか(ただし有意)」にとどまる。大きく離れているのは、テレビや休息といった受動的な余暇との差である。「仕事のほうが没頭している」と言うよりも、「受動的な余暇は、没頭から遠い」と言うほうが、数字には近い。

その受動的な余暇は、フローも肯定的な活性化(活力、覚醒、高揚、意欲の強さ)も低い。ただ、否定的な活性化(緊張、いらだち、不安、心配の強さ)もいちばん低く(2.34。低いほど、気持ちが落ち着いている)、論文は、これを受動的な余暇に特有の良さと見ている。人が受動的な余暇を楽しめるのは、そのためかもしれない、という書き方である。没頭が少ない時間は、悪い時間とは限らない。

細かく見ると、逆転も起きている。余暇の内訳で、創作活動(楽器、絵、園芸など)のフローは5.72、スポーツは5.52で、仕事の中核業務の5.40を上回った。快さ(幸せ、満足の度合い)も、創作が5.68、スポーツが5.67で、細かい区分のなかでは最も高かった。もっとも、この二つは観測が少なく(創作が87件、スポーツが107件)、傾向として眺める程度にとどめたほうがいい。

手を動かす趣味が、フローの面では仕事に並ぶ、という見え方は、別の記事で書いた、縫い目がまっすぐかどうかがすぐにわかる、という話とも重なる。

それでも、仕事中は別のことをしたがる

1989年の研究には、もう一つの結果がある。「別のことをしたいと思っていたか」を10段階で尋ねた項目だ。

余暇の回答は、いつも仕事の回答より、動機づけが高かった。余暇の中でフローではない時間でさえ、3つの職種のどれでも、各人の平均を上回った。一方、仕事中の動機づけは、どの職種のグループでも、各人の平均をはっきり上回ることはなかった。論文は、これを「パラドックス的な状況」と書いている。仕事中のほうが肯定的な感覚がずっと多いのに、仕事中の人は「別のことをしたい」と答える。前後の文脈から読むと、ここでいう肯定的な感覚は、フローに似た状況の多さを指しているのだろう。感情そのものの差は、先に見たとおり、有意ではなかった。この食い違いが、のちに「仕事のパラドックス」と呼ばれるようになった。なお、著者たちは、動機づけが1問の質問で測られていて、動機づけの回答に出たこうした違いが、仕事の体験の本当の差を表しているかは断言できず、追試が必要だ、とも断っている。

著者たちは、説明を二つ挙げた。一つは、人は仕事をしたいかどうかを、実際の感覚ではなく、社会的な通念で判断してしまう、というもの。もう一つは、余暇にフローが少ない理由である。仕事で消耗して、余暇を楽しむ力が残っていないのではないか、という疲労説に、彼らは先行研究を引いて反論する。夜明けから日没まで畑で働いた伝統社会の農民が、そのあとの自由時間に、織物や彫刻、楽器の演奏といった能動的な余暇をしている、というのだ。余暇のフローの少なさは、疲れではなく、構造のない自由な時間に、心のエネルギーを組織できないことのほうが原因らしい。それは、技能を要する挑戦的な状況を好まない傾向(自己目的的な性格の欠如)によるのかもしれず、あるいは、能動的な余暇に慣れる機会の乏しさや、テレビなどのメディアへの頼りすぎといった、文化的な事情によるのかもしれない、と著者たちは推測している。

論文には、仕事中の体験が、人によって大きく違った、という分析もある。挑戦も技能も高い状況で動機づけが高かった人(42人)と、挑戦も技能も低い状況で動機づけが高かった人(40人)を比べると、前者は、仕事中により幸福で、より活力があり、より満足し、よりリラックスしていた。後者は、仕事中の感情、満足、リラックスが、自分の平均を有意に下回っていた。二つのグループは、職種、学歴、性別、人種、年齢、婚姻状況のどれにも差がなかった。著者たちは、これを、自己目的的な性格と呼ばれてきたものに近い違いだと解釈している。この分析でも、群を分けたのは、1問で測った動機づけである。

エンゲザーらは、論文の冒頭では、一つめの、人は通念で答えているという説明に、あまり納得していない。通念で答えているのだとすれば、この種の調査の回答は、条件つきでしか信用できなくなる。むしろ気になるのは、「別のことをしたい」という質問の形だ、と彼らは言う。仕事が好きな人でも、頭に浮かべた「別のこと」が、大好きな趣味や、恋人との約束だったら、そう答えるだろう。いまの作業を、可能なすべての別の活動と比べさせる質問は、誤解を招きやすい。同じ箇所で彼らは、フローを挑戦と技能の高さから推定したことが、1989年の逆説(仕事中は別のことをしたい)にもかかわる、とも考えている。仕事は難しさも求められる技能も高いので、そういう場面で人が別のことをしたくなるのは、不思議ではない、というわけだ。だが、前の節で見たとおり、直接測っても、仕事のフローは高かった。方法のせいではない、と彼らは結論した。考察では、1989年の二つの説明にも、それぞれ一理あると認めている。そのうえで、彼らが有力と見たのは、余暇の感情の良さだった。

