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ふすまを自分で貼り替える、という賭け
原状回復では、通常の使用による変化は戻さなくてよい。一方で襖紙は、クロスと違って経過年数で負担が目減りしない。自分で貼り替えた賃貸のふすまを、ガイドラインと裁判例から見直す。
賃貸の和室のふすまが古びて見えるとき、選択肢は大きく二つある。表具師に張り替えを頼むか、自分でシートや壁紙を貼るかだ。自分でやってみたのは、安く済ませたかったからというより、部屋の一部に自分の手を入れてみたかったからだと思う。ちなみに、頼んだ場合の費用は、公的な相場を探しても見つからなかった。予約仲介サイトに載っている各店の料金表を読むと、標準サイズの片面1面で、おおよそ3,300円から15,000円。普及品なら4,000円から9,000円台が中心で、部屋を仕切るふすまは表と裏の2面があるので、1枚あたりではその約2倍になる。
やってみて分かったのは、この手の作業の難易度は「貼る」という動詞一つに収まらないということだ。シートそのものを貼る工程よりも、引手や枠といった端の処理のほうが時間を食う。引手はマイナスドライバーを差し込んで少しずつ浮かせれば外れるし、枠の色は、ふすま全体の印象をかなり左右する。この二つを端折ると、どんな素材を選んでも「貼っただけ」に見えてしまうのではないか、と思う。
急いだところが、あとでわかる
貼る作業そのものについて、一つだけ実感として残ったことがある。裏紙を一気に剥がして貼ろうとすると、空気を逃がす前に接着してしまい、あとでシワとして残る。少しずつ剥がしながら中心から外側へ空気を送り出すように貼るほうが、結果として仕上がりが違って見えた。アサヒペンの手順にも、裏紙を20cmほどはがし、中央部分から上から下へ空気を押し出すように貼る、とある。同じ手順には、貼り直しをすると接着力が落ちたり下地を傷めたりすることがある、という注意も添えられている。やり直すと分が悪い作業なのだ。
多少のシワや隙間は、細く切った同じ素材を重ねるか、いっそモールディングで縁取って「そういうデザイン」にしてしまえば、案外目立たなくなる。ここまでが、見た目の話である。そして見た目の失敗は、たいてい隠せる。
ふすまは、貼り替えられる前提で作られている
貼り替えという作業が成り立つのは、ふすまがもともとそういう物として作られているからだ。国の公共工事の標準仕様書(令和7年版)を見ると、伝統的な下張りを重ねるふすま(Ⅰ型)の紙張りは、表の紙を貼る前に、骨しばり、べた張り、袋張りという三つの下張りを重ねることになっている。見込み、つまり厚みの標準は19.5mm。表の紙は、構造を支える層ではなく、貼り替えられることを見込んで載っている層、と読める。
アサヒペンの案内にも、同じ発想が出てくる。古い紙を剥がさず、その上に2〜3枚まで貼り重ねられる。目安は「ふすまの枠と同じ厚み位まで」。重ねられる回数の目安は、紙の枚数(2〜3枚)とあわせて、枠の厚みでも示されている。昔のふすまの下張りには、不要になった古文書が使われていることがあり、剥がすと歴史資料として出てくる。岡山大学の目録によれば、旧永瀬家住宅の襖8面では、上段に1〜2層、下段に2〜3層の文書が重なっていた。
ただし、これは主に本ふすま、つまり木の骨組みに紙を重ねたふすまの話だ。賃貸に多いかどうかは確かめられていないが、芯が段ボールや発泡スチロールの量産ふすまは、事情が違う。アサヒペンの注意書きでは、そうしたふすまに片面だけ水で貼ると反ることがあるので両面とも貼り替えること、アイロンで貼るタイプは、発泡スチロールが見えている面だと熱で溶けること、が書かれている。自分のふすまがどちらなのかは、貼る素材を選ぶより前に確かめておきたいことだ。
物の作りが、貼り替えを前提にしている。その上に載せる素材のほうは、次に貼り替えることを前提にしていない。壁紙やリメイクシートは、ふすま紙を重ねる文化の外から来ている。この組み合わせの結果は、あとの節で見る。
賃貸のふすまには、他の内装と違う勘定がかかっている
賃貸だと、ふすま本体に直接シートを貼ることに抵抗がある人もいるはずだ。自分の場合は、下地に幅広のマスキングテープを貼ってから両面テープで固定する方法にした。数年後にきれいに剥がせるかどうかはまだ確かめていないので、ここは保証できない。
