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一つに絞ることが、遠回りを避ける道だと思われている
ノーベル賞受賞者は、一般的な科学者より最大22倍の確率で俳優や踊り手としても活動していた――しかも子供の頃から趣味を続けている場合ほど、その差は大きかった。「一つに絞るべき」という前提を、科学とスポーツ両方の研究から検証する。
器用貧乏という言葉が、褒め言葉にならない理由
趣味を長く続けている人に、次に何を始めるべきか聞かれたとき、たいてい返ってくる助言は同じ形をしている。あちこちに手を出すより、一つに絞って深めたほうがいい。器用貧乏という言葉は、たいてい褒め言葉としては使われない。何かを極めたいなら、他のことに割く時間こそが敵だ、という発想である。
この発想を、ノーベル賞受賞者の趣味から検証してみたい。
ノーベル賞科学者は、驚くほど多趣味だった
生理学者ロバート・ルート=バーンスタインが2008年に発表した調査は、ノーベル賞受賞科学者、全米科学アカデミー会員、王立協会会員、シグマ・サイ(科学研究協会)会員という4つの集団の余暇活動を比較した。結果は際立っていた。ノーベル賞受賞者は、一般的な科学者に比べて、俳優や踊り手として活動している確率が最大22倍、詩や小説を書いている確率が最大12倍、絵画や彫刻をしている確率が最大7倍、木工や機械いじりなどの工作をしている確率が最大7.5倍高かった。演奏家や作曲家として活動している確率も、最大18倍に達していた。
長距離走だけを走り込むランナーより、週に一度だけでも筋トレを挟むランナーのほうが記録が伸びやすい、という話に近い。科学の最高峰で結果を出した人ほど、科学とは無関係に見える活動に手を広げていたことになる。しかもこの効果は、その趣味を子供の頃から大人になるまで続けている場合に、より強く出ていた。片手間の息抜きではなく、長く並走してきた活動だったということだ。
ここで、因果の向きには注意がいる。多趣味だったから成功したのか、それとも、もともと好奇心や認知的な柔軟性が高い人が、多趣味にも科学的成功にも同時につながりやすいだけなのか。この調査自体は相関を示しているのであって、趣味を増やせば誰でもノーベル賞に近づくという証明ではない。論文の考察部分では、ノーベル賞受賞者たちが自らの言葉で、副業的な活動が本業に何をもたらしたかを語っている引用が並ぶ。全米科学アカデミー会員の物理学者ロバート・ラフリンは、子供の頃に家電を分解していた経験について「物事の本当の理解は、本を読むのではなく実際に分解してみることから来るという発想を学んだ」と述べている。ノーベル物理学賞受賞者で水中写真・海洋探査を趣味にしていたヘンリー・ケンドールは、その自己流で身につけた技能が「プロジェクトを最後までやり遂げ、それを安全にこなす」という実験科学に直結する力を養ったと振り返っている。趣味が本業の外側にある逃避先ではなく、本業の中に組み込まれた発想源として機能していた、という語られ方が繰り返されている。
スポーツの世界でも、早期の一本化は分が悪い
この傾向は科学の世界だけの話ではない。整形外科医マディソン・マクレランらが2022年に発表したシステマティックレビューは、8,756本の論文から条件に合う29本を選び出し、青少年期のスポーツの専門特化(一つの競技に絞り込むこと)がプロ・エリート・オリンピック選手に与える影響を整理した。傷害リスクを扱った8本の論文は、すべてが「専門特化を遅らせた選手のほうが傷害リスクは低い」という結果で一致していた。パフォーマンスを扱った9本のうち7本も、遅い専門特化のほうに軍配を上げている。
ただし、残りの2本は逆の結果だった。マラソン選手とサッカー選手については、早期の専門特化のほうに利点があったと報告されている。すべての競技で同じ結論が出ているわけではない、というこの例外は正直に書いておく必要がある。持久力そのものが競技力に直結する種目や、幼少期からの高度な技術習得が要る種目では、話が変わってくるのかもしれない。体操やフィギュアスケートのように、体の柔軟性や骨格の成長段階が競技力を左右する種目も、この2例と似た性質を持つ可能性がある。つまり「早く絞るべきか」の答えは種目の性質次第であって、あらゆる分野に一律に当てはめられる話ではない。
なぜ回り道が、後で効いてくるのか