では、感情はどうか。別の方向からの数字がある。

カーネマンらが2004年に発表した調査では、テキサス州の働く女性909人に、前日を場面ごとに思い出して、そのときの気分を答えてもらった(日常再構成法)。感情は、どれも0から6で答えてもらい、三つの肯定的な感情(うれしい、親しみを感じる、楽しんでいる)の平均から、六つの否定的な感情(不満やいらだち、落ち込み、振り回された感じ、怒り、不安、批判された感じ)の平均を引いた値を、その活動の気分とした。この調査のデータは、カーネマンとクルーガーが2006年の論文で、活動別に計算し直しており、以下の数値は、その表による。

  • 親密な関係:4.83
  • くつろぎ:3.96
  • テレビ:3.65
  • 家事:2.99
  • 仕事:2.68(1日6.89時間)
  • 朝の通勤:2.09(最下位)

仕事は、通勤や家事と並んで、下のほうにいる。いちばん気分が良かった親密な関係は、全体の12%の人にしか現れず、1日の平均は0.23時間、およそ14分にすぎない。一方、仕事は全員が行い、1日に6.89時間と長い。いちばん強い感情が否定的だった時間の割合(U指数。2006年の論文が提案した指標)も、仕事は21%、テレビは9.5%、親密な関係は4%だった。エンゲザーらの調査でも、快さの指標は、仕事が4.92、能動的な余暇が5.45、受動的な余暇が5.24で、否定的な活性化は、仕事が3.01、余暇は2.4前後と、余暇のほうが良い。

ここで、食い違いのかなりの部分は、説明がつきそうだ。測っているものが違うのである。フローは没頭を測り、日常再構成法の感情やエンゲザーらの快さは、気分の良さを測っている。物差しと秤が、同じ荷物に違う数字を出すようなものだ。どちらも間違ってはいない。没頭の多い時間と、気分のいい時間は、必ずしも重ならない。

懸かっているものが大きいほど

エンゲザーらは、なぜ仕事と余暇で体験が違うのかを探るため、最後に一つ、事後の分析を加えている。「ここには、自分にとって重要な何かが懸かっている」という実感、つまり結果の重要度である。

重要度は、「自分にとって重要な何かが懸かっている」「ここで間違えてはいけない」「失敗が心配だ」の三つの項目の平均である。平均は、仕事が3.07、能動的な余暇が1.73、受動的な余暇が1.29、義務的な活動が2.03。仕事は、懸かっているものが、ほかの活動より大きい。全体としては、重要度が高いほどフローは高く、快さは低い、という関係が見られた。ただ、場面で違う。仕事では、重要度が高いほどフローが高く、快さは下がらなかった。能動的な余暇では、重要度が上がってもフローは上がらず、快さだけが下がった。重要度をそろえて計算し直すと、仕事と能動的な余暇のフローの差は、有意でなくなった。

考察では、仕事のフローが能動的な余暇より高いのは、重要度が高いからだ、と書いている。仕事では、懸かっているものの大きさが、活動に欠かせない一部として没頭を後押しし、快さは損なわない、というのが著者たちの推測だ。余暇では、そういう重さは避けられるものなのかもしれない、とも。ただ、これは事後の探索的な分析で、因果の向きは確かめられていない。受動的な余暇との差は、重要度をそろえても残った。ここから先は、筆者の読みである。細い梁の上では、人は足元から目が離せなくなる。仕事には、その梁を渡る場面が、余暇より多いのかもしれない。仕事のフローが高い理由は、仕事に魅力があるからだけでなく、気を抜けないからでもある、という読みだ。仕事の没頭を、仕事の魅力と読み替える前に、確かめておくべき別の説明が一つある、とは言える。

仕事か余暇かで、体験はどれだけ決まるのか

ここまで、仕事と余暇を比べてきたが、この区別で説明できる部分は、思うより小さい。

エンゲザーらの分析では、フローのばらつきの約37%は、人どうしの違いではなく、同じ人の、瞬間どうしの違いだった。その瞬間ごとのばらつきのうち、活動の種類(仕事、余暇、義務など)で説明できるのは、10%である。肯定的な活性化で9%、否定的な活性化で4%、快さで3%。論文は、フローと肯定的な活性化の効果を中程度、残りの二つを小さいと呼んでいる。残りの9割ほどは、活動の種類では説明できない。同じ仕事でも、時間によって、没頭している瞬間とそうでない瞬間がある。同じ余暇でも、そうだ。