この不安には、根拠のある部分とない部分がある。分けておいた方がいいので、国土交通省の「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」が何を言っているかを見ておく。
まず原則。同省のQ&A(Q8)は、襖や障子、畳表の損耗が経年変化や通常使用によるものだけであれば、賃借人の負担で張り替える必要はない、としている。日焼けして色が褪せた、という程度なら、それは家賃に含まれている側の話になる。逆に、賃借人が毀損した場合には賃借人の負担になる。
クロスと並べると、ふすまの特異さが見える
ガイドラインは、賃借人の負担について経過年数を考慮する、という考え方を採っている。年数が経つほど負担割合を減らす。壁のクロスであれば耐用年数は6年とされ、6年で残存価値が1円になるように計算される。減らす理由は二つ書かれている。通常損耗や経年変化の分は賃料で払ってきているので全額を負担させると二重に払わせることになる。もう一つは、1年で毀損させた人と10年で毀損させた人の負担が同じでは、借主どうしの公平を欠く、というものだ。
実際の裁判でも、この計算は使われている。前橋簡易裁判所が平成31年2月4日に出した判決では、クロスがタバコのヤニと換気不足によるカビで著しく汚れ、借主の善管注意義務違反が認められた。それでも、8年以上住んだ部屋のクロスは残存価値がゼロというべきだとして、13万9200円という総張替費用の負担は否定された。この判決では、落ち度があっても、年数が経った分は目減りした。この判決をはじめ、以下に挙げる下級審判決(さいたま地裁、東京地裁)の引用は、国交省のサイトに載っている弁護士のレジュメ経由で確認した二次情報である。
ところが、ふすまはこの計算の外に置かれている。ガイドラインは襖紙や障子紙、畳表について、「消耗品としての性格が強く、毀損の軽重にかかわらず価値の減少が大きい」ことを理由に、経過年数を考慮しないとしている。消耗品という扱いの背景には、税法の考え方がある。使用可能期間が1年未満、または取得価額が10万円未満のものは消耗品として、減価償却ではなく必要経費で処理できる、とガイドライン自身が括弧書きで添えている。
つまり、こういうことになる。10年住んだ部屋のクロスは、償却が済んでいて残存価値が1円になっている。同じ部屋の同じ10年を過ごしたふすま紙には、その目減りがない。毀損させたと判断されれば、張替え費用がそのまま乗る。理屈としては通っている。ふすま紙は最初から消耗品で、新しくても古くても、破れれば張り替えるしかない。ただ、住んでいる側の実感からは遠い。年数が経てば負担は軽くなるはずだ、という感覚は、ふすまに関しては当てにならない。
負担の単位も違う。ガイドラインでは、ふすまは1枚単位で借主の負担を考える。色や模様を合わせるために部屋全体を張り替える場合でも、借主負担は1枚単位で、工事の実態は部屋全体の枚数になることがある、と併記されている。
紙と骨は、別に扱われている
もう一つ、紙と骨の話がある。ガイドラインの別表では、襖紙・障子紙と、襖・障子などの建具部分、柱は、別の行に書かれている。紙は消耗品なので経過年数を考えない。建具部分と柱も、原則として経過年数を考えない。ただし考慮する場合は、その建物の耐用年数で残存価値が1円になる直線を想定して負担割合を出す、という但し書きが付く。国交省の参考資料に抜粋された建物の耐用年数は、木造で22年、鉄筋コンクリート造で47年だ。
引手を外す、枠を塗るといった作業は、紙ではなく、この骨のほうに触れる。紙の勘定と骨の勘定は、書かれた行が別で、骨のほうには、年数で減らす道が理屈の上では残されている。
「原状」は、借りた当初の状態のことではない
もう一つ、語の意味の方を確かめておきたい。原状回復の「原状」を、借りた当初の状態に戻すことだと受け取っている人は少なくないと思う。自分もそう思っていた。LIFULL HOME'Sが2023年12月に行った調査(5年以内に賃貸から引っ越した1,075人)でも、原状回復を「借りた当初の状態に戻すこと」と答えた人が最も多く、48.2%。正しく理解していた人は42.7%だった。
ガイドラインの言い方は逆である。原状回復とは、賃借人が借りた当時の状態に戻すものではない、とはっきり書かれている。Q&A(Q5)にも、契約書に「原状回復をして明け渡し」とあっても、賃借人が入居時の状態に戻すということではない、と書かれている。定義は、賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること。通常の使用による分は入れていない。
