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ワイシャツ一枚に、2700リットルの水が眠っている

ワイシャツ一枚に、2700リットルの水が眠っている

コットン一枚を作るのに使われる水は、Water Footprint Networkの試算でおよそ2700リットル。だがその数字を知っても、リメイクの効果は思うほど大きくない。環境省の調査が示す「未着用のまま眠る139万トン」という別の数字と、着なくなったワイシャツを解体しながら向き合った記録。

TOMOAKI··趣味

クローゼットの奥で、そのワイシャツはずいぶん長く出番を待っていた。サイズは今も合う。染みも毛羽立ちもない。ただ、それを着て向かう先の方が、着る前に消えてしまった服だ。似たような経験を持つ人は少なくないと思う。服が傷んで捨てるのではなく、着る理由の方が先に傷む。

生地の厚みを指でなぞってみる。オックスフォードの織り目はしっかりしていて、ボタンにはわずかな貝の光沢が残っている。洗濯に耐え、皺になりにくく、清潔感を保つ——出社という前提のもとで選ばれていた基準が、そのまま生地の中に畳み込まれている。だから処分するのが少し惜しい、という気持ちは、思い出への感傷というよりは、品質に対する素朴な評価に近い。スーツにネクタイという格好を、なぜあれほど大勢が同じように選んでいたのか、理由を挙げろと言われると今はもう少し言葉に詰まる。それでも生地そのものの評価は、流行りが終わったあとも変わらず残る。

ワイシャツを部位ごとに分けて眺めた図。襟、袖口、背中、ボタン、裾がそれぞれ別の道具に変わる。

2700リットルという数字

ここで少し回り道をしたい。オランダの研究者Chapagain、Hoekstraらが2005年にまとめた水フットプリントの試算によれば、コットン250グラム分——ちょうどTシャツ一枚ぶんの生地を、灌漑から染色・仕上げまで積算して作るのに、およそ2700リットルの水が使われるという。ワイシャツはTシャツよりやや重いことが多いから、桁としては同じ範囲か、それ以上とみていい。つまり手元の一枚は、成人がおよそ二年半かけて飲む水の量に相当するものを、すでに静かに背負っている。

この試算には、もう少し生々しい続きがある。同じ研究者らが2005年に発表した別の分析によれば、1960年から2000年にかけて中央アジアのアラル海は、面積のおよそ6割、水量のおよそ8割を失った。原因は気候変動ではなく、注ぎ込む二本の川——アムダリヤ川とシルダリヤ川——の水が、綿花畑の灌漑用に上流で汲み上げられ続けたことにある。同じ試算は、EU25カ国の消費者が、自分では気づかないまま、このアラル海の縮小に約2割寄与していると見積もっている。手元の一枚が消費した水は、どこか架空の貯水池から引き出されたのではない。地図の上に、実際に縮んだ湖として残っている。

もう一つ付け加えておきたいのは、この水がどこで使われたかという地理の話だ。日本国内で流通する衣料品の大半は輸入品で占められており、綿花の栽培にいたっては、統計上の生産量がほぼ計上されないほど自給率が低い。江戸時代には国内でまかなわれていた綿花が、明治以降、より安価な外国産に置き換わっていった経緯があるからで、いま手元にあるワイシャツの繊維一本一本も、ほぼ例外なく海の向こうの畑から来ている。つまり2700リットルという水は、統計の上では「日本の消費」に計上されていても、実際に汲み上げられ、蒸発し、川から消えたのはよその国の土地からだ。自分の生活が、自分の目に入らない場所の水位に静かに接続されている——この距離感を意識するかどうかで、数字の重みはだいぶ変わってくる。

この数字を知ってから、リメイクを気軽に「エコな趣味」と呼ぶことに慎重になった。一枚を仕立て直したところで、すでに使われた水が戻ってくるわけではない。せいぜい、次に新しい一枚を買うタイミングを少し先へずらすだけの話だ。ただ、その「先へずらす」という消極的な効果を過小評価するのも、また違う気がしている。すでに支払われたコストを、もう少し長く働かせる——地味だが、それ以上でも以下でもない話として、リメイクを扱うくらいがちょうどいい。

