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30代、記録できるかで趣味を選ぶと楽しさは減るか
30〜34歳の平日に趣味をした人は23%で、した人の平均は3時間超。測ると楽しさが下がるという実験の数字を開き、反対側の証拠と並べて、記録で趣味を選ぶことの意味を考える。
記録に残るかどうかで、趣味を選ぶ人がいる
新しく何かを始めるとき、始める前から「これは後で振り返れる形で残るだろうか」と考えてしまう人がいる。たとえば、コーヒー豆の産地をメモする。サウナに行った日をアプリに入れる。植物の成長を写真に撮る。趣味そのものより先に、その記録の仕方を調べはじめている。
便利な癖に見えるが、少し引っかかる点がある。記録に残しやすいものを選んでいるのだとしたら、選んでいるのは趣味なのか、記録の題材なのか。区別がつかなくなる。そして、記録を前提にした時点で、その活動の楽しみ方のほうも変わってしまうのかもしれない。
この疑いに答える実験は、実際にある。測定すると、活動の量は増え、楽しさは下がる。それがよく引かれる結論だ。ただ、原典の数字を一つずつ開いていくと、「下がる」はそれほど確かではなかった。一方で、記録が続けることや達成を助けるという、反対側のデータもある。この記事は、その両側を並べて、記録で趣味を選ぶことが何を意味するのかを考える。
先に、30代の趣味の実態を数字で見ておく。
30代の趣味は、する日にはたっぷりする
総務省統計局の令和3年社会生活基本調査(2021年10月)で、30〜34歳の平日を見ると、「趣味・娯楽」の総平均は48分だった。ところが、平日にそれをした人は23.0%で、した人の平均は207分、3時間27分にのぼる。大半の人は0分だった。48分という平均は、しなかった人の0分と、した人の3時間あまりをならした数字で、典型的な一日の姿ではない。土曜日になると91分、日曜日は97分に増え、した人の平均はどちらも287分である。
では趣味を持たない人が多いのかというと、そうでもない。過去1年に何か趣味・娯楽をした人は、30〜34歳で93.1%、35〜39歳で93.0%。何をしたかの上位は、音楽鑑賞、映画(映画館以外)、スマホなどのゲーム、マンガの順で、写真の撮影・プリントは30〜34歳で31.7%(男性21.8%、女性42.0%)だった。記録や創作に近い項目は、詩・和歌・俳句・小説の創作が2.6%、絵画・彫刻の制作が4.3%、陶芸・工芸が1.6%と少ない。日記やブログ、SNSの書き込みという項目は、この調査には立てられていない。
平日の趣味の時間は、生活条件で大きく変わる。仕事をしている30〜34歳の男性で、平日の趣味・娯楽の総平均は、未婚で76分(した人の割合34.0%)、有配偶で35分(18.1%)。同じ年代の同じ有業者の男性で、半分以下になる。有配偶の男性は仕事の時間も長い(542分、未婚は487分)。差には、育児(33分)のような家庭の事情だけでなく、働く時間の違いも重なっている。女性は、仕事をしている30〜34歳で未婚が38分、有配偶が19分。末子が就学前の有業の妻(年齢は30代に限らない)では、趣味・娯楽が9分、育児が187分、家事が155分だった。
これらの表に因果は読めない。配偶者や子どもがいるから趣味の時間が減るのか、年齢や働き方の違いが重なっているのか、分けることはできない。ただ、「30代は趣味が減る」と一括りにするより、「30代のうち誰が、いつ、どれだけ使えるか」と問うほうが数字には近い。平日の夜に使える時間を数えた話は、別の記事に書いた。
もう一つ。過去1年に写真の撮影・プリントをした人は、仕事をしている30〜34歳の男性で、未婚15.0%、有配偶28.7%とほぼ倍になる(平日1日ではなく、1年の話である)。記録する機会の一部が、生活の出来事の側から来る、という見方と矛盾しない程度の差だが、因果は分からない。
測ると量は増える。楽しさの差は、5%の線の手前だった