裁判所の言い回しは、少し違って聞こえる。さいたま地方裁判所が平成25年9月27日に出した判決は、賃借人の義務は「通常磨耗分を除き賃借人の入居時の状態に復させる義務に過ぎない」という理解を示している。「入居時の状態」と言っても、「通常磨耗分を除き」という条件が付く。貸主側は退去後の見積書をもとに、フローリングの張替え費用を1平方メートルあたり1万5000円と主張した。裁判所はこれを採らず、入居の前に行われた張替えの費用、1平方メートルあたり9000円を基準にし、そこから、入居前の張替えから約2年10か月、建物の耐用年数27年を踏まえた減価割合1割を控除して、3平方メートルぶんの2万4300円を負担すべき額とした。物差しになったのは、退去後の見積もりの単価ではなく、入居前に実際にかかった費用である。
ふすまに当てはめると、少し妙な形になる。経過年数は考慮されない一方で、通常の使用で生じる変化は、そもそも戻さなくてよい。住んでいるあいだに日焼けして色が褪せたふすまを、入居時の真っ白な紙にして返す必要はない。日焼けは、通常の使用で生じる変化だからだ。この二つは矛盾しているようでいて、負担割合の計算と、戻すべき水準の設定という、別々の話をしている。
ただし、この線引きは思ったほど硬くない
とはいえ、これを「ふすまは何かあれば必ず全額」と読むのも正確ではない。
最高裁判所が平成17年12月16日に出した判決の事件では、争われた負担区分表に、襖紙・障子紙が名指しで書かれていた。手垢の汚れ、タバコの煤けなど生活することによる変色を含む汚損は、退去者の負担。借主は、この区分表の内容を理解している、という書面まで出していた。それでも最高裁は、通常損耗を借主に負わせる特約は成立していないとした。通常損耗の回復費用は賃料に含まれて回収されているのが通常で、それを借主に負わせるのは予期しない特別の負担になる。だから、少なくとも、負担する範囲が契約書の条項自体に具体的に明記されているか、そうでなければ、貸主が口頭で説明し、借主がその旨を明確に認識して合意の内容としたと認められるなど、特約が明確に合意されていなければならない、という理屈だ。襖紙はそこに並ぶ項目の一つにすぎないが、「ふすまは借主負担」と書いてあれば足りる、という話ではないことは分かる。
裁判例は一方向に揃っていない。前橋簡裁が負担を否定した一方で、東京地方裁判所は平成28年12月20日に、経過年数を超えた壁クロスについて、張替費用1万7000円のうち8500円(税抜)を賃借人の負担として認めている。ガイドライン自身も、経過年数を超えた設備等であっても善良な管理者としての注意義務は負っており、修繕工事に伴う負担が必要になることはあり得る、と書いている。フローリングでは、先に触れたさいたま地裁の判決が、3平方メートルの部分張替えで減価を入れている。ガイドラインはフローリングなどの部分補修では経過年数を考慮しないとしており、弁護士のレジュメは、これを原則から外れた例として挙げている。経過年数を考えない部位でも、裁判所が考えた例はある、ということだ。
ふすまの側にも逆向きの含みがある。Q8は、賃貸借契約期間が長期に及び、その間に一度も貸主による交換が行われていない場合には、通常使用でも相当の損耗が発生するので、賃借人の負担で張り替えるべき毀損なのかどうかを協議してはどうか、と書いている。川口簡易裁判所が平成19年5月29日に出した判決(ガイドラインの事例26)は、18年以上住み、その間に内装の修理や交換が一度もなかった部屋で、タバコのヤニで黄変した襖を「時間の経過に伴って生じた自然の損耗・汚損」とした。経過年数を負担割合の計算には使わないが、そもそも毀損に当たるかどうかの判断には効いてくる、と読める。
2011年の再改訂のときのパブリックコメントには、襖紙で経過年数を考慮しない扱いについて、意見が4件寄せられ、削除を求める意見もあった。国交省は扱いを維持したうえで、貸主が必要経費として処理し、貸主負担としているケースも多い、と答えている。国交省の別の資料にも、居住年数が長い借主には消耗品の原状回復を免除する実務もある、と書かれている。