「先送り」の効き目は、本当にあるのか

もっとも、この「先送り」という理屈自体、検算してみるとそこまで気前のいい話ではないとわかる。英国の廃棄物削減団体WRAPが2017年にまとめた報告書によれば、一着の服を平均寿命よりさらに9か月長く着るだけで、その服にかかる炭素・水・廃棄物のフットプリントはおよそ2〜3割減るという。逆に言えば、9か月という決して短くない延命でも、削減幅は半分にも届かない。服の環境負荷の大半は、着用中ではなく製造の段階で先払いされてしまっているから、あとからどう使い倒しても取り戻せる割合には上限がある。

ここで厄介なのは、ハンカチやコースターへの作り替えが、この「延命」に厳密には数えられない点だ。WRAPの計算が想定しているのは、同じ一着のシャツとして着続けることによる延命であって、シャツを解体して別の小物に変えることではない。もちろん、シャツの生地でハンカチを作れば、新しくハンカチを一枚買わずに済む——その分の水と繊維は確かに節約される。ただし、ハンカチ一枚を作るのに必要な生地はごくわずかだから、そこで浮く水の量は、シャツ一枚が背負っていた2700リットルからすればほんの端数にすぎない。数字を並べて自分を励ますなら、そのくらいの慎み深さは持っておいたほうがいい。

家庭に眠っている139万トン

では、リメイクという行為はいったい何に効いているのか。ここで角度を変えて、日本国内の数字を見てみる。環境省が日本総合研究所に委託して実施した2020年度の調査によれば、その年、家庭の中で一度も袖を通されないまま保管されていた衣類は、全国で推計139万トンにのぼる。これは同じ年に家庭から手放された衣類(75万トン)よりも大きく、実際に廃棄された量(51万トン)の倍以上にあたる。捨てられる服より、捨てられも着られもせず宙ぶらりんのまま棚に居座り続ける服の方が、量として多いということになる。

この宙ぶらりんの状態こそが、たぶん厄介の正体だ。着る理由を失った服は、罪悪感だけを静かに発生させながら場所を占有し続ける。手放すには忍びなく、着るには気が向かない——その中間で止まったまま動かない。リメイクは、この停止した状態に強制的に決着をつける行為として働く。水の量を減らすからではなく、判断を先送りし続けるという、もう一つの環境負荷とは呼びにくい負荷を解消するからだ。世界規模で見ると、この停滞はさらに大きな潮流の一部でもある。Ellen MacArthur財団が2017年にまとめた報告書は、一着の服が着られる回数の世界平均が、それ以前の15年間で36%も減った一方、衣料品の生産量は2000年比でほぼ倍増したと指摘している。作る量は増え、一着あたりの働きは減っている。手元のシャツを一枚仕立て直したところで、この巨大な潮流を押し返せるわけではない。それでも、自分の棚の上でだけは、その潮流に逆らう選択ができる——リメイクの効能は、たぶんそのくらいの規模で捉えておくのが正確だ。

アップサイクルという行為が、モノへの愛着や、他の持ち物を長く使おうとする態度にまで波及するかどうかは、研究者たちの間でもまだ手探りの段階にある。Sung、Cooper、Kettleyらが2015年にまとめた探索的な調査は、個人がアップサイクルに取り組む過程で、対象への理解が深まり、愛着が育ち、その結果として物を長く使う傾向が強まる可能性を示唆している。ただしこれは少人数を対象にした予備的な研究であって、断定できるほどの規模ではない。針を持てば誰もが物持ちのいい人間に変わる、というほど話は単純ではないだろう。それでも、手を動かした経験が次の判断に何かしらの影を落とすという実感は、この手探りの研究とそこまで矛盾しない。

手放すという選択も、思うほど軽くない

ここまで読むと、着なくなった服はリメイクなどせず、リユースに回した方が話が早いのではないか、という疑問が出てくる。理屈としてはその通りだ。ただ、先の環境省調査の内訳を見ると、この「回すだけ」という行為自体、実際にはかなり分散した細い経路の寄せ集めであることがわかる。家庭から手放された衣類のうち、親類や友人へ譲られた量はおよそ2.6万トン、古着屋やフリーマーケットへの持ち込みが8万トン、店頭回収や下取りが4.2万トン——これらをすべて足しても、廃棄される51万トンの4分の1に満たない。古着屋に持ち込むには一定の質を保っている必要があるし、フリマアプリに出品するなら撮影して値段を付けて発送する手間がかかる。譲る相手を探すのも、思いのほか億劫だ。「リユースに回せばいい」という助言は、実行のコストをほとんど無視した状態で語られがちで、それこそが、139万トンが棚の上で止まったまま動かない理由の一端でもあるのだろう。

