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移動時間を削ることが、必ずしも得だとは限らない理由
新幹線で最短ルートを選んだはずなのに、着いた瞬間もまだ頭は仕事のことを考えている。あえて時間のかかる移動を選んだときの方が、切り替えがうまくいくことがあるのはなぜなのか。
旅行の行き先を決めるとき、移動時間はできるだけ短くしたいと思ってきた。新幹線や飛行機で最短ルートを選び、余った時間を現地で過ごす方が得だという計算だ。ただ、実際に着いてみると、頭の中はまだ仕事のことを考えていることが多い。身体は目的地に着いているのに、気分はまだ日常の続きにいる。
逆に、乗り換えの多いローカル線やバイクで時間をかけて向かったときの方が、着いた頃には気持ちがずいぶん切り替わっている。移動時間を減らすことが、必ずしも得になっていない場面があるらしい。
速い移動には、切り替わる隙間がない
新幹線の車内は快適で、Wi-Fiも電源もあるから、結局スマホを見て過ごしてしまう。移動している間じゅう、意識は画面の中の日常につながったままで、目的地に着いた瞬間に急に「さあ休もう」と言われても、頭がついてこない。移動という時間そのものが、日常から切り離されるための猶予として機能していないのだと思う。
一方でローカル線を乗り継ぐ移動は、単純に不便だ。本数が少なく、待ち時間も長い。ただ、その待ち時間にスマホを見飽きて、ホームのベンチでぼんやり景色を眺めている自分に気づくことがある。特に何を考えているわけでもない時間が、案外長く続く。この「何もしていない時間」の分だけ、頭の中の仕事のことが少しずつ薄まっていくような感覚がある。窓の外を眺めているだけで頭が整理される、という話をどこかで読んだ覚えがあるが、それが本当に脳のどんな仕組みによるものかまでは、自分では確かめようがない。ただ、体感としては近いものがある。
バイクで感じる、単純な忙しさ
バイクで移動するときは、風の強さや路面の状態、対向車の動きに絶えず注意を向けている必要があって、他のことを考える余裕がほとんどない。仕事の悩みを引きずったまま走り出しても、しばらくすると走ることだけで頭が一杯になる。これも「脳がリセットされる」というより、単純に別のことで忙しくなって、悩みを考える余力がなくなっているだけなのだと思う。結果としては似たようなものかもしれないが、説明としては地味な方が正確な気がする。
不便さを、あえて選ぶ理由
効率だけを考えるなら、移動時間は短いに越したことはない。それでも時々、あえて遠回りの経路を選ぶのは、移動そのものに日常と非日常の境目を作ってもらう必要があるからだと思う。スマホの電源を切るとか、紙のノートに今考えていることを書き出しておくとか、意識してやっている工夫もいくつかある。ただ、それらの工夫も、結局は「移動中はどうせ暇だから」という消極的な理由に支えられている部分が大きい。
移動をできるだけ削るべきコストとして扱うか、それとも日常から離れるための時間として扱うか。どちらが正しいという話でもなく、行き先や気分によって使い分ければいいだけなのだと思う。ただ、最短ルートを選ぶことが常に得だという前提だけは、一度疑ってみてもいいのかもしれない。