ガイドラインは基準であって法律ではない。令和2年4月1日に施行された改正民法621条で、賃借人が原状回復義務を負う損傷から「通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化」を除くことが明文化された。ただ、国交省自身は、これは判例法理を明文化したもので、これまでのルールを変えるものではない、と説明している。
「失敗」という語が、賃貸では二重になっている
ここまで調べてから、この作業について検索されている言葉を眺め直すと、少し見え方が変わる。検索の候補に出てくる言葉の一つに「襖 リメイク 失敗」がある。
失敗という語には、二つの意味が重なっている。ひとつは見た目の失敗。シワが寄る、柄が合わない、枠だけ浮く。もうひとつは、退去時に請求される、という意味での失敗だ。前者は、実のところ大した問題ではない。モールディングで縁取れば隠せるし、隠せなくても自分の部屋である。後者は隠せない。しかも、後者の判定は自分では下せない。貼ったものが原状回復の範囲内なのかどうか、最初に判断を示すのは、退去の立会いに来る相手である。
ただ、数字で見ると、ふすまは争いの主役でもないらしい。国交省が令和4年に管理会社へ行ったアンケートで、トラブルになりやすい部位を複数回答で挙げた437件のうち、建具(襖、障子)を挙げたのは17.8%。クロスは73.5%、フローリングは52.4%だった。原状回復の相談そのものは多く、国民生活センターの集計(PIO-NET)では、2025年度に14,711件にのぼる。部位別の内訳は確かめていない。ふすまは、トラブルになりやすい部位として挙がる割合が低いようだが、その勘定の仕方は、他の部位と違う。
作業をしている最中に意識されるのは、ほぼ見た目の失敗だけだ。空気を抜くのに集中しているとき、数年後の立会いのことは考えていない。二つの「失敗」は、意識に上る時期がずれている。
争いになる場所が、作業から離れている
ガイドラインという文書がそもそも作られたのは、この種の話が繰り返し揉めるからだ。揉める場所を見ていくと、作業の巧拙とはあまり関係のないところに集まっている。
ここまで挙げた裁判例はどれもDIYの事件ではなく、争点は貼り方ではない。何年住んだか、入居時どういう状態だったか、見積書のどの単価を採るか。前橋簡裁の件では8年以上という居住年数が、さいたま地裁の件では入居前の張替え費用が1平方メートルあたり9000円だったことが、結論を決めている。つまりこの二つの件で結果を左右しているのは、居住年数や入居前の張替え費用といった、退去のときに残っている記録の方のようだ。
ガイドライン自身が、入居時と退去時に双方が立ち会い、チェックリストを使い、写真を撮って確認することを、トラブルを避ける方法として勧めている。国民生活センターが2023年2月に紹介した事例には、20年以上住んだ人が退去時に、入居前からあったと本人が言う壁や襖などの傷を、業者に最近付いた傷だと強い口調で言われ、反論できなかった、というものがある。入居時の写真がなく、入居前からあったことを示せなかった。
この非対称は、DIYを始める側の関心とずれている。貼る前に調べるのは、たいてい素材と手順だ。入居時の状態がどう記録されているかを確かめてから貼り始める人は、あまりいないと思う。自分もそうだった。
引手を外した時点で、作業の性質が変わっている
工程の話に戻る。引手はマイナスドライバーを差し込んで少しずつ浮かせれば外れる、と書いた。アサヒペンの手順では、インテリアバールで持ち上げ、出てきた釘を鋲抜きで抜くことになっている。引手は釘で留まっている、ということだ。実際そのとおりなのだが、この一手には見た目より大きな意味がある。
シートを表面に貼るだけなら、それは表面の処理である。引手を外した瞬間に、作業は分解になる。分解したものは組み直さなければならず、組み直した結果は元と同じとは限らない。釘の穴は同じ場所に戻るか、引手まわりの木は割れないか。ここは、先に見た骨の勘定の側に触れる作業でもある。
そして厄介なことに、引手を外す工程は、いちばん「うまくいった」感触を伴う。固かったものが外れると、作業が前に進んだ実感がある。実感の大きさと、後戻りのしにくさが、同じ方向を向いている。
マスキングテープという方法が、何を賭けているのか
下地に幅広のマスキングテープを貼ってから両面テープで固定する。この方法を選んだのは、剥がせるようにしておきたかったからだ。よく紹介されている手でもある。