その点、リメイクはこの経路の煩雑さを迂回できる。相手を探す必要がなく、質を問われることもなく、家の中で完結する。効果の桁は小さくても、着手の敷居がひときわ低いという特徴は、もう少し評価されていい。

部位という単位で見る

ハサミを入れる前に、シャツを一度「地図」として眺めてみる。既製品はサイズや用途という大きな単位で完成されているけれど、パーツの単位まで分解すると、その完成度は実はローカルなものだと気づく。襟は芯地のおかげで適度な硬さを持ち、袖口はすでに筒状に縫い上げられていて、背中は一枚のシャツの中でいちばん広い平面を提供してくれる。ボタンはボタンホールとセットで、留め具としての機能がすでに完結している。裾は丸みを帯びた縫製が、そのまま曲線の資産になる。ここまで見てくると、リメイクという作業の大半は、実は新しく何かを作ることではなく、すでにそこにある完成度を読み替えて再配置することだとわかってくる。

五分で終わる仕立て直し

背中のいちばん綺麗な部分を25センチ四方に切り出し、端を三つ折りにして縫うだけで、ハンカチになる。オックスフォードよりも薄手のブロード地なら光沢があって針通りもよく、五分もあれば形になる。同じ要領で、裾の丸みをそのまま活かせばコースターに、襟の先端を三角に切って端を縫えば、本の角にかぶせるタイプのしおりになる。どれも大掛かりな道具はいらない。裁ちばさみと針と糸、それにアイロンがあれば十分だ。縫製よりもアイロンの折り目のほうが、実は仕上がりの精度を左右する——という事実は、慣れないうちは見落としやすい。

裁ちばさみと針、布用接着剤、アイロンなど、小物リメイクに使う最小限の道具。

筒と平面、それぞれの生かし方

袖口はもともと筒状に縫われている。だからその形を崩さずに使えば、ボタンをそのままフラップ代わりにしたスマホポーチや、カバンの中で絡まりがちなケーブルをまとめるホルダーになる。裁断の手間がほとんどかからない分、失敗も少ない。胸ポケットをそのままカバーの表面に配置すれば、ペンや付箋を差し込めるブックカバーにもなる。一方、背中の広い面は、大きな道具への転用に向いている。袖を落として襟の第一ボタンを首にかける留め具にすればエプロンになるし、前立てのボタン部分をそのままファスナー代わりの開閉口にすればクッションカバーになる。身頃全体を使えば子供用のスモックにも、旅行用の大きな巾着にもなる——後者は裾のカーブを活かすことで、底に自然な丸みが生まれる。お父さんのシャツが子供の遊び着に変わるとき、そこにあるのは物語というよりは単純な採寸の問題だ。袖を詰め、身幅を整える。それだけで着られる形になる。

もっとも、平面を平面のまま使えると考えるのは早計で、ここで一度失敗しておいたほうがいい。背中の生地を切り出してクッションカバーの表布にしたとき、裏に使う別の生地との縦横の伸び方の違いに気づかず縫い合わせたら、洗濯後にわずかに歪んだ。オックスフォードは縦方向にはほとんど伸びないが、横方向にはわずかに伸縮する。既製品の中で完成していたときには気にする必要のなかった性質が、パーツを組み替えた瞬間に表面化する。既製品の完成度を借りるということは、同時にその生地が持つ癖まで引き継ぐということでもある。

袖口や前立てなど、部位ごとの構造をそのまま利用した小物の例。

端切れという余白

細かい端切れも、実は捨てるところがあまりない。前立て部分にハギレでポケットを増設すれば、鍵や眼鏡のような、家の中で迷子になりやすい小物の定位置になる。細長く切ってゴムを通せばシュシュに、小さな袋に縫ってドライラベンダーを詰めればサシェになる。カフスのボタンをそのまま留め具に使えば、箸やスプーンを収納するカトラリーケースの開閉部にもなる。どうしても出る半端な切れ端は、繋ぎ合わせてキッチンクロスにすればいい。