記録の影響を調べた研究として、最も引かれるのが、2016年のジョーダン・エトキンによる実験だ。六つの実験を通して、測定が活動の量を増やし、活動の楽しさを下げると主張している。以下は、著者の受理原稿で確認した数字である。
最初の実験は、学生105人が10分間、図形に色を塗る作業をした。測定条件では画面に塗った数が表示され、統制条件では何も表示されない。塗った数は、測定条件が平均8.68個、統制条件が6.91個。数が見えると多く塗る、という部分はそのまま出ている(p=.010)。
楽しさは逆を向いた。5項目・7段階の評価で、測定条件が4.63、統制条件が5.13。ところが、この差の検定は p=.062で、慣習的な5%の線には届いていない。p=.010 は塗った数の検定であって、楽しさのものではない。0.5点の差は仮説と同じ向きだが、偶然のばらつきでも生じうる範囲を出ていない、という読み方が正確だ。
著者はこれを補うために、実験を重ねている。統制群にも「ランダムな文字が一枚ごとに変わる」操作を加え、注意が散ることの影響を外した追加実験(160人)では、楽しさの差は p=.014になった。歩数計を使った現場の実験(学生95人。測定条件は歩数計をつけるかを本人が選び、4人が断った)では、測定条件の楽しさが4.82、統制条件が5.33(p=.030)。歩数計を見てもよいと伝えるだけの任意条件を設けた実験(学生100人)では、実際に見た人は71.4%で、楽しさは測定条件が4.47、任意条件が4.43、統制条件が5.21だった。強制的に測らなくても、見られる状態にしただけで、同じ向きの差が出ている。
著者の説明は、測定が出力に注意を向けさせ、活動を遊びから仕事に変える、というものだ。実験では「歩くのは仕事か遊びか」という質問の回答が、測定の影響を媒介していた。たとえば歩数計を見て「いま何歩か」を確かめるたびに、歩くことが、数を積み上げる作業に近づいていく、というのが私の読みだ。著者は、この測定を、目標までの残りを知らせるフィードバックとは区別していて、歩数計の実験でも目標は与えていない。目標を与えたときの結果は、後で出てくる。
さらに踏み込んだ結果もある。読書の実験(MTurkの米国成人236人)で、測定のページ数表示を途中で外し、読み続けてもらった。外したあとの2分間に読んだページ数は、測定を受けていた群が3.75、統制群が4.20(p=.034)。別の読書実験(学生66人)では、ページ数を見たければ見られる群(93.9%が実際に見た)と、見られない群を比べ、読み続けるかどうかを選ばせた。読み続けると答えたのは、見られる群が27.3%、見られない群が48.5%だった(p=.041)。測定されていた時間の楽しさだけでなく、そのあとの行動にも影響が残っていた。
ここまで読むと「記録は趣味を壊す」と言い切りたくなるが、見える範囲は限られている。参加者は学生とオンラインの回答者で、活動は数分から10分程度の作業か、長くても一日の歩行までである。数年続ける趣味とは間が空いている。p値の多くが.05の近くに集まっている。事前登録の記載は、受理原稿に見当たらなかった。独立の追試は、検索した範囲では見つからなかった。「追試で否定された」とも「追試で確かめられた」とも書けない。著者の6実験と補足のデータがあるだけ、というのが現状だ。
測っても楽しさが下がらなかった条件
エトキン自身が、測定が楽しさを下げない場合を示している。論文の導入にも「ときに(いつもではないが)」とある。
一つは、活動の枠づけだ。読書の実験(学生310人)で、枠を与えない群、「楽しいこと」として読ませた群、「勉強になること」として読ませた群を比べた。「楽しい」の枠では、測定の影響が出た(4.98対5.70、p=.022)。「勉強になる」の枠では、測定条件が5.57、統制条件が5.18と、差は消え、向きも逆になっている(p=.208)。最初から仕事や勉強のように捉えている活動なら、数を見せても、仕事に変わる余地がない。ただし、測らない群の楽しさは、枠なしで5.97、楽しいの枠で5.70に対し、勉強の枠では5.18と、枠をはめた時点で低かった。測っても下がらなかったというより、もともと低かったところから、それ以上は下がらなかった。
