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温泉から帰った翌朝、静けさはどれくらい保つものなのか
秘境の温泉から都会に戻った数日間、あの静けさは思ったより早く消えていく。持ち帰れるものと、持ち帰れないものについて。
温泉から帰ってきた日の夜は、いつもより頭が静かだ。翌朝もまだその余韻がある。問題は、それが何日もつかということだ。自分の経験では、早ければ二日、長くても一週間ほどで、いつもの慌ただしさに埋もれていく。これは意志が弱いからというより、単に環境が元に戻れば人も元に戻る、というだけの話なのだと思う。
新幹線の中でスマホを開かない、というだけのこと
帰りの新幹線で、着いた瞬間からメールを開くか、それとも景色を眺めて過ごすかで、家に着いたときの感覚がかなり違う。理屈で説明しようとすると大げさになりそうなので控えるが、単純に「まだ戻らなくていい時間」を意図的に延ばしているだけなのだと思う。移動時間そのものを、旅と日常の間の緩衝材として使う、というだけのことだ。
部屋に戻ってまずやること
玄関を開けたときに目に入る、出しっぱなしの郵便物や脱ぎっぱなしの服。これを見た瞬間に、温泉で感じていた静けさが半分くらい引いていく気がする。だから荷解きより先に、目につくものだけ片付けてしまう。大掃除をする必要はなく、視界からノイズを減らすだけで十分だった。効果があるかどうかを厳密に確かめたことはないが、少なくとも自分にとっては、部屋が散らかっているかどうかで翌朝の気分は変わる。
戻ってくるのは自分だけではない
厄介なのは、静けさを持ち帰っても、周りの人間関係やスケジュールは何も変わっていないことだ。溜まっていた連絡、機嫌の悪い誰か、急かされる用件。これに触れた瞬間、取り戻したはずの余裕はあっさり消える。だからといって、人との関わりを「ノイズ」として遮断する態度を取るのは、自分には向いていない気がする。それは静けさを守っているようで、実際にはただ人を避けているだけかもしれないからだ。せめて、返事を急がなくていい連絡は急がずに済ませる、その程度の線引きはしてもいいと思っている。
結局、続けられるのは小さいことだけだった
一度の旅行で得られる変化には限界がある。それよりも、疲れたときに数十秒だけ目を閉じて、あの湯の温度や部屋の静けさを思い出す、というくらいの小さな習慣のほうが、実際には長く続いている。大きな決意よりも、思い出すきっかけを一つ持っておくことのほうが、日常の中では役に立つのかもしれない。
静けさは持ち帰れるが、それを維持する仕組みまでは持ち帰れない。結局、日常の中でまた少しずつ作り直すしかないのだと思う。
