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30代になって、趣味を「記録したくなるもの」で選び始めていることに気づいた
忙しい30代が趣味を探すとき、つい「記録に残るかどうか」を基準にしてしまう。その基準は本当に趣味を選ぶための軸になるのか、一度立ち止まって考えてみる。
30代になってから、新しく何かを始めるとき、無意識のうちに「これは後で振り返れる形で残るだろうか」と考えている自分に気づいた。コーヒー豆の産地をメモする。サウナに行った日をアプリに記録する。植物の成長を写真に撮る。趣味そのものより先に、その記録の仕方を考えている。
これは便利なようでいて、少し引っかかる癖でもある。記録に残しやすいものを無意識に選んでいるとしたら、それは趣味を選んでいるのか、記録の題材を選んでいるのか、区別がつかなくなる。
忙しさが基準を歪める
30代は仕事や家庭の責任が増える時期で、自分のための時間は確かに減る。だからこそ「準備コストが低いこと」を趣味選びの条件にしたくなる気持ちは分かる。スマホを開いて数分で始められるもの、玄関を出てすぐ始められるもの。これ自体は悪くない基準だと思う。
ただ、そこに「記録に残したくなるか」という条件を足すと、少し違う話になる。準備コストの低さは、続けやすさに直結する実用的な話だが、記録に残るかどうかは、本来趣味の良し悪しとは関係がない。それでも両者が一緒くたに語られるのは、記録すること自体が、忙しい日々の中で「自分の時間を持てた」という証明のように機能しているからだろう。
記録は目的ではなく副産物のはずだった
コーヒーを丁寧に淹れる時間、サウナで頭を空にする時間、植物の世話をする数分。これらの価値は、体験そのものの中にあったはずだ。それを記録するかどうかは、あとから決めればいい話で、記録すること自体が体験の価値を作っているわけではない。
それでも記録を先に意識してしまうのは、忙しい毎日の中で「今日、自分のために何かをした」という手応えを、体験の記憶だけでは信じきれなくなっているからかもしれない。記録という形にしないと、忙しさに押し流されて、その時間があったことすら忘れてしまう不安があるのだと思う。
それでも、続けやすさは大事な話
記録への欲求は一旦脇に置くとして、忙しい人が趣味を続けるための実際的な工夫は、いくつかある。既存の習慣に紐づける。ハードルを極端に下げる。何かを始めるかどうかを毎回考え直さなくて済むように、決めごとにしてしまう。地味だが、これらは効果がある。
趣味を「人生の主役」だとか「聖域」だとか大げさに位置づける必要はない。ただ、忙しさの中でも続けられる形にすることと、それを記録に残す必要があるかどうかは、別の問題として分けて考えたほうがいいと思う。