もう一つは目標の有無だ。補足の実験(300人)で、「できるだけ多く読んでください」と目標を与えると、測定の効果は逆転した方向に動いた(有意ではない、p=.079)。目標を与えない条件では、楽しさは下がった(p=.030)。数を見せる前に、数を伸ばす目的があるかどうかで、向きが変わる可能性がある。
著者はさらに、実務上の含みも書いている。人が自分のために楽しんでする活動は、測らないほうがよいのかもしれず、一度測り始めたなら、測り続けたほうがよいのかもしれない。測定を与えてから外すのが最も悪い可能性がある、と受理原稿は書いている。記録をやめれば元に戻る、という単純な話にはなっていない。外したあとも、読む量は減っていた。決められた時間を読んだあとで、読み続けるかどうかを選ばせた実験でも、ページ数を見られた群のほうが、読み続けると答えた人は少なかった。
記録は、続けることには効くという反対側
測定と楽しさの話から離れて、「進捗を記録すると目標に届くか」を調べたメタ分析がある。2016年のハーキンらによる、無作為割り付け研究138件(計19,951人。達成の分析は18,398人)の分析で、進捗の監視を促す介入は目標の達成を高めた(d+=0.40)。出版バイアスの補正を入れると、この効果は0.19に縮む。ただし著者は、研究間のばらつきが大きいデータではこの補正が効果を小さく見積もりうるという指摘を引き、出版バイアスの影響は深刻ではなく、控えめなものと解釈している。
内訳を見ると、行動を記録するだけの介入は行動を増やす(0.79)が、成果そのものへの効果ははっきりしない(0.14、区間は-0.18〜0.46)。成果を記録するほうは成果に効く(0.62)。論文は、減量したい人が間食の量を記録するか、体重を記録するか、という例でこの対応を予想していた。結果は、その予想に沿った並びだった。結果が公開される場合や、物理的に記録される場合に、効果は大きかった。
これは目標のある活動の話で、楽しさは測られていない。エトキンの実験と矛盾するわけではない。目標がある活動では測定の楽しさへの影響が逆向きに動き(有意ではない)、目標のない遊びでは楽しさが下がる、という補足データの読みとも並ぶ。
記録機器を足せば効く、ともかぎらない。過体重・肥満の18〜35歳を対象にした減量の無作為化試験(471人、解析は470人)で、6か月の時点から、一方はウェブ上の自己記録、もう一方はウェアラブル機器とウェブを使った。24か月後の体重減少は、ウェアラブルを加えた群が3.5kg、ウェブだけの群が5.9kgで、差は2.4kg(p=.002)。ウェアラブルを加えたほうが、減量は小さかった。比較は「記録なし」と「記録あり」ではなく、「ウェブでの記録」と「ウェアラブルを加えた記録」である点に注意がいる。24か月の追跡を終えたのは74.5%だった。
似た構図は、報酬の研究にある
エトキンは、報酬が内発的動機づけを損なう「過正当化効果」の研究を引いて、測定にも似た効果があると位置づけている。測定は報酬ではないが、構図は近い。
古典は1973年のレッパーらの実験で、保育園の幼児51人が対象だ。普段から自由時間にマジックペンで絵を描くのを好む子を選び、6分間描いてもらう。「上手に描けたら賞状をあげる」と予告された群、予告なしに賞状をもらった群、賞のない群に分け、1〜2週間後の自由時間に、どれだけ絵を描いたかを観察した。描いた時間の割合は、賞を予告された群が8.59%、賞のない群が16.73%、予告なしにもらった群が18.09%。同じ賞でも、予告されていなかった子には影響が出なかった。害を生んだのは賞そのものではなく、「賞のために描く」という構図だった。
1999年のデシらのメタ分析(128実験)も、同じ区別を示す。報酬を事前に伝えられた場合、自由時間にその活動をする量は減る(有形の報酬でd=-0.36)。予期していなかった有形の報酬では、ほぼ変わらない(d=0.01)。課題の面白さを操作した研究のうち、自由時間の行動を測った11件に絞った補足の分析では、もともと退屈な課題で報酬の悪影響が出ず(d=+0.18、有意でない)、面白い課題では-0.68だった。もともと楽しくない活動なら、損なわれるものがない、ということになる。