もう一つ、エンゲザーらが確かめようとして、支持されなかった仮説がある。仕事でフローを経験すると、そのあとの余暇の気分が良くなるのではないか、というものだ。仕事の没頭が、あとで余暇の気分として返ってくる、という美しい図は、データには現れなかった。

要するに、「夢中は仕事にある」も「夢中は余暇にある」も、瞬間ごとの体験のばらつきの、1割ほどしか語っていない。場所の名前で、夢中を予言することは、意外と難しい。

誰を測った数字か

ここまでの数字は、限られた人たちから出ている。

1989年の研究では、説明会を受けた1,026人のうち、志願したのは44%だった。熟練労働者では75%が志願したのに対し、非熟練では12%にとどまる。この偏りは、論文自身が書いている。分析に残ったのは78人で、シカゴ周辺の人たちだ。論文が出たのは1989年だが、データを集めたのは、それより前である(標本の取り方は、別の文献を参照している)。調査年は、論文に明記されていない。

2014年の研究は、ドイツの働く人100人である。職員35人、研究者・研究補助者24人、秘書15人、技術職員10人、学生4人、その他11人という構成で、69人が女性だった。著者自身が、非熟練の労働者や職人は少ない、と書いている。カーネマンらの調査は、テキサス州の働く女性909人で、男性は含まれない。

日本の働く人を、同じように測った研究は、今回は見つけられなかった。データが集められた時代のシカゴとも、ドイツの就業者とも、日本の職場は条件がかなり違うはずで、仕事に「懸かっているもの」の大きさも違うかもしれない。この記事の数字が、読み手の仕事にそのまま当てはまると考える理由は、いまのところない。

日本の余暇は、どこに使われているか

では、日本の人の余暇は、実際にどう使われているのか。総務省の令和3年(2021年)社会生活基本調査の概要に、1日の生活時間の表がある。10歳以上の全員の、週全体の平均だ。

  • 3次活動(各人が自由に使える時間の活動)の合計:6時間16分
  • テレビ・ラジオ・新聞・雑誌:2時間8分
  • 休養・くつろぎ:1時間57分
  • 趣味・娯楽:48分
  • スポーツ:13分
  • 学習・自己啓発・訓練(学業以外):13分
  • 交際・付き合い:10分

テレビなどの時間と休養・くつろぎを足すと、4時間5分。3次活動の合計の、約65%にあたる。趣味・娯楽は、約13%である。男女別では、趣味・娯楽が男性1時間0分、女性37分で、テレビなどは男性2時間11分、女性2時間5分だった。5年前の2016年と比べると、休養・くつろぎが20分増え、テレビなどが7分減った。趣味・娯楽はほぼ変わらず、47分から48分だった。

この数字には、読むときの条件がいくつかある。まず、全員の平均である。趣味・娯楽の48分は、行動しなかった人も含んだ平均で、趣味をしている人が48分、という意味ではない。行動した人だけの平均は、この概要には載っていなかった。また、3次活動には、移動や受診・療養なども含まれる。2021年はコロナ禍の最中の調査で、2016年との差を、そのまま暮らし方の変化とは読めない。ドイツの調査(受動的な余暇が信号の10%)と並べて、どちらが多いかを言うことも、できない。調べ方も、分け方も違う。

この表は、働く人の休日だけの数字ではない。それでも、夢中を探す場所を、仕事の外の時間だと考えたとき、暮らしの平均に現れているのは、趣味・娯楽の48分よりも、くつろぎとテレビの4時間だ。もちろん、休養が悪いと言いたいのではない。休むことには、休む理由がある。くつろぎの長さを、1989年の著者たちが言う「構造のない自由な時間に、心のエネルギーを組織できない」ことの表れだと読む根拠も、いまのところない。あの説明自体が、推測にとどまる。

平日の、働いている人の時間も見ておく。同じ調査には、平日で仕事があった日の有業者(5,286万7千人)の、1日の使い方の表がある(表3-2、表3-3)。在宅勤務(テレワーク)をした人は、354万2千人で、全体の6.7%にとどまる。大半を占める、在宅勤務でない人の1日は、仕事が8時間24分、テレビなどが1時間6分、休養・くつろぎが1時間22分、趣味・娯楽が19分だった。在宅勤務の人は、仕事が8時間37分、テレビなどが58分、休養・くつろぎが1時間30分、趣味・娯楽が35分である。この19分は、趣味をしなかった人も含めた平均だ。夢中を、平日の仕事の外の時間に探すのだとしたら、そこで実際に趣味に使われている時間は、平均では、思ったより短い。

