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温泉から帰った翌朝、静けさはどれくらい保つものなのか——復帰初日の終わりには、休暇で減った仕事の反すうの4分の1が、もう戻っていた

温泉から帰った翌朝、静けさはどれくらい保つものなのか——復帰初日の終わりには、休暇で減った仕事の反すうの4分の1が、もう戻っていた

休暇の中ほどで下がっていた仕事の反すうは、職場に戻った初日の終わりまでに、下がった分の4分の1が戻っていた。2週間後にはほぼ休暇前に戻ったが、リラックスの感覚は残った。戻る速さは、静けさの種類ごとに違った。

TOMOAKI··趣味

温泉から帰ってきた日の夜は、いつもより頭が静かだ。翌朝もまだ、その余韻がある。問題は、それが何日もつかということで、自分の経験では、早ければ二日、長くても一週間ほどで、いつもの慌ただしさに埋もれていく。

これを、意志が弱いからだと思ったことはない。環境が元に戻れば人も元に戻る、というだけの話だろう、と考えてきた。ただ、その「だけの話」が、数字にするとどのくらいの速さなのか、何が先に戻って何が残るのかは、知らなかった。休暇の前後を追いかけて測った研究に当ててみると、自分の「二日」という体感は、むしろ遅く気づいているだけかもしれなかった。

静けさが減り始めるのは、いつなのか

2026年のトムゼンらは、ドイツで募集した働く人190人を無作為に二つに分け、休暇の前後で「仕事の反すう」を測った。仕事の反すうとは、仕事のことが頭を離れず、同じ考えを繰り返してしまう状態のことで、静かな頭の反対側にあるものと思えばいい。試験の本題は、休暇向けのアプリが効くかどうかで、対象は反すうが高めの人だけだった。ここで使うのは、アプリを使わなかった対照群の数字である。ただし対照群も何もしなかったわけではなく、休暇の最後の週の過ごし方について、自動のフィードバックを受けていた。

対照群の仕事の反すうは、点数が高いほど悪い尺度で、休暇の前が平均15.9、休暇の中ほどが11.2、職場に戻った初日の終わりが12.4、2週間後が14.8だった。休暇前からの下がり幅で言えば、中ほどで29.8%、初日の終わりで22.0%、2週間後で6.9%になる。2週間後の6.9%は、変化率の表では休暇前との差が有意でなかった。ところが、同じ論文の別の群内分析では、小さいながら有意な低下(1.1点)と報告されていて、論文の中でも扱いが分かれている。「ほぼ休暇前に戻った」あたりが、無理のない読み方だろう。

中ほどの下がり幅4.7点のうち、初日の終わりまでにもう1.2点が戻っている。筆者の計算で、およそ4分の1である。戻り始めたのが休暇の後半なのか、職場に戻った初日なのかは、この測り方では分けられない(休暇の終わりの時点は測られていない)。確かなのは、数日たってからではなく、職場に戻った初日の終わりには、もう戻り始めていた、ということだ。

湯冷めに似ている。湯から上がった直後の温かさは、服を着終わるころにはもう逃げ始めていて、「冷えた」と気づくのは、ずっとあとになる。冷えたことに気づく日と、冷え始めた日は、同じではない。

一方で、全部が同じ速さで戻るわけでもなかった。同じ表で、リラックスの感覚は、2週間後も休暇前より22.6%高いままだった。気持ちが仕事から離れている度合い(心理的距離)は、初日には休暇前より36.7%高かったのが、2週間後には17.0%で、こちらは統計的には差がない。抑うつの得点は、アプリを使った群も使わなかった群も、休暇明けに大きく下がり、2週間後でも約2割低いままだった。著者は、これを群に関係のない、休暇そのものの効果と読んでいる。

つまり、休暇が運んでくるものは、何種類かあって、仕事の反すうのように早く戻るものと、リラックスの感覚のように残るものが混ざっている。「静けさ」を一つの塊のように扱っていたのは、こちらの粗さだったことになる。

この研究には、割り引いて読むべき点がいくつかある。募集は計画していた788人に遠く及ばず、実際に集まったのは190人だった。途中で質問票に答えなくなった人も多く、休暇の中ほどの時点での欠測は、アプリ群で62%、対照群で26%だった。主要な指標は仕事の反すうで、「頭の静けさ」そのものを測ったわけではない。反すうが減ったことを静けさと呼ぶのは、筆者の読み替えである。

