誰の役にも立たない趣味について
靴を磨く、刃物を研ぐ、ただ火を見る。生産性のかけらもない趣味に、なぜか惹かれる理由を考えてみる。
靴を磨くことに、実用上の意味はほとんどない。誰も見ていない足元に、休日の三十分を使う。それでも、磨き終えた靴を眺めていると、頭の中の雑音が少し静かになっているのに気づく。
効率やコストパフォーマンスという物差しで見れば、こういう趣味はどれも分が悪い。ソロキャンプに行くために道具を揃えても、火が思うようにつかず、結局スマートフォンで焚き火のコツを調べてしまうことがある。フライフィッシングのために道具を十数万円分揃えたのに、休日の朝四時に起きるのがつらすぎて、半年でほとんど使わなくなったという話も聞く。生産性の物差しで測れば、どれも失敗の部類に入るのだろう。
ただ、その「うまくいかなさ」自体が、この手の趣味の中身のような気もしている。革を縫って財布を作れば、市販品より分厚くて使いにくいものができる。それでも一度手を動かしてしまうと、その不格好さを含めて手放しがたくなる。効率を求めて始めたわけではないので、効率が悪いことに苛立つ理由もない。
手入れという行為にも、似た性質がある。新しいものを次々買い替える方が、単純には合理的だ。それでも、使い込んだ道具を手入れして長く使うことには、消費とは別の落ち着きがある。深夜、台所で包丁を研ぐ。シュッ、シュッという音だけが響く部屋で、切れ味が戻ったことをトマトを切って確かめる。それだけの行為だが、それで十分だと思える瞬間がある。
こうした趣味を記録に残すこともある。誰かに見せるためではなく、自分が数日前の感動をすぐに忘れてしまう生き物だからだ。「ソロキャンプに行った」という事実そのものより、「夜明けのコーヒーが妙な味だったが、それが悪くなかった」というような、些細な感覚の方を書き留めておきたくなる。読み返しても誰の役にも立たないが、それでいいのだと思う。
「男らしい趣味」というラベルに、実はそれほど意味はないのかもしれない。ただ、社会的な有用性から意図的に外れた時間を、誰にともなく確保しておくこと。その姿勢だけは、性別に関係なく、誰にでも当てはまる話だという気がしている。