これは測定ではなく報酬の研究で、測定が同じ機序で動くかどうかは、エトキンの実験が部分的に確かめているにとどまる。それでも、害の出る条件が「楽しいと感じている活動」「報酬や測定が予告されている」の側に偏っている点は、記録の話に引き寄せて読める。
写真や書く行為は、記憶と楽しさに何をするか
「記録」と一括りにしているが、写真を撮る、メモを書く、数字を記録する、では起きることが違う。写真の研究は、賛否が割れている。
記憶への影響は、撮影が不利に働くという結果が優勢だ。2014年のヘンケルは、美術館のガイドツアーで作品を撮影した場合と、観察だけの場合を比べた。作品全体を撮ると、観察だけの作品より、覚えている作品数や細部が少なかった。作品の一部にズームして撮ると、この低下は出なかった。2018年のソアレスとストームの実験では、学部生42人が絵画15枚を、観察、通常のカメラ、保存されないSnapchatで見た。細部のテスト成績は、撮影すると落ち、保存されないSnapchatのほうがさらに悪かった。学部生51人の別の実験でも、撮った写真をその場で自分で削除しても、観察のみより成績が低かった(d=0.61)。カメラに覚えておいてもらうから自分は覚えない、という外部化だけでは説明できない、と著者は結論している。
メモも例外ではない。2018年のタミールらの実験(研究1、382人)で、TED講演を見ながら考えを書き込んだ群は、頭の中で振り返るだけの群より、直後の記憶テストの成績が悪かった。書いた文章をあとで消すと伝えた群と、保存すると伝えた群のあいだに、違いはなかった。教会の見学ツアー(研究2、129人)では、1週間後の10問のテストで、対照群の平均が7.20、個人用に撮影した群が6.02、SNS投稿用に撮影した群が6.22。ただし、同じ研究で、楽しさの評価は条件間で差がなかった。
楽しさへの影響は、撮影で上がるという結果がある。2016年のディールらの論文は、現場実験3つと実験室実験6つで、撮影が楽しい体験の楽しさを高めることを示した。撮りたくなる対象への視覚的な注意が増え、体験への関与が高まる、という説明で、すでに十分没入している体験や、撮影が体験の邪魔になる場合には効果が出にくく、不快な体験では、撮影するとかえって評価が悪くなった。誰に見せるつもりで撮るかも効く。2018年のバラッシュらは、共有目的で撮ると、自分用に撮るより楽しさが下がることを報告している。2017年のバラッシュらの研究では、自由に撮影できた人は、撮影できなかった人より、見たものをよく覚えていて、聞いたものを覚えている量は少なかった。なお、ヘンケル、ディールら、バラッシュら(2017年・2018年)の4本は、抄録で確認した研究である。
ここから拾えるのは、「記録は体験を薄める」と一言では言えない、ということだ。何を、誰のために、どれくらい記録するか、で向きが変わりうる。
残した記録は、見返されているのか
記録には、あとで見返すという用途がある。ところが、見返されていない可能性が高い。2010年のセレンとウィタカーの論説は、デジタルの記録は保存されてもほとんど見返されないことを論じていて、家庭で大切な物を選ばせると、デジタルの物は2%未満だったという別の研究を引いている(論説が引く値で、引用元の中身は確認していない)。人は、デジタルの記録が正確で完全でも、自分で覚えていると思う内容には使わない、という報告も紹介されている。
記録機器の使用を中断する人は多い。2016年にエプスタインらが、身体活動や金銭、位置情報を記録していた193人(18〜63歳)に尋ねた調査では、やめた理由は手間、データの質への不満、結果を見るのがつらい、十分に学んだ、生活の変化など。記録が役目を果たしたからやめた、という声もあった。2015年のラザールらは、17人が自分で選んだ目標のために買った機器の約8割が、最初の2か月以内に使われなくなったと書いている。やめた理由の主役は、楽しさの低下というより、手間や、データが役に立たないという感覚だった。
