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「趣味を仕事に活かす」という話の、どこまでが本当なのか
離れた趣味を掛け合わせれば市場価値が上がる、という話をよく見かける。数字の上では筋が通って見えるその理屈を、少し疑ってみる。
「趣味を仕事に活かす」という話を、これまで何度も読んできた。エンジニアが家庭菜園から学んだ発想でシステム設計を変えた話、料理好きのマーケターが写真の技術でブランドを立ち上げた話。どれも面白く読めるし、実際にそういう人がいるのだろうとも思う。ただ、こういう話を読んだ後にいつも残る違和感がある。成功した後だからこそ、趣味と仕事の間に筋の通った物語を描けているだけではないか、という疑いだ。
掛け合わせの理屈
「ある分野で上位10パーセントに入るのは、努力すれば十分に狙える。それを2つ、3つ掛け合わせれば、希少性は掛け算で増える」という考え方がある。『ディルバート』の作者スコット・アダムスが唱えたことで知られている。数字の上では筋が通っているように見える。ただ、これが実際に機能するのは、掛け合わせた先に需要がある場合に限られる。サウナに詳しい会計士がいたとして、その組み合わせを面白がってくれる仕事が、たまたま存在するかどうかは、掛け算の外側の話だ。
離れた分野の知識を結びつける発想そのものは、認知科学でも「アナロジー的思考」として研究されている。異なる領域の構造的な類似点を見つけ出す力が、新しい発想を生むという報告はいくつかある。これは実感としても納得できる。ただ、その研究が言っているのは「類推は発想を助けることがある」という範囲までで、「趣味を掛け合わせれば市場価値が上がる」というところまで保証しているわけではない。間の距離は、思っているより大きい。
先に物語があるのではないか
柔術を10年続けている人事担当者の話も、釣りが得意なエンジニアの話も、後から振り返れば筋の通った物語になる。けれど、同じように柔術を10年続けていて、仕事には特に何の影響もなかった人事担当者も、同じ数だけいるはずだ。目立つのは前者の方で、後者は誰も記事にしない。この選択の偏りを抜きにして「趣味を掛け合わせれば希少な人材になれる」と言い切るのは、少し性急な気がする。
それでも、続けている理由
とはいえ、自分が長く続けている趣味が、まったく仕事に染み出していないかと言われると、そうでもない。文章を書く仕事をしていて、まったく別の分野の本を読んでいるときに、たまたま今書いている原稿の構成のヒントを得ることは、これまでにも何度かあった。ただそれは、狙って掛け合わせた結果というより、たまたま頭の中でつながっただけのことに近い。
趣味を市場価値に変換する方法として語るより、単に、遠い場所の知識が時々つながることがある、というくらいの控えめな言い方の方が、実感には近い。つながりを当てにして趣味を選ぶのは、たぶん本末を転倒させている。