ところが、壁紙やリメイクシートを売っている販売店の公式な解説には、これと逆のことが書いてある。「原則、ふすまをDIYして原状回復する方法は無い」。紙製のふすま紙に貼ったマスキングテープですら、剥がすと表面が傷つく、と写真つきで示している。ただし、下のふすま紙の表面がビニールやコーティングされたものなら、両面テープの接着部分をマスキングテープで覆っておくことで、原状回復できる場合がある、とも書いている。つまり、剥がせるかどうかを分けるのは、貼る側の素材よりも、下にあるふすま紙が紙なのかビニールなのかだ。これは販売店自身の見解で、試験データではない。ただ、自分の方法の弱いところを、そのまま突いている。
この方法がうまくいったかどうかは、剥がすときにしか分からない。そして剥がすのは退去のときで、そのときにはもう選び直せない。検証の機会と、判断の機会が、数年ぶん離れている。しかも判定の場に、相手は中立の立場では立っていない。剥がしてみて下地が持っていかれたとき、それが経年変化なのか毀損なのかを議論する相手は、費用を請求する側である。技術的な問題として始まった話が、最後は交渉になる。
先に「保証できない」と書いたのは正直なつもりだったが、いま読み返すと、保証できないことの中身をあまり考えていなかった。分からない、というより、確かめたときには手遅れである、という種類の分からなさだ。
それでも同じ方法を選ぶかと問われれば、たぶん選ぶ。ただ、選ぶ理由は「剥がせるから」ではなく、「剥がせる見込みに賭けてでもやりたかったから」の方が正確だろう。前者は技術的な判断で、後者はそうではない。
枠の色を変えるかどうか、という問題
作業の話として、もう一点だけ残しておきたいことがある。部屋に立てて眺めると、印象を決めているように見えたのは、貼った紙ではなく枠の色だった。
ふすまは面積のほとんどが紙なので、紙を選ぶ作業に時間をかけたくなる。ところが実際に部屋に立てて眺めると、目に入るのは輪郭の方である。明るい紙に黒い枠が回っていると、紙がどれだけ現代的な柄でも、和室という宣言だけが先に届く。
枠を塗るか塗らないかで、作業の性質がほとんど別のものになる。塗れば印象は変わるが、可逆性は失われるはずだ、と考えていた。ただ、これも先の販売店の見解は逆向きで、枠の原状回復を希望する場合は、マスキングテープで覆ってから塗るよう案内している。公的な資料には、枠を塗った場合の退去時の扱いを直接述べたものは見つからなかった。国交省のDIY型賃貸借のガイドブックには、壁にペンキを塗った場合など、住宅と分離できない部分は貸主の所有になるという整理が出てくるが、これは貸主の承諾を得て行うDIY型の契約の話だ。国のひな形である賃貸住宅標準契約書の第8条2項には、模様替えには貸主の書面による承諾が要る、とある。ふすまにシートを貼ることがこの模様替えに当たるのかどうかは、資料にない。
自分は塗らなかった。理由は賃貸だからというより、単に紙を貼り終えた時点で満足してしまったからで、判断というほどのものではなかった。結果として、枠については可逆性が保たれたが、保たれたのは偶然に近い。
後から考えると、順番が逆だったのだと思う。枠をどうするかを先に決めていれば、それに合う紙を選べた。紙を先に選んだので、枠は紙に合わせるしかなかった。合わせるところまで考えが及ばないまま、満足して止めたのだと思う。面積の大きい方から決めたくなるが、印象を決めているのは細い方だった。
剥がせる見込みに賭ける、という選択の心理
作業のあいだ、頭の中で何が起きていたのかも、少し考えておきたい。
剥がせるかもしれないから貼る。この「剥がせるかもしれない」という見込みは、人の満足にどう効くのか。心理学者のギルバートとエバートが2002年に報告した実験が、近いところにある。ハーバード大学の学生に白黒写真を現像させ、気に入った1枚を手元に残し、もう1枚を手放してもらう。手放す写真を選ぶ前に、半分の学生には「あとで気が変わったら交換できる」と伝え、残りの半分には「今夜発送するので交換できない」と伝えた。数日後、手元の写真への好みが最初より大きく伸びたのは、交換できない条件の学生のほうだった(除外後の人数は13人と12人で、p=.03)。しかも、交換できると言われた学生のうち、実際に交換を望んだのは1人だけだった。選べる余地は、使われないまま、気に入っていく伸びだけを抑えていた、という結果になる。