それでも、自分の感覚と並べると、一つだけ思い当たることがある。帰った翌朝に「まだ余韻がある」と感じるとき、その余韻は、リラックスの感覚の側に乗っているのではないか。頭の静けさのほうは、帰る前から、もう少し減っていたのかもしれない。これは推測で、データが示しているわけではない。

二週間で戻るもの、残るもの

休暇明けの追跡は、もっと前にもある。2006年のフリッツとゾンネンターグは、ドイツの大学で働く教員以外の職員221人(女性が85.5%で、事務職が中心)を、休暇の1週間前、休暇中、休暇明けの2日以内、休暇明けの2週間後の4回、質問票で追った。休暇の長さは平均でおよそ18日である。

健康上の訴え(心配で眠れない、といった心身の不調を尋ねる12項目の尺度で、1〜4、高いほど悪い)は、休暇の前が1.94、休暇明けの直後が1.59、2週間後が1.71だった。直後から2週間後への戻りは、統計的にも有意だった。休暇で下がった0.35のうち、0.12が戻っているので、筆者の計算では、およそ3分の1が2週間で戻ったことになる。

ところが、同じ人たちの別の指標は、様子が違った。「仕事をこなすために必要な努力」は、休暇の前が2.90、直後が2.26、2週間後が2.31で、下がった分のほとんどが残っていた。消耗感は、2.18から2.05に下がり、2週間後は2.03で、戻る気配さえなかった。ちなみに、自己評価の課題遂行は4.51、4.49、4.45と、休暇の前後でほとんど動かなかった。休暇は、不調の訴えや努力の感覚を動かしても、仕事の出来の自己評価までは動かさなかった。

冷蔵庫の中身が、すべて同じ速さで傷むわけではないのと似ている。牛乳は早く傷み、乾物は残る。休暇の効果も、不調の訴えのように早く元に戻るものと、「頑張らなくても回る」感覚のように、しばらく残るものに分かれていた。著者は、休暇の効果は急に消えるのではなく、少しずつ変わっていくものだと書き、追跡がもっと長ければ、消耗感や努力にも戻りが見えたかもしれない、と述べている。

この研究で興味深いのは、どの人の効果が長く残ったかのほうだ。休暇中に仕事の嫌な面を考え続けた人ほど、休暇明けの健康上の訴え、消耗感、離脱感が高く、一部は2週間後まで続いていた。休暇中の人との衝突や金銭の悩み、車の故障といった「わずらわしさ」は、休暇明けの消耗感と、2週間後の必要な努力を高めた。そして、休暇明けの仕事量が多いと、直後の課題遂行が下がり、消耗感と必要な努力が上がった。

これに対して、休暇中のリラックスや、新しいことへの挑戦が与えた効果は、小さかった。著者は、休暇中に資源を増やす活動を探すより、さらなる消耗を避けるほうが大事かもしれない、という趣旨のことを書いている。休暇中に何を足したかより、仕事の嫌な面を考えずに済んだか、煩わされなかったかのほうが、あとまで効いた。

当てはまる範囲も、確認しておく。対象は大学の職員で、休暇は平均で約18日だった。自分が出かける温泉は、一泊か二泊である。三日にも満たない旅について、この数字がそのまま使えるかどうかは、この研究からは言えない。調査はすべて自己報告でもある。

二つの研究を並べると、一つの形が見える。休暇の効果は、まとめて消えるのではなく、種類ごとに違う速さで、初日から少しずつ戻っていく。休暇明けの状態を悪くしていたのは、休暇中に仕事の嫌な面を考えたこと、旅の間の煩わしさ、帰った先の仕事の山だった。

新幹線でスマホを開かない、というだけのこと

帰りの新幹線で、着いた瞬間からメールを開くか、それとも景色を眺めて過ごすかで、家に着いたときの感覚がかなり違う。理屈で説明しようとすると大げさになりそうなので控えるが、単純に「まだ戻らなくていい時間」を意図的に延ばしているだけなのだと思う。移動時間そのものを、旅と日常の間の緩衝材として使う、というだけのことだ。

この「だけのこと」に、研究を当ててみる。2005年のゾンネンターグとバイヤーは、10の組織と自営業者から集めた87人に、連続した3日間の勤務日について、帰宅したときと寝る前の2回、気分と疲労を記録してもらった。仕事から心理的に離れていたかどうか(「その日の仕事のことを完全に忘れた」「スイッチを切ることができた」といった項目で測っている)が、寝る前の気分の良さと疲れの少なさに結びついていた。