スポーツ科学者ジャン・コテが整理した「発達モデル」は、この現象に理論的な説明を与えている。6歳から12歳頃までを「サンプリング期」と呼び、この時期に一つの競技に絞り込まず、複数の競技を遊びの延長として経験することが、後年のバーンアウトや傷害を防ぎ、長く競技を続けられることにつながるという。一つの型に早く固定されるより、いろいろな動きのパターンや状況判断を雑多に経験しておいたほうが、後から専門的な技能を積み上げる土台が広くなる、という考え方だ。子供が文法書を開く前に、周りの会話を浴びるように聞きながら言葉を覚えていくのと似ている。土台となる語彙や感覚が先にあって、文法という専門技能はその上に積み上がっていく。
コテはこの時期の活動を「デリバレート・プレイ(意図的な遊び)」と呼び、後年に必要になる「デリバレート・プラクティス(意図的な練習)」——決められた型を繰り返し反復して精度を上げていく訓練——とは区別している。遊びの段階を飛ばしていきなり反復練習に入ると、短期的な上達は早くても、長い目で見た定着や継続の面で不利になりやすい、というのがこのモデルの骨子だ。専門特化そのものを否定しているわけではなく、専門特化に入る「時期」の問題として扱っている点が、この理論の慎重なところだと思う。
ノーベル賞科学者の話に戻ると、同じ構造が見える。演劇で身につけた表現力、木工で身につけた三次元的な空間把握、詩作で鍛えられた比喩的思考。これらが専門分野に直接役立つと証明されているわけではないが、専門分野の外側で培われた何かが、専門分野の中での発想の幅を広げている可能性は否定しにくい。
「フェデラー効果」という呼び方
この一連の知見を一般向けに整理したのが、ジャーナリストのデイビッド・エプスタインが2019年に出版したRangeという本だ。学術論文ではなく一般書だが、彼はここに挙げたような研究群を「タイガー・ウッズ効果」対「ロジャー・フェデラー効果」という対比でまとめている。タイガー・ウッズは2歳からゴルフ一本に絞り込み、若くして頂点に立った。ロジャー・フェデラーはスキー、レスリング、水泳、スケートボード、バスケットボール、ハンドボール、卓球、バドミントン、サッカーと様々な競技を経験してから、比較的遅い10代半ばでテニスに絞り込み、その後、初めて世界ランキング1位に立ってから最後に1位だった日まで14年という記録的な期間、頂点圏に居続けた。エプスタインの主張は、タイガー型の一点集中が向く領域も確かにあるが、複雑で予測しにくい領域ほど、フェデラー型の回り道のほうが最終的に強い、というものだ。
複数の趣味を掛け持ちしていることに、後ろめたさを感じる必要はないのかもしれない。むしろ、その掛け持ち自体が、どれか一つを極める土台を静かに広げている途中である可能性がある。ただし、これも万能の処方箋ではない。マラソンやサッカーの例が示すように、種目や分野によっては早い一本化のほうが理にかなう場合もある。器用貧乏を恐れて一つに絞るべきか、回り道を続けるべきかという問いに、この記事はどちらか一方の答えを渡すつもりはない。分かっているのは、少なくとも「一つに絞らなければ何も極まらない」という前提のほうは、ノーベル賞科学者たちの余暇の使い方を見る限り、そのままでは成り立たないということだけだ。

出典
Root-Bernstein, R., et al. (2008). "Arts Foster Scientific Success: Avocations of Nobel, National Academy, Royal Society, and Sigma Xi Members." Journal of Psychology of Science and Technology, 1(2).
McLellan, M., Allahabadi, S., & Pandya, N. K. (2022). "Youth Sports Specialization and Its Effect on Professional, Elite, and Olympic Athlete Performance, Career Longevity, and Injury Rates: A Systematic Review." Orthopaedic Journal of Sports Medicine, 10(11).
Côté, J., Baker, J., & Abernethy, B. (2007). "Practice and Play in the Development of Sport Expertise." In Handbook of Sport Psychology.
Epstein, D. (2019). Range: Why Generalists Triumph in a Specialized World. Riverhead Books.(一般書、学術論文ではない)
