趣味
2024

ジーンズの色は、外側からしか抜けない
藍は繊維の芯まで染まらない。色落ちは劣化ではなく、表面だけが摩耗して白い芯が覗く現象だ。この一点をたどると、偽の色落ちを作るために命を落とした工場労働者や、由来のない「それらしさ」を売る市場が見えてくる。膝の薄くなったジーンズを前にして、生地の物質的な性質から手の入れ方を考え直した記録。

こたつの天板を、自分で貼り替えてみた
量販店で買ったこたつの、いかにも化粧板らしい天板が気になっていた。シートを貼り替え、脚を塗装してみた記録。

捨てない選択、受け継ぐ覚悟。「古い食器棚」を自分のヴィンテージ家具に変える週末リメイク
実家やリサイクルショップで出会った、作りは良いけれど少し古臭い「昭和な食器棚」。捨てるには惜しいその家具を、今の暮らしに馴染む形に作り替える方法を考える。素材と向き合いながら再編集するための具体的な手順を紹介する。

傷んだ家具を直したくなるのは、本当にモノへの愛着のせいか
傷んだダイニングテーブルを磨き直しながら、なぜ人はモノを直したくなるのかを考える。授かり効果、IKEA効果、所有と自己の心理学から、修理という行為に潜む勘定を検討する。

本棚を外すと、机は机に戻る
心理学者Dunckerが1945年に示した「機能的固着」は、ロウソクと画鋲の箱の実験に由来する。学習机を大人の机に作り替えるとき、本当に外す価値があるのは天板の傷ではなく、この固着の方かもしれない。

五つの理論をあてても説明のつかない、シールという趣味について
シールを集めるという趣味を、何年続けても「なぜ」に答えられない。発達心理学、ノスタルジー研究、パターン認識の快感、完成への衝動——地味な収集癖を、いくつかの理論で分解してみる。

物を持たない趣味は、本当に身軽なのか
物を減らせば身軽になり、幸福に近づく、という前提を、材料主義研究や選択のパラドックスの再検証から疑ってみる。「ミニマリスト 趣味がない」という検索語の裏には、片づけの先に訪れる空白がある。

上手く描こうとするほど、絵が下手になる理由
絵を描くときに働く「うまく描けているか」という採点は、上達したい気持ちよりも、下手だと思われたくない恐れから来ていることが多い。達成目標理論と評価予期の実験から、その構造を考える。

「かっこいい趣味」は、誰の視線で決まるのか
バイクツーリングやフィルムカメラが「かっこいい」とされるとき、その評価はどこから来ているのか。趣味の性別コード化、自己呈示の研究、評価される側のコストをたどると、話は思ったより込み入っている。

70代から何か新しいことを始めるときに、迷うこと
水彩画を始めようとして、画材屋で数万円のセットを買ってしまった。70代の趣味探しでよく見る「3つの軸で診断」型のガイドを、まず疑うところから考える。

お金をかけない趣味は、本当に「制約」なのか
無料で始められる趣味を並べてみると、共通していたのは値段の低さより、道具に頼れないことだった。図書館、地図アプリ、Wikipediaのリンク辿り、といった具体例から。

40代から趣味が続かない理由と、続く趣味の見分け方
キャンプ道具を買い、サウナに通い、カメラを手にした人のうち、一年後も続けている人はどれだけいるか。趣味が続かない構造と、心理学の研究が示す「続く条件」について。

十七歳と六十代のあいだ、学ぶ脳に何が起きているか
文法を学ぶ力は十七歳まで保たれ、その後も緩やかにしか衰えない。六十代の脳もジャグリングで灰白質を増やす。データは「もう遅い」を否定する一方で、もっと居心地の悪い条件を突きつけてくる。

肩書きの喪失は、脳では痛みとして処理される——50代、「役職」が外れたあとに残るもの
役職定年や早期退職で肩書きが外れる50代。自分が何者かは、属している集団の中での位置づけによって決まっていたのだとしたら、その位置が外れたとき、人の中では何が起きているのか。社会的アイデンティティ理論と、地位とストレスをめぐる研究を手がかりに考える。

田舎で「時間ができる」というのは本当か
田舎暮らしには時間の余裕があるという通念を、通勤時間の統計と社会関係資本の研究で分解する。出てくるのは自由な時間ではなく、別の種類の拘束だった。

お金をかけない趣味、効いているのは制約だった
「お金をかけない趣味」という括りは、安さの話に見えて実は制約の話だったのかもしれない。経験と時間と創造性をめぐる研究を辿ると、そう見えてくる。

退職後に消えるのは肩書きではなく、時間の枠組みだ
定年の翌日、鳴らない目覚まし時計の前で覚える戸惑いの正体は、居場所の喪失というより、時間そのものを区切っていた外枠の消失に近い。時間構造理論と、自由時間と幸福度をめぐる逆U字の研究を手がかりに、「暇を持て余す」という経験の中身を分解する。

意志力の消耗説はもう通用しない——平日の夜に脳が欲しいのは刺激ではなく余白かもしれない
仕事終わりについスマホを開いてしまうのはなぜか。「自我の消耗」という説明はここ十年でほぼ崩れ、代わりに見えてきたのは資源の枯渇ではなく別の仕組みだった。平日の夜の過ごし方を、仕組みから考え直す。

軍艦島の錆びた鉄が語る近代化の話
軍艦島も足尾銅山も、教材として見に行くと嘘になる。廃墟に惹かれる感覚の正体を、割れた窓の心理学とソラスタルジアという言葉から疑ってみる。

「ご趣味は?」に、答えに詰まる件について
趣味を聞かれて言葉に詰まるのは、趣味がないからではないのかもしれない。大人になってから新しく何かを始めることの、妙な気恥ずかしさについて。