素材ごとの向き不向きも、一応はある。オックスフォードは厚みがあってバッグやクッションに、ブロードは薄く滑らかでハンカチやしおりに、リネンは吸湿・速乾性があってキッチンクロスや夏物の小物に、ポリエステル混はシワになりにくくトラベルポーチやシューズケースに向いている。とはいえこれは目安であって規則ではない。指先で生地に触れて、硬さや厚みを確かめるほうが、結局は表よりも早く答えを出してくれる。

ただし、ポリエステル混の生地を選ぶときは、一つだけ留保をつけておきたい。洗濯によって化学繊維の生地から微細な繊維くずが放出されることは、Vassilenkoらが2021年に発表した研究などですでに確認されている。その報告では、家庭用洗濯機での一回の洗濯あたり、繊維1キログラムにつき9.6ミリグラムから1240ミリグラムという幅で放出量がばらつき、機械的な起毛加工を施したポリエステル生地は、織り構造のナイロン生地の6倍にあたる量を放出したという。小さなポーチやシューズケースを一枚作ったところで、この放出そのものが止まるわけではない。むしろ洗う対象の点数が増えれば、総量としてはわずかに増える側に働く可能性すらある。素材の耐久性だけを見て「向いている」と決めつけず、こうした細部にも目を配っておいたほうがいい。

ボタンも忘れずに数えておきたい。一枚のシャツにはたいてい七つか八つのボタンがついていて、そのうち袖口の予備を除いても、五、六個は無傷のまま外せる。これをファスナー代わりの留め具として再利用すると、金具を新調する手間も費用も省ける。既存のボタンホールに通すだけで留まるという、当たり前と言えば当たり前の構造が、リメイクの場面ではやけにありがたく感じられる。買えば済む部品を、わざわざ「もう付いているもの」として数え直す——その視点の切り替えだけで、手元の一枚の価値は少し違って見えてくる。

針を動かす時間の中身

手縫いで五分、十分という時間そのものについても、少し考えておきたい。忙しい平日にわざわざ針を持つ理由を、生産性の言葉で説明しようとすると途端に苦しくなる。時給換算すれば、同じ用途のポーチやコースターは、店で買ったほうがどう考えても早い。それでも手を動かす人が絶えないのは、たぶん効率とは別の勘定が働いているからだ。布の抵抗、針が通る瞬間の小さな引っかかり、折り目がぴたりと合ったときの手応え——これらは購入というボタン一つの行為には含まれていない感覚で、含まれていないからこそ、わざわざ再現する価値があるのだと思う。四ノ三のような細めの針でシャツの薄い生地をすくうと、力を入れすぎたときだけ布が引きつれるのがわかる。その加減を体で覚えていく過程が、たぶん製品そのものより長く記憶に残る。

興味深いのは、この手を動かす習慣そのものが、ここ十年でひとまわり大きな動きになっている点だ。先の環境省の調査は、家庭から手放された衣類のうち「リペア」(修繕して使い続ける)扱いになった割合が、2009年度にはわずか1.7%だったのに対し、2020年度には14.3%まで伸びたと記録している。原因の特定は調査自体も慎重で、在宅時間の増えた事情が影響した可能性を挙げるにとどまっているけれど、割合としては8倍を超える伸びだ。買い替えではなく針を選ぶ人が、少なくとも統計上ははっきり増えている。シャツを解体して小物に作り替える行為は、この「修繕」の枠には厳密には入らない——生地の用途そのものを変えてしまうからだ。それでも、同じ針と同じ判断力を使っているという点では、地続きの動きだと考えていいと思う。

接着剤という妥協

すべてを縫う必要はない。裁ほう上手のような布用接着剤で先に形を仮止めし、強度が必要な部分だけを縫えばいい。この妥協は作業のハードルを下げてくれる一方で、少し据わりの悪さも残す。接着剤で貼っただけの部分は、洗濯を重ねるとどうしても剥がれやすくなる。完全に手を抜いていいわけではなく、負荷のかかる場所だけは針を通す、という判断が結局は必要になる。糸の色をあえてシャツと変えてステッチをアクセントにするような遊びも、この段階でようやく効いてくる——先に妥協して時間を作っておかないと、遊びに割く余裕は生まれない。