意外だったのは、余暇に使った時間の長さが、心理的な距離にも疲労にも結びつかなかったことだ。疲労と結びついていたのは、時間の量ではなく、仕事から頭が離れていたかどうかのほうだった。その関係は、時間に追われた日(その人のふだんより時間の切迫感が高かった日)には強く(係数は−0.49)、そうでない日にははっきりしなかった(−0.11で、有意でない)。ただし、運動に使った時間は、寝る前の気分の良さとは結びついていた。

研究の序論で著者らは、長い休みの効果は比較的すぐに消える、と書いている。この一文は、フリッツとゾンネンターグの2006年の論文などを引いたもので、旅の余韻の短さは、研究者にとっても、前提のようなものらしい。疲労については、時間の量ではなく、頭が仕事から離れていたかどうかが効いていたとすれば、新幹線の数時間も、「何分あるか」より「何を開いたか」のほうが問われそうだ。もう一つ、仕事関連の活動の最中は、他のどの活動よりも距離が低かった。このカテゴリには、税の申告のような私的な事務も含まれていたが、仕事そのものと私的な事務のどちらが距離を下げていたのかは、分けられていない。

とはいえ、離れればよい、という単純な話にもならない。2005年のフリッツとゾンネンターグは、ドイツの救急隊員87人(配った調査票の回収率は約20%と低い)を、木曜か金曜の夕方、日曜の夕方、月曜か火曜の夕方の3回追い、週末の過ごし方と週明けの状態を調べた。週末に仕事の良い面を考えた人は、週明けの消耗感が低かった。完全に忘れることだけが正解ではなかった、ということになる。

通勤の研究にも、向きが反転する結果がある。Jachimowiczら(2021)は、3つの調査で計1,736人を調べた。最後の研究では、443人を4週間追い、後半の2週間、出勤前の携帯メッセージの内容を無作為に振り分けた。「今日と今週、仕事や目標に近づくために何ができるか考えて計画を立てる」ように促された人は、通勤が長くても仕事の満足度が下がらなかった。仕事と関係のない楽しいことをするよう促された人では、通勤が長いほど満足度が下がる傾向が見られた(統計的には有意傾向にとどまる)。

この研究は朝の通勤で、向かう先は職場である。旅から家に戻る新幹線とは、向きが逆だ。数値は、著者の受理原稿で確認したもので、出版社の最終版では確かめていない。ここから言えるのは、「何も見ない」ことと「楽しいことをする」ことの二択ではなく、頭の使い方に第三の選択肢がありうる、ということだ。

だから、自分の新幹線の過ごし方を、正しいと言うつもりはない。景色を眺めているときに、実は戻ってからの予定を、頭のどこかで整理している日もある。それが効いているのか、ただの癖なのかは、区別がつかない。

部屋に戻ってまずやること

玄関を開けたときに目に入る、出しっぱなしの郵便物や脱ぎっぱなしの服。これを見た瞬間に、温泉で感じていた静けさが半分くらい引いていく気がする。だから荷解きより先に、目につくものだけ片付けてしまう。大掃除をする必要はなく、視界からノイズを減らすだけで十分だった。効果があるかどうかを厳密に確かめたことはないが、少なくとも自分にとっては、部屋が散らかっているかどうかで翌朝の気分は変わる。

視界のノイズが注意を奪う、という説明の背景に置かれそうな論文がある。2011年のマクマインズとカスナーは、ヒトの視覚野で、視野に同時にある複数の刺激が、互いの反応を抑え合って、神経の表現を奪い合うことを前提に、刺激がまとまって見えるほど、この競合が解けて注意の出番が小さくなることを示した。

だが、これは「散らかった部屋」を調べた研究ではない。調べているのは視覚野の仕組みで、そこから家の片付けを導くのは、類推である。散らかりの根拠として持ち出すなら、論文の中身とは少し離れている。同じことは、この記事の自分の実感にも言える。「半分引いていく気がする」は、実感であって、実証ではない。

もう少し、実証に近い言い方ができそうなのは、習慣の研究だ。2005年のウッドらは、テキサスの大学に転入した学生115人に、転校の約1か月前と、新学期の4週間後に、運動、新聞を読む、テレビを見るという3つの行動を尋ねた。習慣が転校を越えて続いたのは、もともと習慣の強かった学生で、しかも行動する文脈が変わらなかったときだけだった。習慣の強い学生のうち、同じ場所(家やジムなど)で運動していた人は、習慣を保った。場所が変わった人では習慣が崩れ、環境が変わったと感じた学生では、運動がその時点の意図に従うようになった。