この実験が教えてくれることには、範囲がある。気に入り具合の差は、交換の期限が切れたあとにも残ったが、その差は p=.06 で、有意傾向にとどまる。原著者自身が考察で、住む場所のように、事前には分からないことが多い選択では、変更できることが満足を高めるかもしれない、と書いている。総説は、この分野の研究の多くで、取り消せる期間が実験1回分の時間を超えないことを、限界に挙げている。それに、実験の「変更可能」は二つの写真を取り替えられることで、貼ったものが剥がせることとは別物だ。ふすまのシートを剥がせる見込みが、同じように満足を削るのかどうかは、確かめられていない。
それでも、一つだけ言えることがある。退去までの数年は、実験の数日とは時間の桁が違う。その間、自分は「剥がせるかもしれない」という余地を持ち続けたまま部屋で暮らす。余地が満足を削るのか、むしろ安心を支えるのかは、この記事を書いている時点では分からない。
最初の言葉を、読み直しておく
この記事の冒頭で、自分でやったのは安く済ませたかったからというより、部屋の一部に自分の手を入れてみたかったからだと思う、と書いた。
調べたあとで読み返すと、この一文には前提が一つ抜けている。賃貸の部屋は、手を入れる対象としては借りているだけの物である。「自分の手を入れる」という言い方が成り立つためには、そこが自分の部屋だという感覚が要る。そして原状回復という仕組みは、借りた物に手を入れることに、承諾と後始末の勘定を付ける形で組まれている。
数字を一つ置いておく。リクルート住宅総研が2010年に行った調査(東京圏2,000人、ニューヨーク750人、ロンドン500人、パリ500人)で、賃貸に入居してから模様替えも改修も何もしていない人は、東京で47%。ニューヨークは13%、ロンドンは21%、パリは9%だった。前の賃貸を出るときに戻った敷金は、東京で平均42.3%で、31.0%は1円も戻っていなかった。ニューヨーク、ロンドン、パリの平均は72〜79%。2010年の調査で、2011年のガイドライン再改訂や2020年の民法改正より前のものだから、今の実態として読むべきではない。調査を整理した研究者は、東京の原状回復のルールが住まいへの関与を遠ざけている可能性を指摘しているが、因果関係を示したものではなく、著者の推測だ。
勘定が付いているのに感覚の方は消えない、というのが、たぶん実際のところだ。数年しか住まない部屋のふすまを、休日をつぶして貼り替える。合理的な説明はつかないが、やった側の実感としては、そうせずにいられなかった。
ガイドラインを読んで変わったのは、この割り切れなさを、費用の見積もりとして扱えるようになったことくらいだと思う。シートがきれいに剥がれれば問題にならない。下地が持っていかれたら、そのときに場合によっては払うことになる。
表具師が売っているのは、貼る技術ではないのかもしれない
仕上がりだけを比べれば、表具師の仕事に敵うわけがない。継ぎ目の処理も、素材の選び方も、場数の差はそのまま結果に出る。
ここまで書いてきたことを踏まえると、その差の中身も少し具体的になる。プロに頼んだ場合、いま挙げてきた不確かさのうち、施工に関わる分は向こう側に移る。下地をどう扱うか、どう貼るか。その結果を引き受けるのは施工した側だ。ただし、退去のときに貸主との間で勘定を負うのは、頼んだ借主のままである。1面あたり数千円(普及品の場合)という金額を、貼る作業の対価として見ると割高に感じることがある。判断と、その判断が外れたときの責任を含む値段として見ると、印象が変わる。自分でやるとき安く済んでいるように見えるのは、この部分を計上していないからだ。
もっとも、こう書くと外注を勧めているようだが、そうでもない。引き受けた不確かさは、そのまま自分の部屋についての知識になる。どこが浮きやすいか、どの枠が外れるか、次に触るときには分かっている。それは金額に換算されない代わりに、誰かに移すこともできない。この移し替えは完全でもない。表具師に頼んでも、どの紙を選ぶかは施主が決める。選んだ紙が数年後にどう見えるかまでは、向こうも保証していない。移せるのは施工に関する不確かさで、好みと、退去時の勘定は手元に残る。
それでも、自分でやる意味は消えない
その意味は、たぶん出来上がりの完成度とは別のところにある。何かに自分の手を入れたという記憶は、業者に頼んだ仕事には残らない。ふすま一枚が変わると、次は照明やラグにも手を入れたくなる、というのも、単にそのことの続きなのだろう。
この「次も手を入れたくなる」という感覚については、傷んだ家具を直したくなる理由を調べたときにも同じ場所に行き当たった。手をかけたものへの評価が上がるという現象は、それなりに確かめられている。ただ、確かめられているのは評価が上がることまでで、上がった評価が正しいかどうかは別の話になる。