すべてを手縫いで仕上げることを美徳のように語る流儀もあるけれど、あれは半分は儀式で、半分は単なる時間の使い方の問題だ。強度が要らない部分にまで針を通すのは、丁寧さの証明というより、ただの手間の浪費に近い。どこを縫い、どこを貼るかを見極める判断そのものが、実は道具の扱いよりも技術らしい技術で、これは何度か手を動かしてみないと身につかない。最初の一枚で接着剤に頼りすぎて縫い目を省き、洗濯のたびに剥がれてはやり直す、という遠回りを経験しておくと、次からの判断が早くなる。失敗を経由しないと精度は上がらない、という当たり前の話が、布を相手にすると妙に腑に落ちる。

読み替えるという行為

できあがったものを、既製品と同じ基準で採点するのはあまり意味がない。ミシン目が少し曲がっていても、それはこちらの手が動いた痕跡であって、欠陥ではない。既製品というブラックボックスを一度開けて、中の構造を確かめ、自分の暮らしに合わせて組み直す——リメイクの手応えは、たぶんその過程そのものにある。

この開けるという行為は、シャツに限った話ではないだろう。普段は完成品として受け取るしかないものの内側を、一度覗いてみる機会は、暮らしの中に案外少ない。家電を分解する人が少ないのと同じ理由で、服の構造もまた、着ている間はブラックボックスのままで済んでしまう。着なくなったという偶然の出来事が、たまたまその蓋を開ける口実になっただけの話で、そこに大げさな意義を見出す必要はない。

ここまで数字を並べてきて、あらためて整理しておく。一枚のシャツをハンカチやポーチに変えたところで、そこで浮く水の量は2700リットルからすればわずかな端数だ。9か月分の延命がもたらす2〜3割の削減にも届かない。世界の衣類生産が倍増し、一着あたりの稼働が36%減っているという潮流の前では、なおさら小さい。それでも、この一枚は少なくとも、着られも捨てられもせず棚に居座り続ける139万トンの側から、はっきりと抜け出した。水の総量を動かす力はなくても、宙ぶらりんの状態に決着をつける力は確かにあった、ということだ。効果の桁を間違えなければ、この作業を大げさに語る必要はどこにもない。

棚の上のハンカチやポーチを見て、これは「成功」だったと胸を張るつもりもない。強いて言うなら、まだ着るあてのない服を前に立ち尽くす時間が、一枚減っただけだ。手を動かした分だけ、その服についての判断を自分で下したことになる——手放すか、使い続けるか、形を変えるか。地味な結論だが、地味であることと、意味がないことは違う。少なくとも、次にクローゼットの奥で似たような一枚を見つけたときには、迷う時間が少し短くなっているはずだ。

水の量は変わらないが、視線は変わる

2700リットルという数字は、これからも変わらず動かない。すでに使われてしまった水は、ハサミでどう裁っても戻ってこないし、アラル海の水位もこの手元では取り戻せない。だとすれば、この作業に期待していいのは水の総量ではなく、もっと手前にある何かだ——次に何かを買う前に、一度立ち止まって生地を触ってみるという、ただそれだけの習慣かもしれない。棚の中で止まっていた一枚が動き出したという事実は、統計のどの項目にも計上されないが、次に似たような一枚と向き合うときの自分には、確かに引き継がれる。

出典

  • Chapagain, A.K., Hoekstra, A.Y., Savenije, H.H.G. & Gautam, R. (2005). "The Water Footprint of Cotton Consumption: An Assessment of the Impact of Worldwide Consumption of Cotton Products on the Water Resources in the Cotton Producing Countries." Value of Water Research Report Series No.18, UNESCO-IHE / Water Footprint Network.(同内容はEcological Economics 60(1), 2006, 186-203にも掲載)
  • WRAP (2017). "Valuing Our Clothes: the cost of UK fashion." The Waste and Resources Action Programme.
  • 環境省(委託:株式会社日本総合研究所)「令和2年度 ファッションと環境に関する調査業務 -「ファッションと環境」調査結果-」2020年度版 衣類のマテリアルフロー
  • Ellen MacArthur Foundation (2017). "A New Textiles Economy: Redesigning Fashion's Future."
  • Sung, K., Cooper, T. & Kettley, S. (2015). "An Exploratory Study on the Links between Individual Upcycling, Product Attachment and Product Longevity." Product Lifetimes and the Environment (PLATE) Conference, Nottingham Trent University.
  • Vassilenko, E., Watkins, M., Chastain, S., Mertens, J., Posacka, A.M., Patankar, S. & Ross, P.S. (2021). "Domestic laundry and microfiber pollution: Exploring fiber shedding from consumer apparel textiles." PLOS ONE, 16(7).