明るい場所と、鍵の落ちた場所

話を、並べ直してみる。

1989年の論文は、フローに似た状況が、仕事中に3倍以上多いと報告した。数えていたのは、挑戦と技能が自分の平均を上回る時間であって、没入の実感ではない。2014年の測り直しは、直接測っても、仕事のフローが高いことを確かめた。大きな差が出たのは受動的な余暇との比較で、能動的な余暇との差は、わずかしかない。一方、気分の良さは、カーネマンらの調査でも、エンゲザーらの調査でも、余暇のほうが上だった。人は、仕事中に別のことをしたがった。仕事のフローには、懸かっているものの大きさも絡んでいる。そして、活動の種類(仕事、余暇、義務など)で説明できるのは、瞬間ごとのフローのばらつきの、1割ほどだった。

どの数字も、平均である。78人の平均が54%であっても、その中には、仕事でほとんどフローがない人も、余暇のほうが多い人もいるだろう。1989年の論文が、動機づけの個人差を取り上げているのは、その一例である。平均が語るのは、集団の傾向であって、一人ひとりの時間割ではない。

もう一つ、筆者の読みを添えておく。仕事には、他人が決めた課題と期限、結果への責任がある。余暇には、その枠がない。1989年の著者たちが言う「構造のない自由な時間」とは、そういう意味に近いのではないか。そうだとすれば、仕事の没頭と余暇の没頭は、同じ尺度で測れていても、同じ種類のものとは限らない。仕事の没頭は、枠の中で起き、余暇の没頭は、枠を自分で作るところから始まる。これは数字から出た結論ではなく、数字を並べたあとの、感想に近い。

手がかりは、いくつか残っている。挑戦も技能もふだんより高い場面で、体験の質は大きく動いた。創作やスポーツは、没頭も気分も高かった(件数は少ない)。能動的な余暇では、懸かっているものが大きいと感じている場面ほど、気分が低く、没頭は高まらなかった(相関であり、因果は確かめられていない)。受動的な余暇は、没頭から遠いが、否定的な活性化がいちばん低い。どれも、選べという話ではない。確かさの程度も、それぞれ違う。

1989年の著者たちは、仕事のほうが、余暇の大半よりも楽しめるかもしれない、とまで書いた。仕事を義務と見なす通念が、その楽しさを覆い隠している、という見立てである。並べた数字からは、そこまでは言えない。先に並べたとおり、気分の良さで、仕事が余暇を上回った調査はない。1989年の調査自身でも、感情と満足に、仕事と余暇の有意な差はなかった。この記事が言えるのは、街灯の明るさと、鍵の位置は、別の問題かもしれない、ということくらいだ。

最近、時間を忘れた場面が、いつだったかを思い出してみる。それは休日だったか、仕事の最中だったか、それとも、運転や家事のような、そのどちらでもない時間だったか。

出典

  • Csikszentmihalyi, M. (1975). Beyond Boredom and Anxiety. San Francisco: Jossey-Bass.(1989年の論文が、自己目的的な性格の出典として引いている)
  • Csikszentmihalyi, M., & LeFevre, J. (1989). "Optimal Experience in Work and Leisure." Journal of Personality and Social Psychology, 56(5), 815–822. DOI: 10.1037/0022-3514.56.5.815
  • Engeser, S., & Baumann, N. (2014; 巻号は2016). "Fluctuation of Flow and Affect in Everyday Life: A Second Look at the Paradox of Work." Journal of Happiness Studies, 17(1), 105–124. DOI: 10.1007/s10902-014-9586-4
  • Kahneman, D., Krueger, A. B., Schkade, D. A., Schwarz, N., & Stone, A. A. (2004). "A Survey Method for Characterizing Daily Life Experience: The Day Reconstruction Method." Science, 306(5702), 1776–1780. DOI: 10.1126/science.1103572(本文は未取得。活動別の数値は、Kahneman & Krueger (2006) の表2による)
  • Kahneman, D., & Krueger, A. B. (2006). "Developments in the Measurement of Subjective Well-Being." Journal of Economic Perspectives, 20(1), 3–24.(表2は、2004年の調査データをもとに、著者らが活動別に計算した値。U指数はこの論文が提案した指標)
  • 総務省統計局「令和3年社会生活基本調査 生活時間及び生活行動に関する結果 結果の概要」表1-1「男女、行動の種類別生活時間(2016年、2021年)-週全体」、表3-2「男女、年齢階級別テレワークをした人口(2021年)-平日、有業者」、表3-3「年齢階級、テレワークの実施の有無別生活時間(2021年)-平日、有業者」。
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