習慣は、意志というより、場所や状況の手がかりに引き出されるものらしい。そう考えると、玄関の郵便物は、教室に入った瞬間に時間割を渡されるようなもので、「仕事の日の自分」を呼び戻す手がかりの一つになっているのかもしれない。片付けは、視界のノイズを減らすというより、手がかりを一つ消す作業だった、という読み方である。これも筆者の解釈で、実験で確かめられた話ではない。

ひとつ付け加えると、旅先で「普段と違う自分」になれたように感じるのも、この読みで説明がつく。文脈が変わると、場合によっては、強い習慣を持つ人でも、その時々の意図で動くようになる。意志が強くなったのではなく、習慣の邪魔が入らなくなっただけかもしれない。一泊か二泊のあいだ、同じ部屋、同じ布団、同じ廊下という狭い世界にいたことも、効いていたのかもしれない。静けさは、その小さな世界の手がかりに結びついていた、という見方もできるが、手がかりが結びつくには、一泊か二泊は短すぎるかもしれない。

戻ってくるのは自分だけではない

厄介なのは、静けさを持ち帰っても、周りの人間関係やスケジュールは何も変わっていないことだ。溜まっていた連絡、機嫌の悪い誰か、急かされる用件。これに触れた瞬間、取り戻したはずの余裕はあっさり消える。

ウッドらの同じ研究には、これに関わる結果がある。新聞を読む習慣は、一緒に読む人が変わると崩れた。誰かがいなくなった場合だけでなく、新しく誰かが加わった場合も、崩れた。崩れたのは、失ったからではなく、変わったからである。

この点を、旅に引き寄せて読んでみる。ウッドらが測った文脈は、場所や一緒にいる人といった外の手がかりだった(気分のような内面の状態も手がかりになりうる、と著者は書いている)。帰宅は、習慣から見れば、元の手がかりがそろった文脈に戻ることだ。元の手がかりがそろえば、強い習慣は意図に関係なく引き出される。旅の間に通っていた意図が、元の文脈の中で通りにくいのは、そのためかもしれない(筆者の読み替えである)。静けさが消えるのは、周りが何も変わっていないせいでもある。

変わりやすい時期にも、期限がある。2016年のヴェルプランケンとロイは、イギリスのピーターバラで、最近転居した世帯と、転居していない世帯を比べ、環境に配慮する25の行動を促す介入の効果を調べた。最後まで答えたのは521人で、介入が効いたのは、転居から3か月未満の人だけだった。3か月を過ぎた人には、効果がほとんどなかった。変えやすい時期は、無期限には開いていない。

もっとも、効果量は小さく、著者自身が概念実証と位置づけている。3か月という区切りも、転居時期で分けた下位分析から、著者が暫定的に出した値だ。行動は自己報告で、行動の種類ごとに分けると、有意だったのは交通に関わる行動だけだった。しかも転居の研究で、旅行の研究ではない。言えるのは、環境が変わった直後には、習慣が揺らぎやすい時期があり、その時期は長くは続かない、という程度のことだ。

帰った先に待つ連絡についても、ゾンネンターグとバイヤーの数字に、気になる記述がある。仕事から離れることを難しくするのは、その日の時間の切迫感ではなく、この先も忙しさが続くという見込みではないか、と著者は推測している。過ぎた忙しさより、先の見通しのほうが、頭を連れ戻す。溜まった連絡が重いのは、量のせいというより、先まで続くように見えるからなのかもしれない。

だからといって、人との関わりを「ノイズ」として遮断する態度を取るのは、自分には向いていない気がする。それは静けさを守っているようで、実際にはただ人を避けているだけかもしれないからだ。せめて、返事を急がなくていい連絡は急がずに済ませる、その程度の線引きはしてもいいと思っている。

小さいことだけが続く、のはなぜか

一度の旅行で得られる変化には限界がある。それよりも、疲れたときに数十秒だけ目を閉じて、あの湯の温度や部屋の静けさを思い出す、というくらいの小さな習慣のほうが、実際には長く続いている。大きな決意よりも、思い出すきっかけを一つ持っておくことのほうが、日常の中では役に立つ気がしている。

この「思い出すきっかけ」に近い手法として、実行意図と呼ばれるものがある。「状況Xになったら、行動Yをする」と、あらかじめ決めておく方法だ。2006年のゴルヴィツァーとシーランは、1990年から2003年までのデータベース検索に、著者への問い合わせで得た未発表や印刷中の研究を加えて集め、94の検証、8,461人分を統合して、効果量d = 0.65(中から大の効果)と報告した。自己報告で測った研究(0.63)と、客観的な測定の研究(0.67)の間に差はなく、未発表の研究と発表済みの研究の間にも、差はなかった。