「忙しい時期の記憶は実際に薄い」という説明は、記録の動機としてもっともらしい。これを直接示す一次情報は、調べた範囲では見つからなかった。近い研究は、方向がやや違う。2003年のアヴニ=バベドとリトフ(抄録による)は、ルーティンの時間は、あとから思い出すと短く見積もられることを示した。2021年のコサクとヒルベルトの調査(N=293、263、262)では、報告された出来事や記憶の数は、過去5年の流れの速さの判断を予測しなかった。示されているのは「時間が速く過ぎた感覚」の話であって、忙しいと記憶そのものが減る、とまでは言えない。
数えられるものを、選んでしまう偏り
数値のある側に選択が寄る、という実験はある。2024年のチャンらの研究は、21の事前登録実験で、どちらの属性を数値で示すかを無作為に変えると、人は数値で示された側が優れる選択肢を選びやすくなる、という「数量化への固着」を示した。ホテル選びの実験(1,000人)では、評価を数値で、価格を記号で示した条件では、高評価・高価格のホテルを選んだ人が51.6%。価格を数値で、評価を星で示した条件では33.0%だった。数値は比較しやすいので、選択が数値のある側に寄る、という機序で説明されている。
対象は選択肢の評価で、趣味の選択ではない。記録のしやすさで趣味を選ぶ偏りそのものを調べた実験は、調べた範囲では見つからなかった。類推として読むことになる。その前提で、記録しやすい趣味とはどんなものかを考えてみる。コーヒー豆の産地、サウナに行った日、植物の成長。どれも単位が最初から与えられている。産地は名前で、日付は数えられ、成長は前後の写真で比べられる。区切りがあるから、記録に乗る。
逆に、記録しにくい活動を考えてみる。ただ音楽を聴く。散歩の途中で立ち止まって空を見る。何をするでもなく手を動かす。回数を数えることはできるが、数えても何も表していない。記録を基準に選ぶと、こうした活動が先にふるい落とされる。落ちるのは価値の低いものではなく、単に区切りのないものだ。選んだ先でも測定が入るなら、二段階で効くことになるが、この二段階目の大きさは、前の節までの数字が示すとおり、はっきりしていない。
記録は、誰に向けた証拠か
他人に見せない記録の提出先は、自分である。自分が自分に、自分の時間を持てたことを証明している、と考えると、この行為の別の面が見える。たとえば、一日の終わりに何もしていない気がする人がいる。実際には風呂に入り、本も少し読んだのに、手応えが残らない。そこで記録を見返すと、確かに何かをした形跡がある。
この用途で効いているのは、記録の内容ではなく、記録が存在するという事実のほうだろう。だとすれば、体験の質を削ってまで詳しく残す理由は薄い、という論理になる。ただ、前の節で見たとおり、残した記録はあまり見返されない。後で見返すという予定が入っているのに、その予定は実行されにくい。使う予定のない備えを、整えている。備えること自体は悪くないが、備えのために差し出しているものがあるなら、その収支はどうなっているのか、という問いが残る。
始める前から記録の方法を調べるのは、別の形で効くかもしれない。豆を挽く前にメモアプリを選び、植物を買う前に撮影の角度を考える。準備には楽しさがあるし、準備だけで何かを進めた感触が得られる。その感触で満足すると、本体を始めないまま終わる経路もある。記録の方法を整える作業は、通勤中にもできるが、本体にはまとまった時間が要る。
記録は、書く行為そのものとは別の論点でもある。日記が続かない理由について書いたときは、書くという行為の側を見た。ここで問題にしているのは、書けるかどうかで先に対象を選んでいることのほうだ。測ること全般が悪いわけでもない。測れないものの扱いについては別の記事で書いている。
記録との付き合い方を、六つに分ける
ここまでの材料を並べ直す。ランキングではなく、それぞれが何に向き、何に向かないかの整理である。