もっとも、これは「DIYのほうが良い」という結論ではない。時間がない、失敗を取り返す余裕がない、そういう状況では素直にプロに頼む場面もあるだろう。ただ、ふすまという普段は専門家の領域とされているものに、自分の手が届く余地があると知ったこと自体は、悪くなかった。その余地の大きさが、持ち家か賃貸かでずいぶん違うことも、調べてみて分かった。持ち家なら、失敗は見た目の話で終わる。賃貸では、そこに数年後の勘定が乗る。同じ作業なのに、賭けているものが違う。
出典
- 国土交通省住宅局「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)」平成23年8月(本文、別表、Q&AのQ1・Q5・Q8、事例26)。
- 久保田和志「『原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)』について 2024年度版」(国土交通省サイト掲載のレジュメ)。前橋簡易裁判所 平成31年2月4日判決、東京地方裁判所 平成28年12月20日判決、さいたま地方裁判所 平成25年9月27日判決は、判決原文に当たれず、この資料の引用により確認した(二次情報)。
- 最高裁判所第二小法廷 平成17年12月16日判決(平成16年(受)第1573号)判決全文。
- 国土交通省住宅局「賃貸住宅標準契約書」(第8条2項)、同「DIY型賃貸借に関する契約書式例及びガイドブックについて」平成28年4月。
- 国土交通省「民法の一部を改正する法律(賃貸借関係)」パンフレット(令和3年7月更新)。民法第621条、民法の一部を改正する法律(平成29年法律第44号)附則第34条。
- 国土交通省住宅局参事官「参考資料」令和5年3月(管理会社へのアンケート、令和4年実施、回収691件)。同「『原状回復をめぐるトラブルとガイドライン(再改訂版)』に関する意見募集について(主な意見)」。
- 独立行政法人国民生活センター「原状回復」に関する相談の件数(PIO-NET)、および2023年2月発表の事例。
- LIFULL HOME'S「退去費用は入居者負担?間違えがち項目ランキング」2024年(調査は2023年12月、有効回答1,075人)。
- 国土交通省大臣官房官庁営繕部「公共建築工事標準仕様書(建築工事編)令和7年版」16章7節(表16.7.3、表16.7.7、表16.7.10)。
- アサヒペン公式ページ「EXアイロン貼りふすま紙」「シールタイプふすま紙」「水で貼れる鳥の子ふすま紙」、およびよくある質問集と貼り方の手順。
- 壁紙屋本舗 公式解説「和室を洋室風にアレンジできる!ふすまリメイクシート」「パッチワーク壁紙Hattanを使ってふすまをリメイク」「ふすまの見分け方」、およびよくあるご質問(販売店の見解であり、試験データではない)。
- 岡山大学文明動態学研究所『旧永瀬家住宅襖下張り文書目録』2024年3月。
- くらしのマーケット掲載の各張替え店の料金表(店の自己申告)。公的機関・業界団体による襖張替えの標準料金は見つからなかった。
- Gilbert, D. T., & Ebert, J. E. J. (2002). Decisions and revisions: The affective forecasting of changeable outcomes. Journal of Personality and Social Psychology, 82(4), 503–514.
- Bullens, L., & van Harreveld, F. (2016). Second thoughts about decision reversibility: An empirical overview. Social and Personality Psychology Compass, 10(10), 550–560.
- 阿曽香(リクルート住宅総研)「東京圏賃貸住宅生活者の実態」2010年11月、島原万丈「入居者の暮らしから見える、日本の賃貸住宅の課題」『都市住宅学』77号(2012年)。
なお、ここに書いたのは一般的な基準の紹介であって、個別の契約や状況についての助言ではない。ガイドラインは法律ではなく、契約内容や締結時期によって扱いは変わる。