ただし、この数字は、大半が大学生を対象にした、2000年代半ばまでの研究に基づく。一般の人を対象にした検証は8つしかなく、効果量は0.58だった(心理的な問題を抱える人を除けば、標本の種類による差は、統計的には見られなかった)。一般の人での検証が少なく、データも2000年代半ばまでなので、「0.65」を、今日の確定した値のように扱うのは、控えたほうがいい。

さらに、ここで測られているのは、あらかじめ決めた行動を実行できたかどうかである。自分の習慣の「疲れたら目を閉じて、湯の温度を思い出す」は、形の上では実行意図に似ているが、その効果を測った研究を、見つけたわけではない。似ているだけで、同じではない。

「思い出す」ことに近いものとして、2010年のクォイドバックらの調査がある。282人に、良い出来事があったときの普段の反応を尋ねる質問紙で、今この瞬間に注意を向けることと、良い出来事を頭の中でなぞること(要旨の言葉では「ポジティブな反すう」)は、ポジティブな感情の高さと結びついていた。仕事の反すうとは違い、繰り返し考える中身が良い出来事のほうを指すらしく、過去を思い出すことに限らないかもしれない。人に話すことは、人生満足度と結びついた。気が散ることは、ポジティブな感情の低さと結びついた。

これは一時点の調査で、因果は言えない。幸福な人が、よく良い出来事をなぞる人なのか、なぞるから幸福なのかは、分けられない。数十秒目を閉じる習慣を、直接測ったものでもない。尋ねているのは出来事が起きたときの普段の反応で、あとから旅を思い出す場面とは少し違う。それでも、良い出来事をなぞることが、ポジティブな感情に近い場所にあるという点は、自分の経験とは矛盾しなかった。

もう一つ、トムゼンらの試験には、気になる細部がある。アプリを使った群は、2週間後の仕事の反すうが、対照群より有意に低かった(d = −0.67)。ところが、余暇の活動の得点は、どちらの群でも増えたが、群の差はなかった。活動を増やしたから効いた、とは言えなかった。何が効いたのかは、この試験からは分からない。欠測の多さが、結果を過大に見せている可能性もある(最後まで答えた人だけの解析でも、効果量は−0.50で、有意な差は残った)。

大がかりなことをしなくても、効果が出る場合がある。ただ、その仕組みは、よく分かっていない。分かっていないものを、「小さな習慣が効く」とまとめるのは、このサイトが疑ってきた言い方に近づく。だから自分は、続いていることだけを書く。続いているのは、小さいことだけだった。

持ち帰れるのは、静けさの目録の一部だけ

ここまでの数字を、自分の「早ければ二日」に重ねてみる。ただし、数字は2週間余りの休暇などで測られたもので、一泊か二泊の旅にそのまま当てはまるかは言えない。そのうえで読むと、仕事の反すうは、戻った初日の終わりまでに、もう戻り始めていた。不調の訴えは、2週間で3分の1戻っていた。努力の軽さは、2週間後もほとんど残っていた。リラックスの感覚も、2週間後に残っていた。「静けさ」と呼んでいたものは、実は何種類かの別々の持ち物で、それぞれ、傷む速さが違った。自分が「二日」で気づいていたのは、仕事の反すうのように速く戻るものの変化だったのかもしれず、リラックスの感覚のような残るものは、もっと長く続いているのかもしれない。これは推測で、データが示しているわけではない。

持ち帰れるものと、持ち帰れないものを、分けて考えられるようになった。持ち帰れないのは、旅先の文脈そのものだ。湯の温度、鳥の声、人のいない廊下。習慣が文脈に引き出されるのなら、文脈を持ち帰れない以上、そこで通っていた意図も、そのままは持ち帰れない。

持ち帰れるのは、静けさがあったという記憶と、それを思い出すための手がかりくらいのものだろう。手がかりが効くかどうかは、はっきりとは確かめられていない。確かめられていない手がかりに、効くと決めて頼るのも、効かないと決めて捨てるのも、どちらも早すぎる。

静けさの一部は持ち帰れるが、それを維持する仕組みまでは持ち帰れない。仕組みは、日常の中で、また少しずつ作り直すことになる。作り直したものが、次の旅の前には元に戻っていても、おかしくはない。

出典

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