記録しない
楽しさを守る可能性がある。エトキンの最初の実験では、測られなかった群のほうが、楽しさ(有意ではない)も絵の創造性の評価も高かった。弱みは、その時間があった痕跡が残らないこと。そして、測定を与えられてから外されるのが最も悪いかもしれない、という著者の見立てもある。始めないほうが、あとで外す心配はない。
数えない記録にとどめる
日付だけ、一言だけ、写真は一枚だけ。エトキンの実験が扱ったのは、塗った数や歩数のような、量の記録だった。日付だけの記録が同じ影響を持つかどうかは、確認できていない。量が出ない分、仕事に変わりにくいと推測はできるが、推測の域を出ない。ほとんど見返されないという前節の点を考えると、手間を減らす方向とは合う。
記録を活動の一部にする
書くこと、撮ることが、そのまま趣味になっている場合。仕事や勉強として捉えている活動では、測定の影響が消えた。ただしその枠では、測らなくても楽しさがもともと低かった。記録そのものを活動にしてしまえば、遊びから仕事に変わる余地が、もともと小さいのかもしれない。著者自身も、測定が活動に組み込まれている場合には動機を損ないにくいかもしれないと推測しているが、記録を活動にした場合を直接調べた実験は確認できていない。難点は、書く・撮るといった記録の行為が記憶を落とす実験が複数あること。体験を味わうのと、体験を書くのは、同時にはしにくい。
目標を立てて記録する
続けること、達成することが目的なら、進捗の記録は効く側のデータがある。138研究のメタ分析で達成が高まる。目標を与えると、測定の影響が逆向きに動いた補足データもある(有意ではない)。ただし、効果は補正すると小さくなる。そして、楽しむことが目的の活動に目標を持ち込むと、その活動の性格が変わる。何のための活動かによって、読むべきデータの側が変わる。
共有や公開の場に出す
公開される場合、進捗の記録の効果は大きかった(ハーキンらのメタ分析)。一方、写真の実験では、共有目的で撮ると、自分用より楽しさが下がった。続けることには効く側の知見と、楽しさに逆に働く側の知見がある。誰に見せるのかによって、向きが変わるらしい。
区切りを決めて記録する
期間を決めて記録し、終わったら振り返る。エトキンは、測定を与えてから外すのが悪い、と書いているので、区切りを最初から決めておけば外す不意打ちは避けられる、とは考えられる。ただし、これを検証した実験は確認できず、自分で試して読み取ることもむずかしい。同じ半年を二回過ごして比べることはできないし、結果を読む側は、良くなってほしいと思っている本人だからだ。
六つのうち、どれが正しいとは言えない。何を目的にした活動なのか、楽しさを守りたいのか続けたいのか、によって、読み方が変わる。
数字は、思ったより静かだった
記録は趣味を壊す、という物語は、わかりやすい。塗り絵の実験で、数を見せた群は多く塗り、楽しさは下がった。歩数計でも、読書でも、同じ向きの結果が出た。ただ、最初の実験では楽しさの差は5%の線に届かず、ほかの実験でもp値の多くは.05の近くにあり、独立した追試は見つからず、測っても楽しさが下がらない条件を、著者自身が示している。反対側には、進捗の記録が達成を助けるという、138の実験のメタ分析がある。
記録することが趣味を変えるかどうかは、何を、何のために、誰に向けて記録するか、で変わる。この問いは、記録したくなる自分に気づいた人にとっては、いくらか役に立つかもしれない。記録をやめるべきかどうかを決める材料としては、足りない。足りないことを、足りないと書いておく。
出典
総務省統計局「令和3年社会生活基本調査」(2021年10月)調査票A。生活時間編(第1-1〜1-3表、配偶関係別の第7表、ライフステージ別の第3表)は調査日の1日の行動、生活行動編(趣味・娯楽の種類別行動者率、第30-2表・第32-2表)は過去1年の行動で、設問が別。統計表(Excel)で確認
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